八十四 削氷

北越雪譜 原文
原文現代語訳

百樹曰、余丁酉の年の晩夏豚児(せがれ)京水を従(したがへ)て北越に遊(あそび)し時、三国嶺(みくにたふげ)を踰(こえ)しは六月十五日なりしに、谷の底(そこ)に鶯をきゝて、

足(あし)もとに鶯を聞く我もまた谷わたりするこし(越)の山ぶみ

拙作(せつさく)なれども実境(じつきやう)なれば記(しる)す。此嶺(たふげ)うちこし四里山径(やまみち)隆崛(りうくつ)して数武(すぶ)も平坦(へいたん)の路を践(ふま)ず浅貝(あさかひ)といふ駅(えき)に宿(やど)り猶(なほ)○二居嶺(ふたゐたふげ)(二リ半)を越(こえ)て三俣(みつまた)といふ山駅(さんえき)に宿し、芝原嶺(しばはらたふげ)を下り湯沢(ゆさは)に抵(いたら)んとする途(みち)にて遙(はるか)に一楹(いちえい)の茶店(さてん)を見る。庇(ひさし)のもとに床(ゆか)ありて浅き箱やうのものに白く方(かく)なる物を置(おき)たるは、遠目(とほめ)にこれ石花菜(ところてん)を売ならん、口には上(のぼ)らずとおもひながらも、山をはなれて暑もはげしく汗(あせ)もしとゞに足もつかれたれば茶店(さてん)あるがうれしく、京水とともにはしりいりて腰をかけ、かの白き物を見ればところてんにはあらで雪の氷なりけり。六月に氷をみる事江戸の目には最珍(いとめづら)しければ立よりて熟視(よくみれ)ば、深さ五寸計(ばかり)の箱に水をいれその中に小(ちひさ)き踏石(ふみいし)ほどの雪の氷をおきけり。売茶翁(ちやをうるおきな)に問ば、これは山蔭(やまかげ)の谷にあるなり、めしたまはゞすゝめんといふ。さらばとて乞(こ)ひければ翁(おきな)菜刀(なきりはうてう)を把(とり)、盎(さら)のなかへさら〳〵と音(おと)して削(けづ)りいれ、豆の粉(こ)をかけていだせり。氷に黄(き)な粉(こ)をかけたるは江戸の目には見も慣(なれ)ず可笑(をかし)ければ、京水と相目(あひもく)して笑(わらひ)をしのびつゝ、是は価(あたひ)をとらすべし、今ひとさらづゝ豆の粉をかけざるをとて、両掛(りやうがけ)に用意(ようい)したる沙糖(さたう)をかけたる削氷(けづりひ)に、歯もうくばかり暑をわすれたるは珍(めづら)しき事いはんかたなし。

そも〳〵このけづり氷(ひ)といふ物を珍味(ちんみ)とする事古書(こしよ)に散見(さんけん)せしその中に、定家卿の明月記に曰『元久二年七月廿八日途(みち)より和哥所(わかどころ)に参(まゐ)る、家隆朝臣(かりうあそん)唐櫃二合(からひつふたつ)を取寄(とりよせ)らる、○破子(わりご)○瓜(うり)○土器(かはらけ)○酒等(さけとう)あり、又寒氷(かんひやう)あり自(みづから)刀(たう)を取(と)り氷を削(けづら)る、興(きやう)に入る事甚し』(本書は漢文也)件(くだん)の元久二年乙丑より今天保十一年まで凡六百三十余年を歴(へ)て、古人の如く削氷(けづりひ)を越後の山村(さんそん)に賞味(しやうみ)したる事珍(ちん)とすべし奇とすべし。実(じつ)に好古(こうこ)の肝(きも)を清(きよ)くす。

○按(あんずる)にひといふは冰(こほり)の本訓(ほんくん)、こほりと訓(よむ)は寒凝(こゞえこる)の義なりと士清翁が和訓栞(わくんかん)にいへり。氷室(ひむろ)といふ事、俳諧の季寄(きよせ)といふものなどにもみえたれば普(あまねく)人(ひと)の知りたる事にて、周礼にもいでたれば唐土のむかしにもありしことなり。 御国(みくに)は仁徳紀に見えたればその古きを知るべし。延喜式(えんぎしき)に山城国葛城郡(かつらきごほり)に氷室(ひむろ)五ヶ所をいだせり、六月朔日氷室より氷をいだして朝庭(てうてい)に貢献(こうけん)するを、諸臣(しよしん)にも頒賜(わかちたまふ)事年毎(としごと)の例(れい)なるよしなり。前に引し明月記の寒氷(かんひやう)は朝庭よりの古例(これい)の賜(たまもの)にはあるべからず、いかんとなれば削氷(けずりひ)を賞味せられしは七月廿八日なり、六月朔日にたまはりたる氷、七月廿八日まで消(きえ)ずやあるべき。明月記は千写(しや)百摹(も)の書なれば七は六の誤(あやまり)としても氷室を出(いで)し六月の氷朝(あした)を待(まつ)べからず。盖(けだし)貢献(こうけん)の後氷室守(ひむろもり)が私に出(いだ)すもしるべからず。

○さて氷室(ひむろ)とは厚氷(あつきこほり)を山蔭などの極陰(ごくいん)の地中に蔵置(おさめおき)、屋(いへ)を作りかけて守らす、古哥にもよめる氷室守(ひむろもり)是なり。其氷室(ひむろ)は水の氷(こほり)ををさめおくやうに諸書(しよしよ)の注釈(ちゆうしやく)にも見えしが、水の氷れるは不潔(ふけつ)なり、不潔をもつて貢献(こうけん)にはなすべからず。且水の冰(こほり)は地中に在(あ)りても消易(きえやすき)ものなり、是(これ)他(た)なし、水は極陰の物なるゆゑ陽に感(かん)じ易(やすき)ゆゑなり。我越後に削氷(けづりひ)を視て思(おもふ)に、かの谷間(たにあひ)に在(あり)といひしは天然(てんねん)の氷室なり。むかしの冰室といふは雪の氷(こほ)りむろなるべし。極陰の地に竅(あな)を作り、屋を造(つく)り掛(かけ)、別に清浄(しやう〴〵)の地に垣(かき)をめぐらして、人に踏(ふま)せず、鳥獣(てうじう)にも穢(けが)させず、而(しかして)雪を待(まち)、雪ふれば此地の雪をかの竅(あな)に撞(つき)こめ埋(うづ)め、人是を守り、六月朔日是を開(ひらき)、最(もつとも)清浄(しやう〴〵)なる所を貢献(こうけん)せしならん歟(か)。是己(おのれ)が臆断(おくだん)を以て理に就(つい)て古(いにしへ)の氷室を解(かい)するなり。

○氷室の古哥枚挙(あげつくす)べからず。かの削氷を賞味し玉ひたる定家に(拾遺愚艸)「夏ながら秋風たちぬ氷室山こゝにぞ冬をのこすとおもへば」又源の仲正に(千載集)「下たさゆる氷室の山のおそ桜きえのこりたる雪かとぞ見る」この哥氷室山のおそ桜を消残(きえのこ)りたる雪に見たてたる一首の意(こゝろ)、氷室は雪の氷なるべくぞおもはるゝ。今加州侯毎年六月朔日雪を献(けん)じ玉ふも雪の氷なり。これにても古(いにしへ)の氷室は雪の氷なるをおもふべし。

○さてかの茶店(さてん)にて雪の氷をめづらしとおもひしに、その次日より塩沢(しほざは)の牧之(ぼくし)老人が家に在(あり)しに、日毎に氷々(こほり〳〵)とよびて売来る、山家(やまが)の老婆(らうば)などなり。掌(こぶし)ほどなるを三銭にうる、はじめは二三度賞味せしがのちには氷ともおもはざりき。およそ物の得(え)がたきは珍(めづ)らしく、得易(えやすき)はめづらしからざるは人情(にんじやう)の恒(つね)なり。塩沢に居て六月の氷のめづらしからざりしをおもへば、吉野の人はよしのゝ花ともおもはず、松嶋の人は松嶋の月ともおもふまじ。たゞいつまでも飽(あか)ざる物は孝心なる我子の顔(かほ)と、蔵置(をさめおく)黄金(こがね)の光(ひかり)なるべし。

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