神は敬ふによりて威をますとは宜なる哉。かりそめの物も守りとして敬ひ信ずれば霊ある事空しからず、人のはきすてたる草鞋だに衆人の信ぜしによりて、のち〳〵は草鞋天王とて祭りし事、五雑組に見えたり。ましてや神々しきを敬ば霊威ある冥々の天道は人の知を以てはかりしるべからず。こゝに或村の娘、例の御はたやにありて心を澄し、おはたをおりて居たりしに、傍の窓をほと〳〵と音なふものあり、心にそれとおぼへあれば立よりてひらき見るに、はたして心を通す男也。をりふし人目の関もなかりしかば、心うれしくおはたやをいでゝ家の後にいたり、窓のもとに立たる男を将て木小屋に入ぬ。やがて娘の母皈り来りおはたやに娘のをらぬを見ていぶかり、しきりにその名をよびければ、かの木小屋にきゝつけて遽驚き男は逃去り、娘は心顛倒して身を穢たるも打忘れおはたやにかけ入り、そのまゝ御機によりて織んとしけるに、倏急仰向に倒れ落、血を吐て絶入けり。母此状態を見て大におどろきはしりよりて助け起し、まづ御はたやよりいだしさま〴〵にいたはりしが、気息あるのみにて死したるがごとし。父は同村のなにがしが家に在しをよびかへし、医をまねきて薬など与へしがそのしるしもなく、両親はさら也、あたりよりはせよりしものどもゝ娘の側に在てなみださしぐみつゝ手を束て死を俟のみ也。しかるにひとりの男来り、さも恥らふさまにて人の後に座し欲言としていはず、頭を低て泪をおとしけり、人々これをみれば同村の某が次男也けり。此男やがて膝をすゝめ娘の母に対ひ声をひそめていふやう、今はなにをかつゝみ申さん、我は娘御と二世の約束をしたるもの也。さきのほど人なきを見てむすめごを誘ひいだししに、おん身のかへり給ひしこゑにおそれわれは逃さりしが、むすめごがかゝる災ありしと聞てつら〳〵思ふに、穢したる身をわすれて畏きおん機にかゝり給ひたる御罰ならん。これもと我なしたる罪なれば、人はしらずとも余処目に見んはそらおそろしく、命をかけて契りたることばにもたがへりとおもふから、むすめごの命に代りて神に御罰を詫候はん。さるにても此まゝにてむすめごが死給はゞ我が命をめされ候へ、こゝにをられ候人々こそよき証人なれといひつゝ、赤裸になりて髪をもさばき井のもとにはしり寄したゝかに水を浴、雪の上に蹲居てなにやらん唱へていのりけり。時しも寒気肌を貫くをりふしなれば、凍も死すべきありさま也。ふたおやはさら也人々もはじめてそれと知り、実にもとてみな〳〵おなじく水を浴ていのりけり。神明かの男が実心を憐み、人々のいのりをも納受まし〳〵けん、かの娘目の覚たるがごとくおきあがり母をよびければ、衆奇異のおもひをなし、むすめの側にあつまりていかに〳〵といふ。娘はかゝるやうを見てこはなに事ぞといふ。母はうれしくしか〳〵のよしいひければ、むすめは御機によりしとは覚えしがのちはしらずといふ。母はあまりのうれしさにかの男にもあはせんとせしに、いつか立さりけん見えずなりぬ。かくて娘四五日はなやみしがやがて常並の身になりけり。歳も十七なればかねて聟をと思ひをりたるをりからなれば、かのしのび男が実心に愛て早速媒の橋をわたし、姻礼もめでたくとゝのひて程なく男子をまうけけり。其家今猶栄ゆ。神の御罰が夫婦の縁となりしも奇遇といふべし。こは我が幼かりし時の事也き、筆のついでに記して御機屋の霊威ある事をわかふどにしらしむ。あなかしこ。畏べし、慎むべし。
三十四 御機屋の霊威
北越雪譜 原文
原文現代語訳