三十四 御機屋の霊威

北越雪譜 原文
原文現代語訳

神は敬(うやま)ふによりて威(ゐ)をますとは宜(むべ)なる哉(かな)。かりそめの物も守(まも)りとして敬(うやま)ひ信(しん)ずれば霊(れい)ある事空(むな)しからず、人のはきすてたる草鞋(わらんづ)だに衆人(しゆうじん)の信(しん)ぜしによりて、のち〳〵は草鞋天王(そうあいてんわう)とて祭(まつ)りし事、五雑組(ござつそ)に見えたり。ましてや神々しきを敬(うやまへ)ば霊威(れいゐ)ある冥々(めい〳〵)の天道(てんだう)は人の知を以てはかりしるべからず。こゝに或村(あるむら)の娘、例(れい)の御はたやにありて心を澄(すま)し、おはたをおりて居(ゐ)たりしに、傍(かたはら)の窓(まど)をほと〳〵と音(おと)なふものあり、心にそれとおぼへあれば立よりてひらき見るに、はたして心を通(かよは)す男也。をりふし人目の関(せき)もなかりしかば、心うれしくおはたやをいでゝ家の後(うしろ)にいたり、窓(まど)のもとに立たる男を将(ゐ)て木小屋(きこや)に入ぬ。やがて娘の母皈(かへ)り来りおはたやに娘のをらぬを見ていぶかり、しきりにその名をよびければ、かの木小屋にきゝつけて遽驚(あはておどろ)き男は逃去(にげさ)り、娘は心(こころ)顛倒(てんだう)して身(み)を穢(けがし)たるも打忘(うちわす)れおはたやにかけ入り、そのまゝ御機(おはた)によりて織(おら)んとしけるに、倏急(たちまち)仰向(あふむき)に倒(たふ)れ落(おち)、血(ち)を吐(はき)て絶入(たえいり)けり。母此状態(ありさま)を見て大におどろきはしりよりて助(たす)け起(おこ)し、まづ御はたやよりいだしさま〴〵にいたはりしが、気息(いき)あるのみにて死(し)したるがごとし。父は同村のなにがしが家に在しをよびかへし、医(い)をまねきて薬(くすり)など与(あた)へしがそのしるしもなく、両親(ふたおや)はさら也、あたりよりはせよりしものどもゝ娘の側(そば)に在(あり)てなみださしぐみつゝ手(て)を束(つかね)て死(し)を俟(まつ)のみ也。しかるにひとりの男来り、さも恥(はぢ)らふさまにて人の後(うしろ)に座(ざ)し欲言(ものいはん)としていはず、頭(かしら)を低(たれ)て泪(なみだ)をおとしけり、人々これをみれば同村(おなじむら)の某(なにがし)が次男(じなん)也けり。此男やがて膝(ひざ)をすゝめ娘の母に対(むか)ひ声(こゑ)をひそめていふやう、今はなにをかつゝみ申さん、我(われ)は娘御(むすめご)と二世の約束(やくそく)をしたるもの也。さきのほど人なきを見てむすめごを誘(さそ)ひいだししに、おん身のかへり給ひしこゑにおそれわれは逃(にげ)さりしが、むすめごがかゝる災(わざはひ)ありしと聞(きゝ)てつら〳〵思ふに、穢(けが)したる身をわすれて畏(かしこ)きおん機(はた)にかゝり給ひたる御罰(ばつ)ならん。これもと我(わが)なしたる罪(つみ)なれば、人はしらずとも余処目(よそめ)に見んはそらおそろしく、命をかけて契(ちぎ)りたることばにもたがへりとおもふから、むすめごの命(いのち)に代(かは)りて神に御罰(ばつ)を詫(わび)候はん。さるにても此まゝにてむすめごが死(うせ)給はゞ我が命をめされ候へ、こゝにをられ候人々こそよき証人(しようにん)なれといひつゝ、赤裸(あかはだか)になりて髪(かみ)をもさばき井のもとにはしり寄(より)したゝかに水を浴(あび)、雪の上に蹲居(うづくまりゐ)てなにやらん唱(とな)へていのりけり。時しも寒気(かんき)肌(はだへ)を貫(つらぬ)くをりふしなれば、凍(こゞえ)も死(し)すべきありさま也。ふたおやはさら也人々もはじめてそれと知り、実(げ)にもとてみな〳〵おなじく水を浴(あび)ていのりけり。神明かの男が実心(まごゝろ)を憐(あはれ)み、人々のいのりをも納受(なふじゆ)まし〳〵けん、かの娘目の覚(さめ)たるがごとくおきあがり母をよびければ、衆(みな)奇異(きゐ)のおもひをなし、むすめの側(そば)にあつまりていかに〳〵といふ。娘はかゝるやうを見てこはなに事ぞといふ。母はうれしくしか〳〵のよしいひければ、むすめは御機(おはた)によりしとは覚(おぼ)えしがのちはしらずといふ。母はあまりのうれしさにかの男にもあはせんとせしに、いつか立さりけん見えずなりぬ。かくて娘四五日はなやみしがやがて常並(つねなみ)の身(み)になりけり。歳(とし)も十七なればかねて聟(むこ)をと思ひをりたるをりからなれば、かのしのび男が実心(まごゝろ)に愛(めで)て早速(さつそく)媒(なかだち)の橋(はし)をわたし、姻礼(こんれい)もめでたくとゝのひて程(ほど)なく男子をまうけけり。其家(そのいへ)今猶(なほ)栄(さか)ゆ。神の御罰(ばつ)が夫婦(ふうふ)の縁(えん)となりしも奇遇(きぐう)といふべし。こは我が幼(をさな)かりし時の事也き、筆のついでに記(しる)して御機屋(おはたや)の霊威(れいゐ)ある事をわかふどにしらしむ。あなかしこ。畏(おそる)べし、慎(つゝし)むべし。

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