四十八 鮭の字の考

北越雪譜 原文
原文現代語訳

新撰字鏡(しんせんじきやう)といふ字書(じしよ)は、本朝の僧(そう)昌住(しやうぢゆう)といひし人、今より九百四十年あまりのむかし寛平昌泰(くわんひやうしやうたい)の年間(ころ)作りたる文字の吟味をしたる書(しよ)也。むかしより世の学匠(がくしやう)たち伝(つた)へ写(うつ)して重宝(ちようほう)せられき。しかるを近き頃、村田春海大人(はるみのうし)右の書(しよ)を京都にて購得(かひえ)てのち、享和三年の春創(はじめ)て板本となし、世の重宝となりてより后(のち)の学者(がくしや)の机上(つくゑのうへ)に置(おく)は、実(じつ)に春海大人(はるみのうし)の賜(たまもの)なりけり。右の字鏡(じきやう)ありて后(のち)二十余(よ)年を歴(へ)て、源の順朝臣(したがふあそん)の作りたる和名類聚抄(わみやうるゐじゆせう)ありき、是も字書(じしよ)也。元和の年間(ころ)那波道円(なばだうゑん)先生創(はじめ)て板本とせられたり。(後の板もあり)さて和名抄ありて后五百年ちかくをへて文安年中下学集(かがくしふ)といふ字書(じしよ)ありき、これも元和三年創(はじめ)て板本となりたり。下学集より五十三年の后(のち)明応(めいおう)五年林宗二(堺の町人)節用集(せつようしふ)を作り、文亀(ぶんき)のころの活字本(くわつじぼん)あり。これいろは引節用集の権輿(はじまり)也。其后百八十年を歴て元禄十一年に槙嶋照武駒谷(まきのしまてるたけこまがい)山人が作りたる(江戸の人)書言字考(しよげんじかう)、一名合類(がふるゐ)節用集といふ板本あり、宗二が節用集を大成(たいせい)したる物にていろは引也。(平他字類抄(ひやうたじるゐせう)のるゐ、下に引用せざるものはこゝにあげず)本朝の字書(じしよ)のるゐ大抵(たいてい)は件(くだん)のごとし。されば今俗用(ぞくよう)する節用集は新撰字鏡(しんせんじきやう)和名抄(わみやうせい)を先祖の父母として、后(のち)のは皆其子孫也。是(こ)は鮏(さけ)の字(じ)の事を言(いは)んとて童蒙(わらはべ)の為に先いふ也けり。

○新撰字鏡魚(うを)の部(ぶ)に鮭(佐介(さけ))とあり、和名抄には本字は鮏(さけ)俗(ぞく)に鮭(さけ)の字を用ふるは非(ひ)也といへり。されば鮭の字を用ひしも古(ふる)し。同書(どうしよ)に崔禹錫(さいうせき)が食経(しよくきやう)を引て「鮏(さけ)其子(そのこ)苺(いちご)に似(に)て赤(あか)く光(ひか)り春生(うま)れて年の内に死(し)す故(ゆゑ)にまた年魚(ねんぎよ)と名く」と見えたり。新撰字鏡に鮭の字を出(いだ)しゝは鮏(せい)と鮭(けい)と字の相(あひ)似(に)たるを以て伝写(でんしや)の誤(あやま)りを伝(つた)へしもしるべからず。鮭(けい)は河豚(ふぐ)の事なるをや。下学集(かがくしふ)にも鮭(さけ)干鮭(からさけ)と並(なら)べ出(いだ)せり。宗二が文亀本(ぶんきぼん)の節用集にも塩引干鮭(しほびきからさけ)とならべいだせり。これらも鮏(せい)と鮭(けい)と伝写(でんしや)のあやまりにや。駒谷(こまがい)山人が書言字考(しよげんじかう)には○鱖(さけ)○石桂魚(さけ)○水豚(さけ)○鮭(さけ)と出(いだ)して、注(ちゆう)に和名抄を引て本字は鮏(さけ)といへり。大典(てん)和尚の学語編(がくごへん)には鱖(さけ)の字を出されたり、鱖(き)はあさぢと訓(よむ)也。唐(もろこし)の字書(じしよ)には鱖(き)は大口細鱗(さいりん)とあれば鮏にるゐせるならん。字彙(じゐ)には鮏(せい)は鯹(せい)の本字にて魚臭(なまぐさし)といふ字也といへり。按(あんず)るに、鮏(さけ)の鮮鱗(とりたて)はことさらに魚臭(なまぐさ)きものゆゑにやあらん。鮭(けい)は鯸鮐(こうち)の一名ともいへば鮏(さけ)にはいよ〳〵遠(とほ)し。とまれかくまれ鮏(せい)の字を知りて俗用(ぞくよう)には鮭(けい)の字を用ふべし。件(くだん)の如(ごと)く鮭(けい)の字も古く用ひたれば、おほかたの和文章(わぶんしやう)にも鮭の字を用ふべし、鮏の字は普(あまね)くは通じ難(がた)し。こゝには姑(しばら)く鮏に从(したが)ふ。

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