七十五 羽子擢

北越雪譜 原文
原文現代語訳

(我里俗(りぞく)はねをつくといはずはねをかへすといふ、うちかへすの心なるべし)

江戸に正月せし人の話(はなし)に、市中にて見上るばかり松竹を飾(かざり)たるもとに、美(うつくし)く粧(よそほ)ひたる娘たち彩(いろどり)たる羽子板(はごいた)を持て並(なら)び立て羽子をつくさま、いかにも大江戸の春なりとぞ。我里の羽子擢(つき)は辺鄙(へんひ)とはいひながら、かゝる艶姿(やさしきすがた)にあらず。正月は奴婢(しもべ)どもゝ少(すこ)しは許(ゆるし)て遊をなさしむるゆゑ、羽子(はご)を擢(つか)んとて、まづ其処を見たてゝ雪をふみかためて角力場(すまうば)のごとくになし、羽子は溲疏(うつぎ)を一寸ンほど筒切になし、これに鸐雉(やまどり)の尾を三本さしいれる、江戸の羽子に比(くらぶ)れば甚大なり。これを擢(つく)に雪を掘(ほる)木鋤(こすき)を用ふ、力にまかせて擢ゆゑに空(そら)にあがる㕝甚高し。かやうに大なる羽子ゆゑに童(わらべ)はまじらず、あらくれたる男女うちまじり、はゞきわらぐつなどにて此戯(このたはふれ)をなすなり。一ツの羽子を並(なら)びたちてつくゆゑに、あやまちて取落(とりおと)したるものは始(はじめ)に定ありて、あるひは雪をうちかけ、又は頭(かしら)より雪をあぶする。その雪襟(えり)懐(ふところ)に入りて冷(つめたき)に耐(たへ)ざるを大勢が笑ふ、窗(まど)よりこれを視(み)るも雪中の一興(いつきやう)なり。京伝翁が骨董集(こつとうしふ)に(上編ノ下)下学集(かがくしふ)を引て、羽子板は文化十二年より三百七十年ばかりの前(さき)、文安のころありしものにて、それよりもなほさきにありし事は詳(つまびらか)ならずといはれたり。又下学集には羽子板に(ハゴイタ、コギイタ)と両かなをつけたれば、こぎの子といふも羽子の事なりとあり。我国にも江戸の如くに児女のはねをつく所もあり。

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