四十七 渋海川さかべつたう

北越雪譜 原文
原文現代語訳

我国の俚言(りげん)に蝶(てふ)をべつたうといふ、渋海川のほとりにてはさかべつたうといふ。蝶は諸(もろ〳〵)の虫(むし)の羽化(うくわ)する所也、大なるを蝶といひ、小なるを蛾(が)といふ。(本艸)其種類(そのしゆるゐ)はなはだ多(おほ)し。草花(さうくわ)も蝶に化する事本草(ほんざう)にも見えたり。蝶の和訓(わくん)をかはひらこといふは新撰字鏡(しんせんじきやう)にも見えたれど、さかべつたうといふ名義(みやうぎ)は未(いまだ)考(かんがへ)ず。さて前(まへ)にいへる渋海(しぶみ)川にて春(はる)の彼岸(ひがん)の頃(ころ)、幾百万の白蝶(はくてふ)水面(すゐめん)より二三尺をはなれて羽(は)もすれあふばかり群(むらがり)たるが、高(たか)さは一丈(ぢやう)あまり、両岸(りやうがん)を限(かぎ)りとして川下より川上の方へ飛行(とびゆく)、その形状(さま)花のふゞきと見んはおろか也。幾里(いくり)ともなき流(なが)れに霞(かすみ)をひきたるがごとく、朝より夕べまで悉(こと〴〵)く川上へつゞきたるがそのかぎりをしらず、川水も見えざるほど也。さて日(ひ)も暮(くれ)なんとするにいたれば、みな水面(すゐめん)におちいりて流(なが)れくだる、そのさま白布(しらぬの)をながすがごとし。其蝶の形(かたち)は燈蛾(ひとりむし)ほどにて白蝶(しろきてふ)也。我国に大小の川々幾流(いくすぢ)もあるなかに、此渋海川(しぶみがは)にのみかぎりて毎年(まいねん)たがはず此事あるも奇(き)とすべし。しかるに天明の洪水(こうずゐ)以来此事絶(たえ)てなし。

○本草(ほんざう)を按(あんず)るに、石蚕(せきさん)一名を沙虱(すなしらみ)といふもの山川の石上に附(つき)て繭(まゆ)をなし、春夏羽化(うくわ)して小蛾(せうが)となり、水上(すゐしやう)に飛ぶといへり。件(くだん)のさかべつたうは渋海川の石蚕(せきさん)なるべし。其種(たね)を洪水(こうずゐ)に流(なが)し尽(つく)したるゆゑ、たえたるなるべし。他国にも石蚕(せきさん)を生(しやう)ずる川あらば此蝶あらんもしるべからず。余此蝶を見ざりしゆゑ、近隣(きんりん)の老婦(らうふ)若(わか)きころ渋海川の辺(ほと)りより嫁(か)せし人ありしゆゑ尋(たづ)ね問(と)ひしに、その老婦(らうふ)の語(かた)りしまゝをこゝに記(しる)せり。

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