七十二 雪の元日

北越雪譜 原文
原文現代語訳

凡(およそ)日本国中に於て第一雪の深き国は越後なりと古昔(むかし)も今も人のいふ事なり。しかれども越後に於も最(もつとも)雪のふかきこと一丈二丈におよぶは我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまごほり)なり。次に古志(こし)郡、次に頸城(くびき)郡なり。其余(そのよ)の四郡(ぐん)は雪のつもる㕝三郡に比(ひ)すれば浅し。是を以論(ろん)ずれば、我住(わがすむ)魚沼郡は日本第一に雪の深(ふかく)降(ふる)所なり。我その魚沼郡の塩沢(しほさは)に生(うま)れ、毎年十月の頃(ころ)より翌年(よくとし)の三四月のころまで雪を視(みる)事已(すで)に六十余年、近日(このごろ)此雪譜(せつふ)を作るも雪に籠居(こもりをる)のすさみなり。

○さて我(わが)塩沢(しほさは)は江戸を去(さる)こと僅(わづか)に五十五里なり、直道(すぐみち)を量(はから)ばなほ近かるべし。雪なき時ならば健足(たつしや)の人は四日ならば江戸にいたるべし。其江戸の元日を聞(きけ)ば縉紳朱門(しんしんしゆもん)の㕝(こと)はしらず、市中(しちゆう)は千門(もん)万戸(こ)千歳(ちとせ)の松をかざり、直(すぐ)なる 御代(みよ)の竹をたて、太平の七五三(しめ)を引たるに、新年(しんねん)の賀客(れいしや)麻上下の肩(かた)をつらねて往来(ゆきゝ)するに万歳もうちまじりつ。女太夫とか鳥追(とりお)ひの三味線(さみせん)にめでたき哥をうたひ、娘の児(こ)のやり羽子(はご)、男の児(こ)の帋鳶(いかのぼり)、見るもの聞(きく)ものめでたきなかに、初日(はつひ)影(かげ)花やかにさし昇(のぼり)たる、実(げ)に新玉(あらたま)の春とこそいふべけれ。其(その)元日も此雪国の元日も同(おなじ)元日なれども、大都会(たいとくわい)の繁花(はんくわ)と辺鄙(へんひ)の雪中と光景(ありさま)の替(かは)りたる事雲泥(うんでい)のちがひなり。

○そも〳〵我里(わがさと)の元日は野も山も田圃(たはた)も里(さと)も平一面(ひらいちめん)の雪に埋(うづま)り、春を知るべき庭前(ていぜん)の梅柳の類(るゐ)も、去年雪の降(ふら)ざる秋の末に雪を厭(いとひ)て丸太など立て縄縛(なはからげ)に遇(あひ)たるまゝ雪の中にありて元日の春をしらず。されば人も三四月にいたらざれば梅花を不見(みず)、翁が句に 春も稍(やゝ)景色(けしき)とゝのふ月と梅、と吟(ぎん)ぜしは大都会(たいとくわい)の正月十五日なり。また「山里は万歳遅(おそ)し梅の花」とは辺鄙(へんひ)の三月なるべし。門松(かどまつ)は雪の中へ建(たて)、七五三(しめ)かざりは雪の軒(のき)に引わたす。礼者(れいしや)は木屐(げた)をはき、従者(とも)は藁靴(わらぐつ)なり。雪径(みち)に階級(だん〳〵)ある所にいたれば主人もわらぐつにはきかふる、此げたわらぐつは礼者にかぎらず人々皆しかり。雪全(まつた)く消(きゆ)る夏のはじめにいたらざれば、草履(ざうり)をはく事ならず。されば元日の初日影も惟(たゞ)雪の銀世界(せかい)を照(てら)すのみ。一ツとして春の景色(けしき)を不見(みず)。古哥(こか)に「花をのみ待らん人に山里の雪間(ま)の草の春を見せばや」とは雪浅き都(みやこ)の事ぞかし。雪国の人は春にして春をしらざるをもつて生涯(しやうがい)を終(をは)る。これをおもへば繁栄豊腴(はんえいほういゆ)の大都会(たいとくわい)に住(すみ)て年々(ねん〳〵)歳々(せい〳〵)梅柳(ばいりう)媆色(ぜんしよく)の春を楽(たのし)む事実(じつ)に天幸(てんかう)の人といふべし。

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