酉陽雑俎に、狐髑髏を戴き北斗を拝し尾を撃て火を出すといへり。かの国はともあれ我がまさしく見しはしからず、そは下にいふべし。狐は寒をおそるゝ物ゆゑ、我里にては冬は見る事稀也、春にいたり雪のふりやみたるころ、つもりたる雪中食にうゑて夜中人家にちかづき、物を竊み喰ふ事甚悪むべし。人これを知るゆゑ、かれに盗じとて人智を以てかまへおけども、すこしの間に奪ひ喰ふ、其妖術奇々怪々いふべからず、時としてかれが来とこざるは鼠のごとし。狐の妖魅をなす事和漢めづらしからず、いふもさらなれどいふ也。我雪中にはあかりをとらんため、二階の窓のもとにて書案に倚る。或時故人鵬斎先生より菓子一折を贈れり、その夜寝んとする時狐の事をおもひ、かの菓子折を紵縄にて強と縛し天井へ高く釣りおき、かくてはかれが術も施しがたからんと自傲りしに、さて朝に見ればくゝしたる縄は依然としてもとのごとく、菓子折は消失たるがごとし。猶憎むべきは、くわしをりは人の置たるやうに書案の上にあり、ひらき見ればおほひたる紙もそのまゝにて、くわしはみなくらひ尽せり、その妖をなしし事不思議也。或時は猫の声をなして猫を呼いだして淫し且喰ふ。老狐は婦女を妖して淫するもあり、淫せられし女はかならず髪をみだし其処に臥して熟睡せるがごとし、その由をたづぬれども一人も仔細をかたりし女なし、皆前後をしらずといふ、しらざるにはあるまじけれども、事を恥ていはざるならん。さて狐善く氷を聴と言事、酉陽雑俎に見ゆ。こは本朝にても今猶諏訪の湖水は狐渉しを視て人渉りはじむ、和漢相同じ。狐の火を為す説はさま〴〵あれどみな信がたし。我が目前に視しは、ある夜深更の頃、例の二階の窓の隙に火のうつるを怪しみその隙間より覗きみれば、狐雪の掘揚の上に在りて口より火をいだす、よくみれば呼息の燃る也。その態口よりすこし上にもゆる事、まへにいへる寒火のごとし。おもしろければしばらくのぞきゐたりしが、火をいだす時といださゞる時あり、かれが肚中の気に応ずるならん、かれが気息常に火をなさゞるは勿論也。石亭が雲根志に狐の玉のひかる事を云しが、狐火は玉のひかるにもあらずかし。狐の玉といふ物の光ると常に見る狐火とは別なるべし。
四十一 狐火
北越雪譜 原文
原文現代語訳