五十一 鮏の始終

北越雪譜 現代語訳
原文現代語訳

わが国の鮏は、初秋から北の海を出て千曲川と阿賀川の両大河をさかのぼる。これは卵を産もうとしてである。雌に雄がついてのぼる。さかのぼるのはおよそ五十里あまり、川にいるのはおよそ五か月あまりである。そのあいだ(八、九、十、十一、十二月)に人に捕られる。捕られなかったものは海へ帰るので大小がある。

卵を産みつけるところは鮏の心しだいで一定しないが、千曲川と魚野川の両河の合わさる川口というところから上は砂に小石がまじるので、ここから上を自分の産卵場とし、流れのはげしくない清らかな流れのところに産む。産もうとして鮏が集まり群がるのを、漁師の言葉で「掘りにつく」とも「ざれにつく」ともいう(砂を掘るのにいろいろな形をするので、「ざれごと」の「ざれ」だろう)。雌も雄も尾で水の中の砂を掘る。その広さは一尺あまり、深さ七、八寸、長さ一丈あまりで、数日かけてこれを作る。作り終えると、雌がその中へ卵を一粒ずつ産む。産むのを見て雄が白子をかけ、すぐに雌と雄が掘りのけた砂や石を左右から尾びれですくいかけて卵を埋める。一粒も流されることはない。さてこのひと掘りに産み終えると、またそれに並べて掘っては産み、産んでは掘り、何筋も並べて掘って、ついには八、九尺四方の砂の中へ行儀よく腹の卵を残らず産み終える。場所を替えて産むこともあるという。砂に小石のまじったところでなければ産まないと漁師が言った。そのふるまいは人の知恵にまったく劣らない。

産み終えるまでの苦労で尾びれを傷め、体はやせ疲れ、流れに従ってくだり、深い淵のあるところへ来るとそこに沈んで疲れを養い、もとのように肥え太ってまた流れをさかのぼる。掘りについているときは漁師もこれを捕らない。たまに捕る者もいるが、しいてはしないことになっている。雌さえ捕らなければ雄はその場を去らない。鮏が川をさかのぼるのは卵を産むためで、雌に雄がついてのぼるのは子のために雌を助けるのだろう。これもまた人の心と変わらない。

さて不思議なことに、川の広いところで鮏が卵を産んでおいた場所が、洪水などで流れが変わって河原になっても、何年たっても産んだ卵は腐らず、ふたたび流れになるとその卵がかえって鮏になる。ある年、私の住むあたりの在の魚野川のほとりに住む人が井戸を掘ったところ、なまの鮏の卵を掘り出したことがあったと友人が語った。卵がかえることを漁師の言葉で「はやける」とも「みよける」ともいう(「早化る」「身よ化る」だろうか)。卵は水の中に十四、五日あって魚になる。形は糸のようで、長さ一、二寸、腹が裂けていて腸ができていない。それで「さけ(裂け)」の名があると言い伝える。春になると大きくなって三寸あまりになる。これは必ず捕らないことにしている。この子鮏は雪解けの水に従って海に入る。海に入ってから裂けた腹が合わさって腸ができると漁師が言った。

前にも言ったように、鮏の漁は寒中を限りとする。寒が明けてから捕るとたたりがあると言い伝える。私が若かったころ、川辺の村の一人の農夫が、寒が明けてからかわうその捕った鮏を奪って食べ、熱に苦しんで三日で死んだことがあった。だから、たたりがあるという言い伝えも偽りとは言えない。また鮏の産んでおいた卵を取るとその家は絶えると言い伝える。鮏の大きいものには三尺四、五寸を超えるものもある。これは毎年網をのがれて大きくなったのだろう。私の若いころは鮏がたくさん捕れたので値も安かったが、近年は捕れるのが少ないので、値も自然と昔の倍になった。年々新しい工夫をして漁をするので、捕り減らしたのだろう。雌の大きいものには卵が一升もあり、小さいものは三、四合にすぎない。江戸で多く扱う塩引というのは「鰺鮏」といって、越後の鮏とは別の種類だと、ある物産家が言った。川に生まれて海で成長するが、昔から海で網に入ったことがない。その一生を思うと、鮏は魚類の中の奇妙な魚というべきだ。

私、牧之がいつも思うのは、寒いころに捕った卵と雄の白子とをまぜて、鮏のいる川の砂や石で包み、瓶のようなものに移し入れ、鮏のいない国の海に通じる山川の清流に、その瓶に移した卵を砂や石のまま鮏が産みつけたようにしておき、この川で鮏が出てきても三年は捕ることを国で禁じれば、鮏が生まれるかもしれないということだ。生まれれば国の利益にもなるだろう(江戸の白魚は昔その種を移されたと聞いた例もあるからである)。

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