吾が同郡岡の町の旧家村山藤左ヱ門は余が壻の兄なり。此家に先代より秘蔵する亀の化石あり、伝ていふ、近き山間の土中より掘得といふ、実に化石の奇品なり、茲に図を挙て弄石家の鑒を俟。
百樹曰、件の図を視るに常にある亀とは形状少しく異なるやうなり。依て案るに、本草に所謂秦亀一名筮亀あるひは山亀といひ、俗に石亀といふ物にやあらん。秦亀は山中に居るものなり、ゆゑに呼で山亀といふ。春夏は渓水に遊び秋冬は山に蔵る、極て長寿する亀は是なりとぞ。又筮亀と一名するは周易に亀を焼て占ひしも此亀なりとぞ。件の亀の化石、本草家の鑒定を得て秦亀ならば一層の珎を増べし。山にて掘得たりとあれば秦亀にちかきやうなり。化石といふものあまた見しに、多は小きものにてあるひはまた体全も稀なり。図の化石は体全く且大なり、珎とすべし。
○余先年俗にいふ大和めぐりしたるをり、半月あまり京にあそび、旧友の画家春琴子に就て諸名家をたづねし時、鴻儒の聞高き頼先生(名襄、字子成、山陽と号、通称頼徳太郎)へも訪ひ、坐談化石の事におよび、先生余に蟹の化石一枚を恵。その色枯ずして生が如く、堅硬ことは石なり。潜確類書又本草三才図会等にいへる石蟹泥沙と倶に化して石になりたるなるべし。盆養する石菖の下におくに水中に動が如し。亀の徒者に其図を出す、是も今は名家の形見となりぬ。