四十二 狐を捕る

北越雪譜 原文
原文現代語訳

友人(いうじん)曰(いはく)、我が親(した)しき者隣(となり)村へ夜話(よばなし)に往(ゆき)たる皈(かへ)るさ、途(みち)の傍(かたはら)に茶鐺(ちやがま)ありしが、頃しも夏の事也しゆゑ、農業(のうげふ)の人の置忘(おきわす)れたるならん、さるにても腹(はら)悪(あし)きものは拾(ひろ)ひ隠(かく)さん、持皈(もちかへ)りて主(ぬし)を尋(たづね)ばやと鐺(かま)を手(て)にさげて二町ばかりあゆみしにしきりに重(おも)くなり、鐺(かま)の内に声(こゑ)ありて我をいづくへ連(つ)れ行(ゆく)ぞといふに胆(きも)を消(け)し鐺(かま)をすてゝ逃(にげ)さりしに、狐前にはしり草の中へはしり入りしといへり。こはかれが一時(いちじ)の戯(たはむ)れなるべし、かゝる妖魅(えうみ)の術はありながら人に欺(あざむか)れて捕(とら)へらるゝは如何(いかん)。余(よ)答(こたへ)ていふ、銕炮(てつはう)を以てするは論(ろん)なし、香餌(よきゑさ)を以てするは、かれ人の欺(あざむ)くを知(し)れども慾(よく)を捨(すて)て慎(つゝし)む事あたはず、それとは知(し)りながらこれを喰(くら)ひて反(かへつ)て人をあざむかんとして捕(とら)へらるゝならんか。これ邪智(じやち)ふかきゆゑ也。豈(あに)狐のみならんや、人も又是(これ)に似(に)たり。邪智(じやち)あるものは悪㕝(あくじ)とはしりながらかく為(なさ)ば人はしるまじと己(おのれ)が邪智(じやち)をたのみ、終(つひ)には身を亡(ほろぼ)すにいたる。淫慾(いんよく)も財慾(ざいよく)も慾(よく)はいづれも身を亡(ほろぼ)すの香餌(うまきゑさ)也。至善(よき)人は路に千金を視(み)、室(いへ)に美人(びじん)と対(たい)すれども心(こゝろ)妄(みだり)に動(うごか)ざるは、止(とゞま)ることを知(し)りて定(さだま)る事あるゆゑ也。かゝる人は胸(むね)に明(あきらか)なる鏡(かゞみ)ありて、善悪(ぜんあく)を照し視(み)てよきあしきを知(し)りて其独(ひとり)を慎(つゝし)む、之(これ)を明徳(めいとく)の鏡(かゞみ)といふ。此鏡は天道(てんたう)さまより誰(たれ)にも〳〵与(あた)へおかるれども磨(みがゝ)ざればてらさずと、われ若(わか)かりし時ある経学者(けいがくしや)の教(をしへ)に聞(きゝ)しと、狐の話(はなし)につけ大学の蹄(わな)にかけて風諫(ふうかん)せしは、問(と)ひし人弱年(としわか)にてしかも身もちのくずれかゝりし者(もの)なればなりき。こゝには无用(むよう)の長舌(ちやうぜつ)なれど、おもひいだししにまかせてしるせり。さて我が里(さと)にて狐を捕(と)る術(じゆつ)さま〴〵あるなかに、手を懐(ふところ)にして捕(と)る術(じゆつ)あり。その術いかんとなれば、春陽の頃はつもりし雪も昼(ひる)の内は軟(やはらか)なるゆゑ、夜な〳〵狐の徘徊(はいくわい)する所へ麦(むぎ)など舂杵(つくきね)を雪中へさし入て二ツも三ツもきねだけの穴(あな)を作りおけば、夜に入りて此穴(あな)も凍(こほ)りて岩の穴のやうになるなり。さてかれが好(す)く油滓(あぶらかす)などをちらしおき、かの穴にも入れおく、さて夜ふけ人静(しづま)りたるころ狐こゝにきたり、ちらしおきたるを喰(くら)ひ尽(つく)し、猶(なほ)たらざればかならずかの穴にあるをくらはんとし、身をしゞめ倒(さかしま)になりて穴に入り、いれおきたるものをくらひつくし、出(いで)んとするに尾(を)のすこしいづる程(ほど)に作りまうけたる穴なれば、再(ふたゝ)びいづる事叶(かな)はず。雪は深夜(しんや)にしたがひてます〳〵こほり、かれがちからには穴をやぶる事もならず、いでん〳〵として終(つひ)には性(せい)を労(つか)らす。捕(とら)へんとはかりしもの、これを見て水をくみきたりてあなに入るゝ、こほりたる雪の穴なればはやくは水も漏(もれ)ず、狐は尾を振(ふる)はして水にくるしむ。人は辺(ほと)りにありてかれ将(まさ)に死せんとする時かならず屁(へ)をひるを避(さけ)る。狐尾を揺(うごか)さゞるを見て溺死(おぼれしゝ)たるを知(し)り、尾を採(と)り大根を抜(ぬく)がごとくして狐を得(う)る。穴二ツも三ツも作りおくゆゑ、をりよき時は二疋も三疋も狐を引抜(ひきぬく)事あり、之(これ)は凍(こほ)りて岩のやうなる雪の穴なればなり。土の穴はかれが得(え)ものなれば自在(じざい)をなして逃(にげ)さるべし。されば雪国にかぎる事なれば雪のついでにしるせり。

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