九十四 夜光玉

北越雪譜 原文
原文現代語訳

雲根志(うんこんし)灵異(れいい)の部に曰、予(よ)が隣家(となり)に壮勇(さうゆう)の者あり儀兵衛といふ。或時田上谷(たがみだに)といふ山中に行(ゆき)て夜更(よふけ)て皈(かへ)るに、むかうなる山の澗底(たにそこ)より青く光り虹(にじ)の如く昇(のぼり)てすゑは天(そら)に接(まじは)る。此男勇漢(ゆうかん)なれば无(む)二无(む)三に草木を分けて山を越、谷をわたりてかの根元(こんげん)をさぐりみるに、たゞ何の異(ことな)る事もなき石なり。ひろひとりて背(せ)に負(お)ひ皈(かへ)るに道すがら光ること前の如し。甚だ夜道の労(らう)をたすかり、暁(あかつき)の頃(ころ)我が家に着ぬ。件(くだん)の石を軒(のき)の外(そと)に直(なほ)し置(おき)、朝飯などしたゝめて彼の石を見んとするに石なし、いかにせし事やらんとさま〴〵にたづねもとむれども行方しれずとなん。又本国甲賀郡(かふかこほり)石原(いしはら)潮音寺(てうおんじ)和尚のものがたりに、近里の農人畑(はた)を掘居(ほりゐ)しに拳(こぶし)ほどなる石をほりいだせり、此石常の石よりは甚だうつくし、よつて取りかへりぬ、夜に入りて光ること流星(りうせい)の如し。友のいふ、是は灵石(れいせき)なり、人の持ものにあらず、家にあらば必災(わざはひ)あるべし、はやく打やぶりてすつべしと。これをきゝて斧(をの)をもつて打砕(うちくだき)しを竹やぶの中へすてたり、其夜竹林一面に光る事数万の螢火の如し。翌朝(よくてう)近里の人きゝつたへて集(あつま)り来り、竹林をたづねみるに少しのくづまでも一石も有る事なし。又筑后国(ちくごのくに)上妻(あがつま)郡の人用ありて夜中近村へ行に一ツの小川あり、かちわたりせしに、なにやらん光る物あり、拾ひとりてみれば小石なり、翌日さる方へ献ず、しばらくして失たりとぞ。(以上一条全文)是等(これら)は他国の事なり、我が越后(ゑちご)にも夜光の玉のありし事あり。新発田(しばた)より(蒲原郡)東北加治(かぢ)といふ所と中条といふ所の間路(みち)の傍(かたはら)田の中に庚申塚あり、此塚の上に大さ一尺五寸ばかりの円(まろき)石を鎮(ちん)してこれを礼(まつ)る。此石その先農夫(せんのうふ)屋(いへ)の后(うしろ)の竹林を掃除(さうぢ)して竹の根など掘(ほ)るとてかの石一ツを掘得(ほりえ)たり。その色青みありて黒く甚だなめらかなり、農夫(のうふ)これをもつて藁(わら)をうつ盤(ばん)となす、其夜妻庭(には)に出(いで)しに燦然(さんぜん)として光る物あり、妻妖怪(ばけもの)なりとして驚(おどろき)叫(さけぶ)。家主(あるじ)壮夫(わかもの)三五人を伴(ともな)ひ来りて光る物を打(うつ)に石なり、皆もつて怪(くわい)とし石を竹林に捨つ、その石夜毎(よごと)に光りあり、村人おそれて夜行ものなし。依て此石を庚申塚に祭り上に泥土(どろ)を塗(ぬり)て光をかくす、今猶(なほ)苔(こけ)むしてあり。好事(かうず)の人この石を乞(こ)へども村人(そんじん)祟(たゝり)あらん㕝を惧(おそれ)てゆるさずとぞ。又駒(こま)が岳(たけ)の麓(ふもと)大湯村と橡尾(とちを)村の間を流るゝ渓(たに)川を佐奈志(さなし)川といふ、ひとゝせ渇水(かつすゐ)せし頃水中に一点(てん)の光あり、螢の水にあるが如し。数日処を移(うつ)さず、一日暴風(ばうう)に水増(まし)て光りし物所を失(うしな)ふ、后(のち)四五町川下に光りある物螢火(けいくわ)の如し。此地山中なれば村夫等(そんふら)昏愚(こんぐ)にして夜光の玉なる事をしらず、敢(あへ)てたづねもとむる者もなかりしに、其秋の洪水(こうずゐ)に夜光の玉ふたゝびながれて所在(しよざい)を失(うしな)ひしとぞ。(以上北越奇談の説)偖(さて)茲(こゝ)に夜光珠(やくわうのたま)の実事(じつじ)あり。我(われ)文政二年卯の春下(しも)越後を歴遊(れきいう)せしをり、三嶋郡に入り伊弥彦(やひこ)明神を拝(をがみ)、旧知識(きうちき)なれば高橋光則翁(みつのりをう)を尋(たづね)しに、翁大によろこびて一宿(いつしゆく)を許(ゆる)しぬ。此翁和哥を善(よく)し且(かつ)好古(かうこ)の癖(へき)ありて卓達(たくたつ)の人なり、雅談(がだん)湧(わく)が如く、おもはず笻(つゑ)をとゞめし事四五日なりし。一夕(せき)翁の語りけるは、今より四五十年以前吉田の(三島郡の内なり)ほとり大鳥川といふ渓(たに)川に夜な〳〵光りものありとて人怖(おぢ)て近づくものなかりしに、此川の近所に富長村といふあり、こゝに鍛冶(かぢ)の兄弟あり、ひとりの母を養(やしな)ふ、家最(もつとも)貧(まづ)し。此兄弟剛気(がうき)なるものゆゑかの光り物を見きはめ、もし妖怪(ばけもの)ならば退治(たいぢ)して村のものどもが肝(きも)をひしがんとて、ある夜兄弟かしこにいたりしに、をりしも秋の頃水もまさりし川面(づら)をみるに、月暗(くら)くしてたゞ水の音をきくのみ。両人炬(たいまつ)をふりてらしてこゝかしこをみるに光るものさらになく、また怪(あや)しむべきをみず、さては人のいふは空言(そらごと)ならん、いざとて皈(かへ)らんとしけるに、水上俄(にはか)に光明(くわうみやう)を放(はな)つ、すはやとて両人衣服を脱(ぬぎ)すて水に飛入り泳(およ)ぎよりて光る物を探(さぐ)りみるに、くゝり枕ほどなる石なり、これを取得(とりえ)て家に皈(かへ)り、まづ灶(かまど)の下(もと)に置(おき)しに光り一室(いつしつ)を照(てら)せり。しか〴〵のよし母にかたりければ、不思議(ふしぎ)の宝(たから)を得(え)たりとて親子よろこび近隣(きんりん)よりも来りみるもありしが、ものしらぬ者どもなれば趙壁随珠(てうへきずゐしゆ)ともおもはずうち過(すぎ)けり。かくて后(のち)弟(おとゝ)別家(べつけ)する時家の物二ツに分(わか)ちて弟に与(あたへ)んと母のいひしに、弟は家財(かざい)を望(のぞま)ず光る石を持去(もちさら)んといふ。兄がいはく、光る石を拾(ひろ)ひ得(え)しは我が企(くはだて)なり、汝(なんぢ)は我が力(ちから)を助(たすけ)しのみなり、光る石は親の譲(ゆづり)にあらず、兄が物なり。家財(かざい)を分(わかつ)ならばおやのゆづりをこそわかつべけれ、与(あた)ふまじ〳〵。弟いな〳〵あの石はおれがものなり、いかんとなればおん身は光る石を拾(ひろは)んとの企(くはだて)にはあらず、妖物(ばけもの)を退治(たいぢ)せんとて川へいたり、おん身よりは我先(われさき)に川へ飛いり光りものを探(さぐ)りあてゝかづきあげしも我なり、しかればおれがひろひしを持さらんになにかあらん。いや〳〵此兄がものなり、弟がのなりと口論(こうろん)やまず、終(つひ)にはつかみあひうちあひしを、母やう〳〵におししづめ、しからば光る石を二ツに破(わ)りて分つべしといふ。弟さらばとて明玉をとりいだし鍛冶(かぢ)する鑕(かなとこ)の上にのせ䤶(かなつち)をもて力にまかせて打ければ、をしむべし明玉砕破(くだけて)内に白玉を孕(はらみ)しがそれも砕(くだ)け、水ありて四方(あたり)へ飛散(とびちり)けり。其夜水のかゝりし処光り暉(かゝや)く事螢(ほたる)の群(むらがり)たるが如くなりしに、二三夜にしてその光りも消失(きえうせ)けりとぞ。いかに頑愚(ぐわんぐ)の手にありしとはいひながら、稀世(きせい)の宝玉鄙人(ひじん)の一槌(いつつゐ)をうけて亡(ほろ)びたるは、玉も人も倶(とも)に不幸といふべしと語(かた)られき。牧之(ぼくし)案(あんずる)に、橘春暉(たちばなしゆんき)が著(あらはし)たる北囱瑣談(ほくさうさだん)(後編の二)蔵石家(ざうせきか)の事をいふ条(くだり)に曰(いはく)、江州山田の浦の木之内古繁(こはん)、伊勢の山中甚作、大坂の加嶋屋源太兵ヱ、其外にも三都の中の好事家(かうずか)侯国(こうこく)の逸人(いつじん)、蔵石(ざうせき)に名の高き人近年夥(おびたゝ)し、余(よ)も諸家の奇石(きせき)を見しに皆一家の蔵(をさむ)る処三千五千種(しゆ)にいたる、五日十日の日を尽(つく)してやう〳〵眼(め)をふる㕝を得(う)るにいたる、その多き中にも格別に目をおどろかすほどの珎奇(ちんき)の物は无(なき)ものなり。加嶋屋源太兵ヱものがたりに、過(すぎ)し年(とし)北国より人ありて拳(こぶし)の大さの夜光(やくわう)の玉あり、よく一室(しつ)を照(てら)す、よき価(あたひ)あらば売(うら)んといひしかば、即座(そくざ)に其人に托(たく)して曰(いはく)、其玉求(もとめ)たし、暗夜(あんや)にその玉の入りたる箱の内ばかり白きやうに見えなば金五十両にもとむべし、又その玉にて闇夜に大なる文字一字にても読(よみ)えられなば金百両にもとむべし、又書状(しよぢやう)よむほどならば三百金、いよ〳〵一室をてらさば吾が身上のこらずの力(ちから)を尽(つく)して求(もと)むべし、媒(なかだち)して玉はるべしといひしが、そのゝちなにの便(たより)もなくてやみぬ、空言(そらごと)にてありしと思はる云云。此文段は天明年中蔵石(ざうせき)の世に流行(はやり)たる頃加嶋屋が話(はなし)をそのまゝに春暉(しゆんき)が后(のち)にしるしたるなるべし。さて又余(よ)がかの鍛冶(かぢ)屋が玉のはなしをきゝしは文政二年の春なり、今より四五十年以前とあれば、鍛冶(かぢ)が玉を砕(くだ)きたるは安永のすゑか天明のはじめなるべし。然(しか)りとすれば、蔵石(ざうせき)の流行(はやり)たる頃なれば、かのかじまやが話(はなし)に北国の人一室(いつしつ)をてらす玉のうりものありしといひしは、我が国の縮商人(ちゞみあきびと)などがかぢやの玉の㕝をきゝつたへて商(あきな)ひ口をいひしもはかられず。しかるに玉はくだきしときゝてかじまやへ答(こた)へざりしにやあらん。卞和(へんくわ)が玉も楚王(そわう)を得(え)たればこそ世にもいでたれ、右にのせたる夜光の話(はなし)五ツあり、三ツは我が越後にありし事なり。いづれも世にいでず、嗟乎(あゝ)惜(をし)むべし〳〵。

百樹(もゝき)曰、五雑組(ござつそ)物の部に鍛冶(かぢ)屋がはなしに類(るゐ)せる㕝あり。明(みん)の万暦(ばんれき)の初(はじめ)閩中(みんちゆう)連江といふ所の人蛤を剖(わり)て玉を得(え)たれども不識(みしらず)これを烹(に)る、珠(たま)釜(かま)の中に在(あり)て跳躍(をどりあがり)して定(さだまら)ず、火光(くわくわう)天(そら)に燭(もゆ)、里人(さとびと)火事(くわじ)ならんと驚(おどろ)き来りてこれを救ふ。玉を烹たるもの、そのゆゑを聞(きゝ)て釜(かま)の蓋(ふた)を啓(ひらき)て視(み)れば已(すで)に玉は半(なかば)枯(かれ)たり。其珠(たま)径(わたり)一寸許(ばかり)、此(これ)真(しん)に夜光(やくわう)明月の珠(たま)なり。俗子(ぞくし)に厄(やく)せられたる事悲夫(かなしきかな)と記(しる)せり。又曰、(五雑組おなじつゞき)魏(ぎ)の恵王(けいわう)が径(わたり)寸(いつすん)の珠(たま)前後車を照(てらす)こと十二乗(じよう)の物はむかしの事、今天府(みかどのくら)にも夜光珠(やくわうのたま)はなしと明人(みんひと)謝肇淛(しやてうせつ)が五雑組(ござつそ)にいへり。○神異記(しんいき)○洞冥記(とうめいき)にも夜光珠(やくわうしゆ)の㕝見えたれども孟浪(うきたること)に属(しよく)す。古今注(ここんちゆう)にはすぐれて大なる鯨(くぢら)の眼(め)は夜光珠を為(なす)といへり。卞和(へんくわ)が玉も剖之(これをわれば)中(うち)果(はたして)有玉(たまあり)といへば、石中に玉を孕(はらみ)たる事鍛冶(かぢ)の砕(くだき)たる玉卞和(へんくわ)が玉に類(るゐ)せり。趙(てう)の恵王(けいわう)が夜光の玉を、秦(しん)の照(せう)王が城(しろ)十五を以て易(かへ)んといひしは、加嶋屋が北国の明玉(めいぎよく)を身上(しんしやう)尽(つく)して買(かは)んと約(やく)せしに類(るゐ)せり。さて又癸辛雑譏続集(きしんざつしきぞくしふ)(巻下)に、機婦(はたおりをんな)糸を水にひたしおきたるに、夜中白く大なる蜘蛛(くも)きたりてその水をのむに身(み)に光りをはなつ、かの婦人(ふじん)これを見て大にあやしみ、雞籠(にはとりのかご)を罩(ふせ)てかの蜘蛛(くも)をとらへしに腹(はら)に夜光珠(やくわうのたま)在(あり)、大さ弾丸(だんぐわん)の如しとしるせり。(此事を前文に牧之老人が引たる北越奇談玉の部に越後にありし事とていだせり。その事癸辛雑識に少しもちがはず、おもふに癸辛雑識は唐本にて且又容易には得がたき書なれば、北越奇談の作者俗子の目に奇をしめさんとてたはむれに越後の事としてかきくはへたるもしるべからず。しかし癸辛雑識続集は都下にすら得がたければ本書を見たるにはあるべからず、博識に伝聞したるなるべし)又増一阿含経(ぞういちあごんぎやう)(第卅三。等法品第卅九)に転輪聖王(てんりんじやうわう)の徳にそなはりたる一尺六寸の夜光摩尼宝(やくわうまにはう)は彼国(かのくに)十二由旬(ゆじゆん)を照(てら)すとあり、文(ぶん)多(おほ)ければあげず。盖(けだし)一由旬(いちゆじゆん)は異国(いこく)の四十里なり、十二由旬(ゆじゆん)は日本道六十六里なり。一尺六寸の玉六十六里四方を照すは奇異(きい)といふべし。転輪(てんりん)王此玉を得(え)て試(こゝろみ)に高き幢(はた)の頭(かしら)に挙著(あげおき)けるに、人民等(じんみんら)玉の光りともしらず夜の明(あけ)たりとおもひ、おの〳〵家業(かせぎ)をはじめけりと記(しる)せり。此事碩学(せきがく)の聞(きこえ)高(たか)き了阿(れうあ)上人の話(はなし)にきゝてかの経を借得(かりえ)て読(よみ)しが、これぞ夜光の玉の親(おや)玉なるべき。

現代語訳で読む →
← 前の項九十三 亀の化石