三十八 雪中花水祝ひ

北越雪譜 原文
原文現代語訳

魚沼郡の内宇賀地(うがち)の郷(きやう)堀(ほり)の内の鎮守(ちんじゆ)宇賀地の神社(じんじや)は本社八幡宮也、上古より立せ給ふとぞ。縁起文(えんぎぶん)多(おほ)ければこゝに省(はぶ)く。霊験(れいげん)あらたなる事は普(あまね)く世にしる処なり。神主(かんぬし)宮氏の家に貞和(ぢやうわ)文明(ぶんめい)の頃の記録(きろく)今に存(そん)せり。当主(たうしゆ)は文雅(ぶんが)を好(このみ)、吟詠(ぎんえい)にも富(とめ)り、雅名(がめい)を正樹(まさき)といふ。余(よ)も同好(どうこう)を以て交(まじはり)を修(おさ)む。幣下(へいした)と唱(となふ)る社家(しやけ)も諸方(しよはう)にあまたある大社也。此神(かみ)の氏子、堀の内にて娶(よめ)をむかへ又は壻(むこ)をとりたるにも、神勅(しんちよく)とて壻(むこ)に水を賜(たまは)る、これを花水祝(はなみづいは)ひといふ。毎年正月十五日の神㕝(じんじ)也。新婚(しんこん)ありつる家毎(いへごと)に神使(じんし)を給はるゆゑ、門(かど)おほき時は早朝よりして黄昏(たそがれ)にいたる時もあり。友人(いうじん)嘿斎翁(ぼくさいをう)曰(いはく)、(堀の内の人、宮治兵衛)花水祝ひといふ事は淡路宮(あはぢのみや)瑞井(みづゐ)の井中(ゐちゆう)に多遅花(たちばな)の落(おち)たる祥(さち)ありし事の日本紀に見えたるに濫觴(らんしやう)して、花水の号(がう)こゝに起立(おこれる)にやといはれき。されば新婚(しんこん)の壻(むこ)に神水を灌(そゝぐ)事当社(たうしや)の神秘(しんひ)とぞ。さて当日新婚(しんこん)ありつる家に、神使(じんし)たるべき人は百姓の内旧家(きうか)門地の輩(ともがら)神使を務(つとむ)べき家定めあり、その中にて服忌(ぶくき)はさら也、寡(やもめ)なる者(もの)、家内に病人あるもの、縁類(えんるゐ)に不祥(ふしやう)ありしもの、皆(みな)除(のぞき)ていさゝかも家内に故障(さゝはり)なく平安無事(ぶじ)なる者を撰(えら)び、神㕝(じんじ)の前の朝(あけ)神主沐浴斎戒(もくよくさいかい)し斎服(さいふく)をつけて本社に昇(のぼ)り、えらびたる人々の名をしるして御鬮(みくじ)にあげ、神慮(しんりよ)に任(まかせ)て神使とす。神使に当(あた)りたる人潔斎(けつさい)して役を勤(つと)む。是(これ)を大夫といふ。(嘿斎翁曰、これすなはち浄行(じやうぎやう)神人也といへり、大夫とは俚言の称也)さて当日(正月十五日)神使本社(じんしほんしや)を出(いづ)るその行装(ぎやうさう)は、先挾箱(さきはさみばこ)二本道具台(だうぐだい)笠立(かさたて)傘(かさ)弓二張薙刀(なぎなた)神使侍烏帽子(さむらひえばうし)素襖(すあう)、次に太刀持長柄持傘さしかくる供侍二人草履取(ざうりとり)跡鎗(あとやり)一本、(これらの品々神庫(じんこ)にあるものを用ふ)次に氏子の人々大勢麻上下にて随(したが)ふ。かゝる行装(ぎやうさう)にて新婚(しんこん)の家にいたるゆゑ、その以前雪中の道を作り、雪にて山みちのやうなる所は雪を石壇(いしだん)のやうにつくり、或(あるひ)は雪にて桟(さん)じきめく処を作りて見物のたよりとす。これらにもあまたの人夫を費(つひや)す事也。さてその家にては家内をよく〳〵清め、わきて其日正殿(でん)の間(ま)ととなふる一間(ま)は塩垢離(しほこり)にきよめこゝを神使(じんし)の席(せき)とし、綵筵(はなむしろ)を布(しき)ならべ上座に毛氈(まうせん)をしき、上段の間(ま)に表(かたど)り刀掛をおく。次の間には親族(しんぞく)はさら也、したしき人々より祝義のおくり物をならべおく。嶋台などに賀咏をそへたるなどおのがさま〴〵也。門(かど)には幕(まく)をうち、よきほどの処をしぼりあげてこゝに沓脱(くつぬぎ)の壇(だん)をおき、玄関式台(げんくわんしきだい)に准(なぞら)ふ。家内のものいづれも衣服(いふく)をあらため神使(じんし)をまつ、神使いたるときけば、親あるものは親子麻上下にて地上に出(いで)て神使をむかふ。神使のざうりとりさきにはせきたりて跋扈(ふみはだ)かり、大声(こゑ)にて正一位三社宮(さんじやのみや)使者(ししや)と大呼(よばゝる)。神使を見て亭主(ていしゆ)地上に平伏し、神使を引てかの正殿に座さしむ、行列(ぎやうれつ)は家の左右にありて隊(たい)をなす。さて神使へ烟盆(たばこぼん)茶吸物膳部をいだし、数献(すこん)をすゝむ。あらためて壻(むこ)に盃を与(あた)ふ、(三方かはらけ)肴をはさむ、献酬(とりやり)七献(こん)をかぎる、盃ごとに祝義の小謡(うたひ)をうたふ。事(こと)終(をは)りて神使(じんし)去(さ)る。他に新姻ありし家あれば又到(いた)る式前(しきまへ)のごとし。此神使はかの花水を賜(たま)ふ事を神より氏子へ告(のり)給ふの使(つかひ)也。(神使社頭へ皈る時里正(まちしやうや)の家に立より酒肴のまうけあり)神使社内へ皈(かへ)りしを見て踊(をど)りの行列(ぎやうれつ)を繰(くり)いだす。一番に傘矛(かさぼこ)錦のみづひきをかけ施(めぐら)し端(はし)に鈴(すゞ)をつけ、又裁工(きれさいく)の物さま〴〵なるをさげる、傘矛(かさぼこ)の上には諫鼓を飾る。これを持もの二人紫(むらさき)ちりめんにて頬(ほゝ)をつゝみてむすびたれ、おなじ紅絞などを片襷襅(かたたすき)にかくる。嘿斎(ぼくさい)曰(いはく)、すべて祭礼に用ふる傘矛(かさぼこ)といへる物は古(いにし)へ羽葆葢(うほかい)の字を訓(よめ)り、所謂(いはゆる)繖(さん)にして(きぬかさとよむ)神輿鳳輦(しんよほうれん)を覆(おほ)ひ奉(たてまつ)るべき錦蓋(きんかい)也といへり。猶(なほ)説(せつ)ありしが長ければ省(はぶ)く。さて二ばんに仮面(めん)をあてゝ鈿女(うずめ)に扮(いでたち)たる者一人、箒(はうき)のさきに紙に女阴(ぢよいん)をゑがきたるをつけてかたぐ。次にこれも仮面(めん)にて猿田彦に扮たるもの一人、麻にて作りたる幌帽(ほろばうし)やうの物を冠(かむ)り、手杵(てきね)のさきを赤くなして男根(なんこん)に表示(かたどり)たるをかたぐ。三ばんに法服(はふふく)を美々(びゝ)しくかざりたる山伏螺(ほら)をふく。四ばんに小児の警固(けいご)おもひ〳〵身をかざりて随(したが)ふ。次に大人の警固(けいご)麻上下杖(つゑ)を持て非常(ひじやう)をいましむ。五ばんに踊(をどり)の者大勢花やかなる浴衣(ゆかた)に(正月なれど人勢に熱喿(あつく)てゆかた也)色ある細帯(ほそおび)をなし群行(むらがりゆく)、里言(りげん)にこれをごうりんしやうといふ、こは降臨象(こうりんしやう)なるべし。皇孫日向の高千穂(たかちほ)の峯に天降(あまくだ)り給ひしに象(かたど)るの心ならんと嘿翁いへり。猶(なほ)説(せつ)ありしがはぶく。さて壻(むこ)の方にては此をどり場をもわがいへのまへにまうけおき、あたらしき筵(むしろ)をしき、あたらしき手桶二ツに水をくみいれ、松葉と昆布(こんぶ)とを水引にてむすびつけ、むしろの上におき銚子盃をそへおく。水取(とり)とて壻(むこ)に水をあぶする者二人、副取(そへとり)といふもの二人、おの〳〵たすきひきゆひりゝしげにいでたつ。むこはゆかた細帯にてをどりのきたるをまつ。をどり家にちかづけば行列(ぎやうれつ)ひらきて、踊人(をどりて)かのむしろのめぐりにむらがりてうたひつゝをどる。その唱哥(しやうか)に 〽めでた〳〵の若松さまは枝も栄ゆる葉も茂る 〽さんやめでたい花水さんやせな(脊)にあびせんわが(我)せな(夫男)に」をりかへし〳〵しやうがをかえてうたひをどる。事(こと)慣(なれ)たる踊(をどり)のけいご、かの水とりらもその程(ほど)を見て壻(むこ)に三献(こん)を祝(いは)はせ、かの手桶の水を二人して左右より壻(むこ)の頭(かしら)へ滝(たき)のごとくあぶせかくる。これを見て衆人(みな〳〵)抃躍(てをうち)てめでたし〳〵と賀(いは)ふ。むこはそのまゝわがいへにはせ入り、をどりは猶(なほ)家にもおし入りてをどりうたふ事七八遍(へん)にしてどろ〳〵と立さり、再(ふたゝ)びはじめのごとく列(れつ)をなして他の壻の家にいたる。事(こと)はてゝもをどりは宿役(しゆくやく)の家さてはよしみあるものゝいへにも入りてをどりありく也。田舎(ゐなか)はものを視(み)る事まれなれば、此日は遠近の老若男女これを見んとて蟻のごとくあつまり、おしこりたちて熱喿(ねつそう)する事筆下(ふで)に尽(つく)しがたし。

○按(あんず)るに、壻(むこ)に水を灌(そゝ)ぐ事は、男の阳火(やうくわ)に女の阴(いん)の水をあぶせて子をあらしむるの咒事(まじなひ)にて、妻(つま)の火を留(とむ)るといふ祝事(しゆくじ)也。此事室町殿の頃武家の俗習(ぞくしふ)よりおこりて、農商もこれに傚(なら)ひてやゝ行(おこな)はれし事物に見えたり。(貝原先生の歳時記には松永弾正が婚事より起るといへり)江戸にては宝永の頃までも世上一同正月十五日の事とし、祝義のやうになりて大に流行(はやり)しゆゑ、壻(むこ)に恨(うらみ)ある者事を水祝ひによせてさま〴〵の狼籍(らうぜき)をなす人もまゝありて、人の死亡(しばう)にもおよびし事しば〳〵なりしゆゑ、正徳の頃国禁(こくきん)ありて事絶(たえ)たり。くわしくはむかし〳〵物語といふものに見えたり。(国初以来の事を記たる写本、元禄中をさかりにへたる人の老ての作なり)件(くだん)の花水祝ひは神秘(じんひ)と有(あれ)ば別にゆゑよしもあるべし。あなかしこ。雪のついでにその大略を記して好古家(かうこか)の談柄(だんへい)に具(ぐ)するのみ。

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