六十一 雪中の寒行者

北越雪譜 原文
原文現代語訳

我が家に江戸に二(ふ)たとせ居(ゐ)たる僕(ぼく)あり。かれがかたりしに、江戸に寒念仏(かんねんぶつ)とて寒行(かんぎやう)をする道心者(だうしんじや)あり、寒三十日を限(かぎ)りて毎夜鈴が森千住(ぢゆ)にいたり刑死(けいし)の回向(ゑかう)をなす。そのすがたは股引(もゝひき)草鞋(わらんず)にてあたゝかに着てつとむるなり。又寒中裸参(はだかまゐ)りといふあり、家作にかゝはるすべての職人(しよくにん)の若人(わかうど)らがする事なり。そのすがたは常(つね)より長く作りたる挑灯(てうちん)に日参(につさん)などの文字(もじ)をふとくしるしたるを持(もち)、裸(はだか)にて錞(れい)をふりつゝとくはしりておもひ〳〵にこゝろざす所の神仏へまゐる也。まゐらんとする時はかならず水を浴(あ)ぶ。寒中の夜は幾人(いくたり)も西東へはせありくとかたれり。我国の寒行(かんぎやう)は、事(こと)はこれに似(に)てその行ははなはだ異(こと)也、我国の寒中は所として雪ならざるはなく、寒気(かんき)のはげしき事はまへにいへるがごとし。その雪をふみて毎夜寒念仏又は寒大神まゐりとて、寒中一七日或(ある)ひは三七日、心々に日をかぎりておのれが志す神仏へまうづ。おほくは農人(のうにん)の若人(わかうど)ら商家(しやうか)のめしつかひもあり、ひるは業(いとなみ)をなして夜中にまうづる也。昼のいとなみのあひ〳〵日に三度づゝ水をあぶ、猶あぶるは心々也。禁(きん)じて身を拭(のご)ふ事をせずぬれたるまゝにて衣服(きるもの)を着(ちやく)す。坐(ざ)するには米稿(いねわら)の穂(ほ)の方をくゝしたるを扇のやうにひらきてこれに坐す、(此わらは七五三(しめ)のこゝろとぞ)かりにも常のごとくには居(を)らず。このゆゑに此束(たば)ねたる稿(わら)は帯(おび)にはさみてはなたず。また行(ぎやう)の中は无言(むごん)にて一言(ひとこと)もいはず、又母のほか妻たりとも女の手より物をとらず、精進潔斎(しやうじんけつさい)は勿論(もちろん)也。他の人もかれが腰(こし)にはさみたるわらを見て行者(ぎやうじや)なる事をしり、むごんなれば言語(ことば)をかけず人々つゝしむ事也。これはもし行者にことばをかけ、行者あやまつてことばをいだせば行破(やぶ)れたるゆゑ、はじめより行(ぎやう)をしなほすゆゑ也。又无言(むごん)の行はせざるもあり。さて夜に入れば千垢離(せんこり)をとり、百度目に一遍(へん)づゝかしらより水をあぶるゆゑ十遍水を浴(あぶ)。身をのごはずきるものをあらため雪ふらずとも簑笠(みのかさ)也、あるひはいかなる雪荒(ゆきあれ)にもいとふ事なく鉦(かね)うちならしつゝゆく。これにはかならず同行(どうぎやう)のものある故(ゆゑ)、そのかどにいたりてかねをならせば同行も家にありてかねをうちあいさつとして出(いで)きたる。家に入らざるものは、この行者女にゆきあへば身(み)のけがれとして川に入り、又は井戸をこふて水をあぶる事まへのごとくして身をきよめ、さてまゐるなり。このゆゑに行者の鉦(かね)の音(ね)をきけば女はすべて門(かど)へはいでず、道(みち)にあへば遠(とほ)くにかねのおとをきゝてかくるゝ也。行(ぎやう)の内人の死(し)したるをきけば、たとひ二里三里ある所にても、つねにしる人しらぬ人を論(ろん)ぜず、志願(しぐわん)の所にまうでたる皈(かへ)るさなど、其家にいたりねんごろに回向(ゑかう)す。これをも行(ぎやう)の一ツとす。さるゆゑに不幸(ふかう)ありて日のたゝぬいへにては、行者(ぎやうじや)のきたるをまちてものくはせんなど、いかにも清くして待(まつ)也。寒念仏寒大神まゐりの苦行(くぎやう)あらまし件(くだん)のごとくなれば、他国はしらず、江戸の寒念仏裸(はだか)まゐりに比(たぐ)ふればはなはだ異(こと)也。かゝる苦行(くぎやう)をなすゆゑにや、その利益(りやく)の灼然(いちじるき)事を次にしるしつ。苦行(くぎやう)して祈(いの)ればいづれの神仏も感応(かんおう)ある事を童蒙(どうもう)に示(しめ)す。

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