五十八 垂氷

北越雪譜 原文
原文現代語訳

前年(さきのとし)牧之(ぼくし)江戸に旅宿(りよしゆく)の頃、文墨(ぶんぼく)の諸名家(しよめいか)に謁(えつ)して書画(しよぐわ)を乞(こ)ひし時、前(さき)の山東庵には交情(まじはり)厚(あつ)くなりてしば〳〵訪(とふら)ひしに、京山翁当時(そのころ)はいまだ若年なりしが、ある時雪の話(はなし)につけて京山翁いへらく、今年正月友人(いうじん)らと梅見にゆきしかへるさ青楼(せいろう)にのぼり、その暁(あかつき)雨ふりいだししが、とみにやみけるゆゑ青楼を出(いで)て日本堤にさしかゝりしに、堤(つゝみ)の下に柳二三株(ぼん)あり、この柳にかゝりたる雨、垂氷(たるひ)となりて一二寸づゝ枝毎(えだごと)にひしとさがりたるが、青柳(あをやぎ)の糸に白玉をつらぬきたる如く、これに旭(あさひ)のかゞやきたるはえもいはれざる好景(かうけい)なりしゆゑ、堤の茶店(ちやみせ)にしばしやすらひてながめつゝ、はからず詩(し)を作りし事ありき。これ余寒(よかん)の暁に雨のみじかくやみたる気運(きうん)の機工(からくり)を得(え)てかゝる奇景(きけい)を見たるなりとて、珍(めづら)しがりてかたられしが、暖地(だんち)にてはめづらしくもあるべけれど、我国の垂氷(つらゝ)に比(たぐ)ふれば水虎(すゐこ)の一屁(いつひ)也と心にをかしとおもひし事ありき。

○そも〳〵我国の垂氷(つらゝ)をいはんに、他(た)は姑(しばら)く舎(おい)てまづ我(わ)が家(いへ)の氷柱(つらゝ)をいはん。表間口(まくち)九間の屋根(やね)の簷(のき)に初春の頃の氷柱(つらゝ)幾条(いくすぢ)もならびさがりたる、その長短(ちやうたん)はひとしからねども、長きは六七尺もさがりたるが根(ね)の太(ふと)さは二尺めぐりにひらみたるもあり、水晶(すゐしやう)をもて𥴩子(かうし)をつくりたるやう也。されど我国の人は稚(おさな)きより目(め)なれたる事なればめづらしからず、垂氷(つらゝ)を吟詠(ぎんえい)に入るものなし。右のつらゝ明(あか)りにさはるゆゑ朝毎(あさごと)に木鋤(こすき)にてみな打おとさす。又家峯(やね)の谷になりたる所を俚言(りげん)にだぎといふ、だぎは春解するやねの雪のしたゝりみなこゝにつたふゆゑ、つらゝは簷(のき)よりも大也、下にさはりなき所は二丈もさがる事あり。次第にふとりて大になるも物にさはらぬ所はすておきしを、いつか打砕(うちくだ)く時は大力の男杭(くひ)などにてしたゝかに打て、やう〳〵をれおちてくだけたる四五尺なるを、童(わらべ)らが打(うち)よりて手遊(てあそび)の雪舟(そり)にのせて引きありき遊(あそ)ぶもあり。これらは我家(わがいへ)の氷柱(つらゝ)にて珍(めづ)らしからず、宮寺(みやてら)のつらゝは猶大なり、又山中のつらゝは里地(さとち)に比(ひ)しがたし。

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