吾が住塩沢は下組六十八ヶ村の郷元なれば、郷元を与り知る家には古来の記録も残れり。其旧記の中に元文五年庚申(今より百年まへ)正月廿三日暁、湯沢宿の枝村掘切村の后の山より雪頽不意に押落し、其响百雷の如く、百姓彦右ヱ門浅右ヱ門の両家なだれにうたれて家つぶれ、彦右ヱ門并に馬一疋即死、妻と嗣息は半死半生、浅右ヱ門は父子即死、妻は梁の下に圧れて死にいたらず。此時 御領主より彦右ヱ門息へ米五俵、浅右ヱ門妻へ米五俵賜し事を記しあり。此魚沼郡は大郡にて 会津侯御預りの地なり。元文の昔も今も 御領内の人民を怜玉ふ事仰ぐべく尊むべし。そのありがたさを吾が后へも示さんとて筆の序にしるせり。近年は山家の人、家を作るに此雪頽を避て地を計るゆゑその難まれなれども、山道を往来する時なだれにうたれ死するもの間ある事なり。初編にもいへるが如く、○ホウラは冬にあり、雪頽は春にあり。他国の人越後に来りて山下を往来せばホウラなだれを用心すべし。他国の人これに死したる石塔今も所々にあり、おそるべし〳〵。
八十八 雪頽の難
北越雪譜 原文
原文現代語訳