八十 輴

北越雪譜 原文
原文現代語訳

輴(そり)(字彙)禹王(うわう)水を治(をさめ)し時載(のり)たる物四ツあり、水には舟(ふね)、陸(りく)には車、泥(どろ)には輴(そり)、山には欙(かんじき)。(書経註)しかれば此輴(そり)といふもの唐土(もろこし)の上古よりありしぞかし。彼(かれ)は泥行(でいかう)の用なれば雪中に用ふるとは製作(せいさく)異(こと)なるべし。輴(そり)の字、○毳(そり)○蕝(そり)○橇(そり)○秧馬(そり)、諸書(しよしよ)に散見(さんけん)す。或(あるひ)は○雪車(そり)○雪舟(そり)の字を用ふるは俗用(ぞくよう)なり。

そも〳〵此輴(そり)といふ物、雪国第一の用具。人力(じんりき)を助(たすくる)事船と車に同(おなじ)く、且(そのうへ)に作(つく)る事最易(いとやす)きは図(づ)を見て知るべし。堀川百首(ほりかはひやくしゆ)兼昌(かねまさ)の哥に、「初深雪(はつみゆき)降(ふり)にけらしなあらち山越(こし)の旅人(たびびと)輴(そり)にのるまで」この哥をもつても我国にそりをつかふの古(ふるき)をしるべし。前にもしば〳〵いへるごとく、我国の雪冬は凍(こほら)ざるゆゑ、冬に輴(そり)をつかへば雪におちいりて擿(ひく)ことならじ。輴は春の雪鉄石のごとく凍(こほり)たる正二三月の間に用ふべきもの也。其時にいたるを里俗(りぞく)輴道(そりみち)になりしといふ。

俳諧(はいかい)の季寄(きよせ)に雪車(そり)を冬とするは誤(あやま)れり。さればとて雪中の物なれば春の季(き)には似気(にげ)なし。古哥にも多くは冬によめり、実(じつ)にはたがふとも冬として可なり。

輴(そり)は作り易(やすき)物ゆゑ、おほかたは農商(のうしやう)家毎(いへごと)に是を貯(たくは)ふ。されば載(のす)るものによりて大小品々あれども作りやうは皆同じやうなり、名も又おなし。只(たゞ)大なるを里俗に修羅(しゆら)といふ、大石大木をのするなり。

山々の喬木(たかきき)も春二月のころは雪に埋(うづま)りたるが梢(こずゑ)の雪は稍(やゝ)消(きえ)て遠目(とほめ)にも見ゆる也。此時薪(たきゞ)を伐(きる)に易(やす)ければ農人等(のうにんら)おの〳〵輴(そり)を拖(ひき)て山に入る、或はそりをば麓(ふもと)に置(おく)もあり。常には見上る高枝(たかきえだ)も埋(うづま)りたる雪を天然(てんねん)の足場(あしば)として心の儘(まゝ)に伐(きり)とり、大かたは六把(は)を一人まへとするなり。さて下に三把を並(なら)べ、中には二把、上(うへ)には一把、これを縄(なは)にて強く縛(くゝ)し麓(ふもと)に臨(のぞん)で蹉跌(すべらかす)に、凍(こほり)たる雪の上なれば幾百丈の高も一瞬(まばたき)の間(ま)にふもとにいたるを輴(そり)にのせて引(ひき)かへる。或はまた山に九曲(まがりくねり)あるには、件(くだん)のごとくに縛(くゝ)したる薪(たきゞ)の輴(そり)に乗(の)り、片足(かたあし)をあそばせて是にて楫(かぢ)をとり、船を走(はしら)すがごとくして難所(なんじよ)を除(よけ)て数百丈の麓(ふもと)にくだる、一ツも過(あやまつ)ことなし。其術(そのじゆつ)学(まなば)ずして自然(しぜん)に得(う)る処奇々妙々なり。

輴(そり)を引て薪(たきゞ)を伐(きる)こといひあはせて行(ゆく)ときは、二三人の食(しよく)を草にて編(あみ)たる袋にいれて輴(そり)にくゝしおくことあり。山烏(やまからす)よくこれをしりてむらがりきたり、袋をやぶりて食(しよく)を喰尽(くらひつく)す。樵夫(きこり)はこれをしらず、今日の生業(かせぎ)はこれにてたれり、いざや焼飯(やきめし)にせんとて打より見れば一粒(つぶ)ものこさず、烏(からす)どもは樹上(きのうへ)にありて啼(なく)。人はむなしく烏を睨(にらみ)て詈(のゝし)り、空肚(へりたるはら)をかゝへて輴哥(そりうた)もいでず、輴をひきてかへりし事もありしと、その人のかたりき。

そりをひくにはかならずうたうたふ、是を輴哥(そりうた)とてすなはち樵哥(せうか)なり。唱哥(しやうが)の節(ふし)も古雅(こが)なるものなり。親(おや)あるひは夫(おつと)山に入り輴(そり)を引てかへるに、遠く輴哥(そりうた)をきゝて親夫(おやをつと)のかへるをしり、輴(そり)に遇(あふ)処までむかへにいで、親夫をば輴に積(つみ)たる薪(たきゞ)に跨(またがら)せて、妻(つま)や娘(むすめ)がこれをひきつゝ、これらも又輴哥をうたうてかへるなど、質朴(しつぼく)の古風(こふう)今目前(もくぜん)に存(そん)せり。是繁花(はんくわ)をしらざる幽僻(いうへき)の地なるゆゑなり。

春もやゝ景色とゝのふといひし梅も柳も雪にうづもれて、花も緑(みどり)もあるかなきかにくれゆく。されど二月(きさらぎ)の空(そら)はさすがにあをみわたりて、朗々(のどか)なる窓(まど)のもとに書読(ふみよむ)をりしも遙(はるか)に輴哥(そりうた)の聞(きこゆ)るはいかにも春めきてうれし。是は我のみにあらず、雪国の人の人情(にんじやう)ぞかし。

百樹(もゝき)曰(いはく)、我が幼年(えうねん)の頃は元日のあしたより扇々と市中をうりありく声(こゑ)、あるひは白酒々の声も春めきて心も朗(のどか)なりしが此声今はなし。鳥追の声はさらなり、武家のつゞきて町に遠所には江鰶(こはだ)の鮨(すし)鯛(たひ)のすしとうる声今もあり、春めくもの也。三月は桜草うる声に花をおもひ、五月は鰹々(かつを〳〵)に白妙(しろたへ)の垣根をしたふ。七夕の竹ヤ々々は心涼しく、師走(しはす)の竹ヤ〳〵は(すゝはらふ竹うりなり)聞(きく)に忙(せはし)。物皆季に応(おう)じて声をなし、情に入る事天然の理なり。胡笳(こか)の悲(かなしみ)も又然らん。件(くだん)のは人の声なり、ましてや春の鶯あるひは蛙、夏の蝉、秋の初雁、鹿、虫の音(ね)、冬の水鵲(ちどり)をや。本編(ほんへん)輴哥(そりうた)をきゝ春めきてうれしとは真境実事(しんきやうじつじ)文客の至情なり、我是に感(かん)じてこゝに数言(すげん)を置(お)く。輴哥(そりうた)の春めくこと江戸人にはおもひもよらざる奇情なり、これに似たる事猶諸国にもあるべし。

糞(こやし)をのする輴哥(そり)あり、これをのするほどに小(ちひさ)く作りたる物なり。二三月のころも地として雪ならざるはなく、渺々(びやう〳〵)として田圃(たはた)も是下(このした)に在(あ)りて持分(もちぶん)の境(さかひ)もさらにわかちがたし。しかるにかの糞(こやし)のそりを引てこゝに来り、雪のほかに一点(てん)の目標(めじるし)もなきに雪を掘(ほる)こと井を掘が如くにして糞(こやし)を入るに、我田の坪にいたる事一尺をもあやまらず、これ我が農奴等(のうぬら)もする事なり。茫々(ばう〳〵)たる雪上何を目的(めあて)にしてかくはするぞと問(と)ひしに、目あてとする事はしらず、たゞ心にこゝぞとおもふ所その坪にはづれし事なしといへり。所為(しわざ)は賤(いやし)けれども芸術(げいじゆつ)の極意(ごくい)もこゝにあるべくぞおもはるゝゆゑに、こゝにしるして初学(しよがく)の人芸(げい)に進(すゝむ)の一端(はし)を示(しめ)す。

輴(そり)の大なるを里言(りげん)に修羅(しゆら)といふ事前にもいへり、これに大材木あるひは大石をのせてひくを大持(だいもち)といふ。ひとゝせ京都本願寺御普請の時、末口五尺あまり長さ十丈あまりの槻(けやき)を拖(ひき)し事ありき。かゝる時は修羅(しゆら)を二ツも三ツもかくるなり。材木は雪のふらざる秋伐(き)りてそのまゝ山中におき、輴(そり)を用ふる時にいたりてひきいだす。かゝる大材をも拖(ひく)をもつて雪の堅(かたき)をしるべし。田圃(はた)も平一面の雪なればひくべき所へ直道(すぐみち)にひきゆくゆゑ甚弁(べん)なり。修羅(しゆら)に大綱(つな)をつけ左右に枝綱(えだつな)いくすぢもあり、まつさきに本願寺御用木といふ幟(のぼり)を二本持(も)つ、信心の老若男女童等(わらべら)までも蟻(あり)の如くあつまりてこれをひく。木やり音頭取(おんどとり)五七人花やかなる色木綿(いろもめん)の衣類(いるゐ)に彩帋(いろがみ)の麾(ざい)採(とり)て材木の上にありて木やりをうたふ。その哥(うた)の一ツにハア〽うさぎ〳〵児兎(こうさぎ)ハアヽ〽わが耳はなぜながいハアヽ〽母の胎内(たいない)にいた時に笹(さゝ)の葉(は)をのまれてハアア〽それで耳がながい〽大持がうかんだハアア〽花の都(みやこ)へめりだした(いく百人同音に)〽いゝとう〳〵〽そのこゑさまさずやつてくれ〽いゝとう〳〵〳〵。

児曹(こども)らが手遊の輴(そり)もあり。氷柱(つらゝ)の六七尺もあるをそりにのせて大持の学びをなし、木やりをうたひ引あるきて戯れあそぶなど、暖国(だんこく)にはあるまじく聞(きゝ)もせざる事なるべし。猶輴(そり)に種々の話(はなし)あれどもさのみはとてもらせり。

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