八十五 雪の多少

北越雪譜 原文
原文現代語訳

越後国南は上州に隣(とな)る魚沼郡(うをぬまごほり)なり。東は奥州羽州へ隣(とな)る蒲原郡(かんばらごほり)岩船(いはふね)郡なり。国堺(くにさかひ)はいづれも連山波濤(れんざんはたう)をなすゆゑ雪多し。東北は鼠(ねずみ)が関(岩船郡の内出羽のさかひ)西(にし)は市振(いちふり)(頸城郡の内越中の堺)に至(いたる)の道八十里が間都(すべ)て北の海浜(かいひん)なり。海気によりて雪一丈にいたらず(年によりて多少あり)又消(きゆる)も早し。頸城(くびき)郡の高田は海を去(さる)事遠からざれども雪深し。文化のはじめ大雪の時高田の市中(町のながさ一リにあまる)雪に埋(うづま)りて闇夜(あんや)のごとく、昼夜(ちうや)をわかたざる事十余日、市中燈(ともしび)の油尽(つき)て諸人難義せしに、御領主(りやうしゆ)より家毎に油を賜(たま)ひし事ありき。此時我塩沢も大雪にて、夜昼をしらず家雪にうづまりて日光を見ざる事十四五日(連日ふゞきなるゆゑ雪をほる事ならず家うづまりてくらきなり)人気欝悶(うつもん)して病をなすにいたれるもありけり。

百樹曰、余牧之老人が此書の稿本(かうほん)に就(つき)て増修(ぞうしう)の説(せつ)を添(そへ)、上梓(じやうし)の為(ため)に傭書(ようしよ)へ授(さづく)る一本を作るをりしも、老人が寄(よせ)たる書中に、

「当年は雪遅(おそ)く冬至に成候ても駅中(えきちゆう)の雪一尺にたらず、此日次(ひなみ)にては今年は小雪ならんと諸人一統悦び居候所に廿四日(十一月なり)黄昏(たそがれ)より降(ふり)いだし、廿五六七八九日まで五日の間昼夜(ちうや)につもる事およそ一丈四五尺にもおよび申候。毎年の事ながら不意の大雪にて廿七日より廿九日まで駅中(えきちう)家毎の雪掘(ぼり)にて混雑(こんざつ)いたし、簷外(えんぐわい)急(たちまち)玉山を築(きづき)戸外へもいでがたく悃(こま)り申候。今日も又大雪吹(ふゞき)に相成、家内暗(くら)く蝋燭(らふそく)にて此状をしたゝめ申候。何程可降哉(ふるべくや)難計(はかりがたく)一同心痛いたし居申候」(下略)是当年(天保十亥とし)十一月廿九日出の尺翰(てがみ)なり。此文をもつても越後の雪を知るべし。

○余越後の夏に遇(あひ)しに、五穀(こく)蔬果(そくわ)の生育(そだち)少しも雪を畏(おそれ)たる色なし。山景野色(さんけいやしよく)も雪ありしとはおもはれず、雪の浅き他国に同じ。五雑組(ござつそ)に(天部)百草雪を畏(おそれ)ずして霜を畏る。盖(けだし)雪は雲に生(しやう)じて陽位(やうゐ)也、霜は露(つゆ)に生じて陰位(いんゐ)也といへり。越後の夏を視(み)て謝肇淛(しやでうせつ)が此説(せつ)に伏(ふく)せり。

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