五十二 打切り並につゞ

北越雪譜 現代語訳
原文現代語訳

北の海、新潟の河口に注ぐ大河は阿賀川と千曲川である(阿賀川のことはここでは言わない。千曲川は別名を信濃川ともいい、「隈」の字も用いる)。千曲川の水源は、信濃・越後・飛騨の大小の川がたくさん流れ合わさってこの大河となる。越後では妻有・上田の二つの庄を流れて魚野川の急流となり、魚沼郡藪上の庄の川口駅のはずれで信濃を流れてくる川と合わさり、古志郡・蒲原郡の中央を流れて海に入る。信濃からの流れは濁り、越後の流れは澄んでいる。信濃の水には犀川の濁った水がまじるからである。

鮏は初秋から海を出てこの流れをさかのぼる。蒲原郡の流れは底が深く川幅が広いので、大網を使って鮏を捕る。あの川口駅から上、上田・妻有のあたりでは「打切(うちきり)」ということをして鮏を捕る。そのやり方は、夏の末から仕事をはじめて、岸から川の中へ丸木の杭を立て並べ、横木を添え、これにすきまなく竹の簀を渡して垣根のようにし、川の石を寄せかけて支えとする。長さは百間、二百間にもなる。形は川のぐあいに従う。船の通り道はこれを外して妨げにならないようにし、また船の通り道の目印を立てて夜のためとする。さてこれに「つづ」というものを簀の下に並べ、鮏が入るようにくくっておく(杭があって、つづの末もくくっておく)。

このつづの作り方は、竹を簀に編んで末を縛り、鮏の入る口のほうには竹のとがった先を作りかけて「あご」とし、地につくほうは平らに、上は丸くし、胴にはふくらみがあり、長さは五尺ほどである。鮏が入ろうとすれば口が広がるように、いかにも巧みに作ったものである。これを「つづ」というのは「つつ(筒)」というべきところを濁ってなまったのだろう。田舎言葉には古語のままを言い伝えて昔をしのばせるものもあるが、言葉の清音濁音を取り違えて物の名などが変わったものも多い(阿加川を土地では「あが川」という)。

さてこの打切を作るにはずいぶん費用がかかるので、漁師たちが相談しあってすることである。打切をした岸には仮に小屋を作って、漁師たちが昼夜ここにいて、夜も寝ずに鮏のかかるのを待つ。七月からこの仕事をはじめて十二月の寒明けまで、仲間が交代でこの小屋にいて鮏を捕る。この打切は川口を一番として上流へ十五番まである。ここはどこの持ち場と川にその境目があって、はなはだ厳重である。

○さて鮏は川下から流れをさかのぼって打切まで来る。船の通るべきところは流れが打切にせき止められて小さな滝になっているので、滝をのぼるのを嫌うのか、たいていは打切のよどみに来てあの垣に迫り、くぐれるところはないかとあちこち探し、つづをかけたところへ来て、くぐり抜けようとしてここに入ると、底があるので出ようとしても、口にとがったあごがあって出ることができない。

○さて小屋にいる者は、かかったろうと思うころあいを見はからって「はなかます」という舟を漕ぎ出し(大木を二つに割ってくり抜いて舟にしたものである。○瀬の浅いところは舟を使わない)、雪の降る寒い夜にも銭のためにその寒さをいとわず、素っ裸になって水に飛びこみ、つづを外し、鮏がいればつづのまま舟に入れて鮏を出す。大きな鮏は三尺あまりもあって跳ねくるうので、「魚槌(うおづち)」というもので頭を一打ちすれば、たちどころに死ぬ。ここに不思議なことがあって、この魚槌というものは、馬のひづめを切る槌でなければ死なない。自分で作った槌ではいくら打っても死なない。また鮏の頭に打つべきところもあると漁師が言った(鮏のいるところではどこでもこの槌を使う。みな馬のひづめを切る槌だという)。「すけご」(助賈だろう)といって鮏の仲買いをする者が、この小屋に来て鮏を買って売るのである。

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