三十九 菱山の奇事

北越雪譜 原文
原文現代語訳

越後の頸城郡(くびきこほり)松の山は一庄(いつしやう)の総名(そうみやう)にて、許多(あまた)の村落(むら)を併合(あはし)たる大庄也。いづれも山間(あひ)の村落(むら〳〵)にして一村の内といへども平地なし。たゞ松代といふ所のみ平地にて、農家(のうか)軒(のき)を連(つら)ぬ。外(そと)百番の謡(うたひ)に見えし松山鏡(かゞみ)といふも此地也。そのうたひにある鏡が池の古跡(こせき)もこゝにあり、今は池にもあらぬやうに埋(うづも)れたれど、その跡(あと)とてのこれり。按(あんず)るに、松山かゞみのうたひは鏡破(わり)の絵巻(ゑまき)といふものを原(もと)として作(つく)れるならん、此ゑまきにも右の松の山の事見えたり。さて松の山の庄内に菱山といふあり、山の形三角なるゆゑの名なるべし。山にちかき処に須川(すかは)村(川によりて名づく)菖蒲(しやうぶ)村といふあり。此ひし山、毎年二月に入り夜中にかぎりて雪頽(なだれ)あり、其ひゞき一二里に聞(きこ)ゆ。伝(つたへ)ていふ、白髪(はくはつ)白衣(い)の老翁(らうをう)幣(へい)をもちてなだれに乗(の)り下(くだ)るといふ。また此なだれ須川村の方へ二十町余の処真直(まつすぐ)に突(つき)下す年は豊作(ほうさく)也、菖蒲村の方へ斜(なゝめ)にくだす年は凶作(きやうさく)也。其験(そのしるし)少(すこし)も違(たが)ふ事なし。年(とし)の豊凶(ほうきやう)雪頽(なだれ)に係(かゝ)る事此山にのみ限(かぎ)るも一奇事(いつきじ)といふべし。

因(ちなみ)にいふ、余(よ)が旧友(きういう)寺泊(てらとまり)に住(すむ)丸山氏の(医家)祖父(そふ)は博学(はくがく)の聞(きこ)えありし人なりき。余二十年前丸山氏の家に遊笻(いうきよう)をとゞめし時、祖父が宝暦の頃の著述(ちよじゆつ)也とて、越後名寄(なよせ)といふ書(しよ)を見せられしに、三百巻自筆(じひつ)の写本(しやほん)也。名寄とはあれど越後の風土記(ふどき)なり。一国の神社仏閣(じんじやぶつかく)名所旧跡(めいしよきうせき)山川地理(さんせんちり)人物(じんぶつ)国産薬品(こくさんやくひん)の類(るゐ)までも、部(ぶ)を分(わけ)図(づ)をいだして通暁(さと)しやすくしたる精撰(せいせん)也。此書(しよ)に右菱山(ひしやま)の説(せつ)も粗(ほゞ)見えたれど、さのみはとて引ず。菱山(ひしやま)の事をいふにつきて此書の事をおもひいだせしが、かゝる精撰大成(せいせんたいせい)の書(しよ)も空(むな)しく秘笈(ひきう)にありて世(よ)にしられざるが惜(をし)ければこゝにいへり。

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