八十六 浦佐の堂押

北越雪譜 原文
原文現代語訳

我住塩沢より下(しも)越後の方へ二宿越(こえ)て(六日町五日町)浦佐(うらさ)といふ宿あり。こゝに普光寺(ふくわうじ)といふ(真言宗)あり、寺中に七間四面の毘沙門堂(びしやもんだう)あり。伝(つたへ)ていふ、此堂大同二年の造営(ざうえい)なりとぞ。修復(しゆふく)の度毎(たびごと)に棟札(むねふだ)あり、今猶歴然(れきぜん)と存(そん)す。毘沙門の御丈(みたけ)三尺五六寸、往古(わうご)椿沢(つばきざは)といふ村に椿の大樹(たいじゆ)ありしを伐て尊像(そんざう)を作りしとぞ。作名(さくめい)は伝(つたは)らずときゝぬ。像材(ざうざい)椿なるをもつて此地椿を薪(たきゞ)とすればかならず祟(たゝり)あり、ゆゑに椿を植(うゑ)ず。又尊灵(そんれい)鳥を捕(とる)を忌(いみ)玉ふ、ゆゑに諸鳥寺内に群(ぐん)をなして人を怖(おそれ)ず、此地の人鳥を捕かあるひは喰(くらへ)ば立所(たちどころ)に神罰(しんばつ)あり。たとひ遠郷(ゑんきやう)へ聟(むこ)娵(よめ)にゆきて年を歴(へ)ても鳥を喰(しよく)すれば必凶応(あしきこと)あり、灵験(れいげん)の煕々(あきらか)たる事此一を以て知るべし。されば遠郷(ゑんきやう)近邑(きんいう)信仰(しんかう)の人多し。むかしより此毘沙門堂に於て毎年正月三日の夜に限(かぎ)りて堂押(だうおし)といふ事あり、敢(あへて)祭式(さいしき)の礼格(れいかく)とするにはあらねど、むかしより有来(ありきたり)たる神事(じんじ)なり。正月三日はもとより雪道なれども十里廿里より来りて此浦(うら)佐に一宿し、此堂押(だうおし)に遇(あふ)人もあれば近村(きんそん)はいふもさらなり。

○さて押(おし)に来(きた)りし男女まづ普光寺(ふくわうじ)に入りて衣服(いふく)を脱了(ぬぎすて)、身に持たる物もみだりに置棄(おきすて)、婦人(ふじん)は浴衣(ゆかた)に細帯(ほそおび)まれにははだかもあり、男は皆裸(はだか)なり。燈火(ともしび)を点(てん)ずるころ、かの七間四面の堂にゆかた裸(はだか)の男女推(おし)入りて、錐(きり)をたつるの地なし。余(よ)も若かりしころ一度此堂押にあひしが、上へあげたる手を下へさぐる事もならざるほどに逼(せま)り立(たち)けり。押(おす)といふは誰(たれ)ともなくサンヨウ〳〵と大音(だいおん)に呼(よば)はる声(こゑ)の下に、堂内に充満(みち〳〵)たる老若男女ヲヽサイコウサイとよばはりて北より南へどろ〳〵と押、又よばはりて西より東へおしもどす。此一おしにて男女倶(とも)に元結(もとゆひ)おのづからきれて髪(かみ)を乱(みだ)す㕝甚奇(き)なり。七間四面の堂の内に裸(はだか)なる人こみいりてあげたる手もおろす事ならぬほどなれば、人の多さはかりしるべし。此諸人の気息(いき)正月三日の寒気ゆゑ烟(けふり)のごとく霧(きり)のごとく照(てら)せる神燈(じんとう)もこれが為(ため)に暗(くら)く、人の気息(いき)屋根うらに露(つゆ)となり雨のごとくに降(ふり)、人気破風(はふ)よりもれて雲の立のぼるが如し。婦人稀(まれ)には小児を背中(せなか)にむすびつけて押(おす)も有(あれ)ども、この小児啼(なく)ことなきも常とするの不思議(ふしぎ)なり。況(いはんや)此堂押にいさゝかも怪瑕(けが)をうけたる者むかしより一人もなし。婦人のなかには湯具(ゆぐ)ばかりなるもあれど、闇処(くらきところ)に噪雑(わやくや)して一人もみだりがましき事をせず、これおの〳〵毘沙門天(びしやもんでん)の神罰(しんばつ)を怖(おそる)るゆゑなり。裸(はだか)なる所以(ゆゑん)は人気(じんき)にて堂内の熱(ねつ)すること燃(もゆる)がごとくなるゆゑ也。願望(ぐわんまう)によりては一里二里の所より正月三日の雪中寒気肌(はだへ)を射(いる)がごときをも厭(いとは)ず、柱(はしら)のごとき氷柱(つらゝ)を裸身(はだかみ)に脊負(せおひ)て堂押にきたるもあり。二タおし三おしにいたればいかなる人も熱(あつき)こと暑中のごときゆゑ、堂のほとりにある大なる石の盥盤(てうづばち)に入りて水を浴(あ)び又押に入るもあり。一ト押おしては息(いき)をやすむ、七押七踊(をどり)にて止(やむ)を定(さだめ)とす。踊(をどり)といふも桶(をけ)の中(うち)に芋(いも)を洗(あら)ふがごとし。ゆゑに人みな満身(みうち)に汗(あせ)をながす。第七をどり目にいたりて普光寺(ふくわうじ)の山長(やまをとこ)(耕夫(さくをとこ)の長をいふ)手に簓(さゝら)を持(もち)、人の手輦(てぐるま)に乗(のり)て人のなかへおし入り大音(だいおん)にいふ。「毘沙門さまの御前(おんまへ)に黒雲(くろくも)が降(さがつ)た(モウ)」 (衆人(おほぜい))「なんだとてさがつた(モウ)」(山男)「米(よね)がふるとてさがつた(モウ)」とさゝらをすりならす。此さゝら内へ摺(すれ)ば凶作(きようさく)なりとて外(そと)へ〳〵とすりならす。又志願(しぐわん)の者兼(かね)て普光寺(ふくわうじ)へ達しおきて、小桶に神酒(みき)を入れ盃(さかづき)を添(そへ)て献(けん)ず。山男挑燈(てうちん)をもたせ人をおしわくる者廿人ばかりさきにすゝみて堂に入る。此盃手に入れば幸(さいはひ)ありとて人の濤(なみ)をなして取んとす。神酒(みき)は神に供(くう)ずる状(かたち)して人に散(ちら)し、盃は人の中へ擲(なぐ)る、これを得(え)たる人は宮を造(つく)りて祭(まつ)る、其家かならずおもはざるの幸福あり。此てうちんをも争(あらそ)ひ奪(うば)ふにかならず破(やぶ)る、その骨(ほね)一本たりとも田の水口(みなくち)へさしおけば、この水のかゝる田は熟実(みのりよく)虫のつく事なし。神灵(しんれい)のあらたかなる事あまねく人の知る所なり。神事(じんじ)をはれば人々離散(りさん)して普光寺に入り、初(はじめ)棄置(すておき)たる衣類(いるゐ)懐中(くわいちゆう)物を視(み)るに鼻帋(はながみ)一枚だに失(うす)る事なし、掠(かすむ)れば即座(そくざ)に神罰(しんばつ)あるゆゑなり。

○さて堂内人散(さん)じて後、かの山長(やまをとこ)堂内に苧幹(をがら)をちらしおく㕝例(れい)なり。翌朝(よくてう)山長(おとこ)神酒(みき)供物(くもつ)を備(そな)ふ、後(うしろ)さまに進(すゝみ)て捧(さゝ)ぐ、正面にすゝむを神の忌(いみ)給ふと也。昨夜(さくや)ちらしおきたる苧幹(をがら)寸断(ずた〳〵)に折(をれ)てあり、是(これ)人(ひと)散(さんじ)てのち諸神(しよじん)こゝに集(あつま)りて踊(をどり)玉ふゆゑ、をがらを踏(ふみ)をり玉ふなりといひつたふ。神事(かみごと)はすべて児戯(じぎ)に似(に)たること多し、しかれども凡慮(ぼんりよ)を以て量識(はかりしる)べからず。此堂押に類(るゐ)せし事他国にもあるべし、姑(しばらく)記(しる)して類(るゐ)を示(しめ)す。

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