(我里俗はねをつくといはずはねをかへすといふ、うちかへすの心なるべし)
江戸に正月せし人の話に、市中にて見上るばかり松竹を飾たるもとに、美く粧ひたる娘たち彩たる羽子板を持て並び立て羽子をつくさま、いかにも大江戸の春なりとぞ。我里の羽子擢は辺鄙とはいひながら、かゝる艶姿にあらず。正月は奴婢どもゝ少しは許て遊をなさしむるゆゑ、羽子を擢んとて、まづ其処を見たてゝ雪をふみかためて角力場のごとくになし、羽子は溲疏を一寸ンほど筒切になし、これに鸐雉の尾を三本さしいれる、江戸の羽子に比れば甚大なり。これを擢に雪を掘木鋤を用ふ、力にまかせて擢ゆゑに空にあがる㕝甚高し。かやうに大なる羽子ゆゑに童はまじらず、あらくれたる男女うちまじり、はゞきわらぐつなどにて此戯をなすなり。一ツの羽子を並びたちてつくゆゑに、あやまちて取落したるものは始に定ありて、あるひは雪をうちかけ、又は頭より雪をあぶする。その雪襟懐に入りて冷に耐ざるを大勢が笑ふ、窗よりこれを視るも雪中の一興なり。京伝翁が骨董集に(上編ノ下)下学集を引て、羽子板は文化十二年より三百七十年ばかりの前、文安のころありしものにて、それよりもなほさきにありし事は詳ならずといはれたり。又下学集には羽子板に(ハゴイタ、コギイタ)と両かなをつけたれば、こぎの子といふも羽子の事なりとあり。我国にも江戸の如くに児女のはねをつく所もあり。