九十 竜燈

北越雪譜 現代語訳
原文現代語訳

筑紫の不知火というものは古歌にもたくさん詠まれていて、昔からその名が高く、広く人の知るところである。そのありさまは、春暉が『西遊記』に不知火を見たとしてくわしく記している。その不知火というのも、世にいう竜灯の類だろう。わが国の蒲原郡に鎧潟といって(方言で湖を潟という)、東西一里半、南北一里の湖があり、毎年二月の中の午の日の夜、酉の下刻(午後七時ごろ)から丑の刻(午前二時ごろ)ごろまで水の上に火が燃えるのを、土地の人は「鎧潟の万灯」といって群がって見る人が多い。私の友人がこれを見たのを聞くと、あの『西遊記』に記した筑紫の不知火と同じありさまである。近年、湖の水を北の海へ落として新田にしたので、湖の中の万灯も今は人家の億の灯になった。

またわが国の八海山は頂に八つの池があり、それで山の名とする。頂上に八海大明神の社があり、八月一日を縁日として山にのぼる人が多い。この夜に限って竜灯がある。その来るところを見た人はいないという。およそ竜灯というものはたいてい春・夏・秋である。諸国にあることを諸書に記したのを見ると、どれも同じありさまで、海からも出、山からもくだる。毎年その日その時刻に決まりがあるのははなはだ不思議である。竜神から神仏へ供えるというのがふつうの説だが、ここに珍しい竜灯の話がある。少しは竜灯を解き明かす説なので、しばらく記して物好きの人の茶飲み話に供する。

わが国の頸城郡の米山の麓にある医王山米山寺は、和銅年間の創建である。山の頂に薬師堂があり、山中は女人禁制である。この米山の中腹を米山峠といって、越後の北の海沿いの街道である。このあたりには古跡が多い。私が先年その古跡を訪ねようと下越後に遊んだとき、新道村の庄屋の飯塚知義の話に、「ある年の夏、雨乞いのために村の者たちを連れて米山へのぼったが、薬師へ参詣する人が山ごもりするために御鉢というところに小屋が二つあり、その小屋に一泊したところ、この日は六月十二日で、この御鉢というところに竜灯のあがる夜だった。思いがけず竜灯を見ることよと、人々が静まっていると、酉の刻(午後六時ごろ)と思うころ、どこからともなくやって来て集まった。大きいものは手鞠のよう、小さいものは鶏の卵のようである。大小ともこの御鉢というあたりを離れずに飛びまわり、あるいはゆるやかに、あるいは走るように、そのさまは心があって遊んでいるようだった。その光は蛍の火の色に似ている。強く光るものも、弱く光るものもある。舞いめぐってしばらくもとどまるものはなく、たくさんあって数えきれない。はじめから小屋の入り口を閉め、人々がひっそりとのぞいていたので、ここに人がいるとも思わないようで、大小の竜灯が二つ三つ、小屋の前七、八間先まで進んできた。その光にすかして見ると、形は鳥のように見え、光はのどの下から放っているようである。もっと近くに寄れば形も確かに見届けられるだろうと思ったが、近くには寄らずにゆるやかに飛びめぐっていた。この夜は山中に一泊するつもりだったので、用心のために鉄砲も持たせていたが、腕ききの名手で、しかも若者だったのが、光を的に撃とうとするのを、老人がいて『これ待て』と押しとどめ、『ああもったいない。この竜灯は竜神から薬師如来へ捧げられるものだ。罰当たりめ』と叱った声に、竜灯は驚いたようにはるか遠くへ飛び去った」と知義が語られた。

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