およそ日本国中で第一に雪の深い国は越後だと、昔も今も人の言うことである。しかし越後でも最も雪が深く一丈二丈にも及ぶのは、私の住む魚沼郡である。次に古志郡、次に頸城郡である。そのほかの四郡は、雪の積もり方がこの三郡に比べると浅い。これで論じれば、私の住む魚沼郡は日本第一に雪の深く降るところである。私はその魚沼郡の塩沢に生まれ、毎年十月ごろから翌年の三、四月ごろまで雪を見ることすでに六十年あまり、近ごろこの雪譜を作るのも、雪に閉じこもる慰みである。
○さて私の塩沢は江戸からわずか五十五里である。まっすぐな道で測ればもっと近いだろう。雪のない時なら、足の達者な人は四日もあれば江戸に着くだろう。その江戸の元日を聞くと、お公家や大名屋敷のことは知らないが、町中は家々が千年の松を飾り、まっすぐな御代の竹を立て、太平の注連縄を張りわたし、年始の客が麻裃の肩を並べて行き来するなかに万歳もまじる。女太夫とか鳥追いとかが三味線でめでたい歌をうたい、女の子の羽根つき、男の子の凧、見るもの聞くものめでたいなかに、初日の光がはなやかにさしのぼるのは、まことに新しい年の春と言うべきだ。その元日も、この雪国の元日も同じ元日だが、大都会のにぎわいと田舎の雪の中とでは、景色の違いは雲泥の差である。
○そもそもわが里の元日は、野も山も田んぼも里も平らに一面の雪に埋まり、春を知らせるはずの庭先の梅や柳の類も、去年雪の降らない秋の末に雪を防ぐため丸太などを立てて縄で縛られたまま雪の中にあって、元日の春を知らない。だから人も三、四月にならなければ梅の花を見ない。芭蕉翁が「春もやや景色ととのふ月と梅」と詠んだのは大都会の正月十五日である。また「山里は万歳遅し梅の花」とは田舎の三月のことだろう。門松は雪の中へ立て、注連飾りは雪の軒に張りわたす。年始の客は木の下駄をはき、供の者はわら沓である。雪道に段のあるところへ来ると、主人もわら沓にはきかえる。この下駄やわら沓は年始の客に限らず、人々みなそうである。雪がすっかり消える夏の初めにならなければ草履をはくことはできない。だから元日の初日の光も、ただ雪の銀世界を照らすだけである。一つとして春の景色を見ない。古歌に「花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや」(花ばかり待っているような人に、山里の雪間に萌える草の春を見せたいものだ)とあるのは、雪の浅い都のことだ。雪国の人は春にあって春を知らずに生涯を終える。これを思えば、繁栄して豊かな大都会に住み、年々歳々梅や柳のやわらかな色の春を楽しむのは、まことに天の幸いを受けた人と言うべきだ。