六十六 泊り山の大猫

北越雪譜 現代語訳
原文現代語訳

わが隣の宿場の関に近い飯士山に続く東に、阿弥陀峰といって木を伐る山がある(村ごとに持ち分の決まりがある)。二月になって雪の降りやんだころ、農夫たちがこの山で木を伐ろうと相談しあい、何日分もの食べ物を用意してその山に入り、場所を見立てて仮に小屋を作り、そこを寝所として、毎日あちこちの木を思うままに伐り取って薪にし、小屋のあたりにたくさん積んでおき、十分になったらそのまま積んでおいて家に帰る。これを「泊まり山」という(山に泊まって仕事をするからである)。さて夏や秋になると積んでおいた薪も乾くので、牛馬を使って薪を家に運んで用にあてるのである。雪の深いところでは雪のあいだは山に入って木を伐ることができないのでするやり方で、わが国で雪のために苦心することの一つである。

このあみだ峰には水がなく、谷川はあるが山から数丈も下を流れていて、翼がなければ汲むことができない。ここに年を経た藤づるが大木に巻きついて、谷川へ垂れ下がっているものがある。泊まり山をして水を汲む者は、樽を背にくくりつけて背負い、この藤づるを頼りに谷川へ下り、水を汲んで樽の口をふさいで背負い、ふたたび藤づるにすがってのぼる。雲にかかる桟道をのぼるようである。泊まり山をする者は、この藤づるがなければ水を汲むことができない。たとえ縄を使ってもこの藤の丈夫さには及ばないだろう。それで泊まり山をする者たちは、このつるを宝のように尊ぶという。

ある年、泊まり山をした者が語ったところでは、「今年の二月に泊まり山をしたとき、連れの者七人があちこちで木を伐っていると、山々に響くほどの大声で猫が鳴いたので、みな恐れおののいて小屋に集まり、手に手に斧を構えて耳をすまして聞くと、その声は近くにあるかと思えば遠くで鳴き、遠いかと思えば近い。たくさんの猫かと思うと、その声はまさしく一匹の猫である。しかし姿はまったく見せない。鳴きやんでから七人の者がおそるおそる近くで鳴いていたところへ行って見ると、凍った雪に踏みこんだ猫の足跡があって、大きさはふつうの丸盆ほどあった」と語った。天地の造ったものに、このようなものはないとも言えない。

私の友人の信濃の人が語ったところでは、同じ土地の人が千曲川へ夏の夜釣りに行くと、人が三人も乗れるほどのちょうどよい岩が水から半分出ていたので、よい釣り場だとこれにのぼって釣り糸を垂れていた。しばらくすると、その岩に手鞠ほどの光るものが二つ並んで出てきた。これは何だと思ううちに、月が雲間から出たのでよく見ると、岩ではなくて大きなひきがえるだった。光っていたものは目であった。この人は生きた心地もせず、何もかも捨てて逃げ去ったと語った。

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