九十七 斎の神の祭

北越雪譜 原文
原文現代語訳

吾(わ)が国(くに)正月十五日に斎(さい)の神のまつりといふは所謂(いはゆる)左義長(さぎちやう)なり。唐土(もろこし)に爆竹(ばくちく)といふ唐人(たうひと)除夜(ぢよや)の詩(し)に、竹爆(たけたふる)千門の响(ひゞき)燈(ともしび)燃(もゆる)万戸明(あきらか)なりの句あれば、爆竹(ばくちく)は大晦日にする事なり。吾朝にては正月十五日、 清涼殿の御庭にて青竹を焼き正月の書始(かきぞめ)を此火に焼て天に奉るの義(ぎ)とす。十八日にも又竹をかざり扇を結びつけ同じ御庭にて燃(もや)し玉ふを祝事とせさせ玉ふ。民間(みんかん)にもこれを学(まな)びて正月十五日正月にかざりたるものをあつめて燃(もや)す、これ左義長(さぎちやう)とて昔よりする事なり。これを斎(さい)の神祭(まつ)りといふも古き事なり。爆竹左義長(ばくちくさぎちやう)の故事(ふること)俳諧(はいかい)の季寄(きよせ)年浪草(としなみぐさ)に諸書を引てくはしくいへり。

○吾が郡中(ぐんちゆう)にて小千谷(をぢや)といふ所は人家(じんか)千戸にあまる饒地(よきとち)なり、それゆゑに斎(さい)の神の(斎あるひは幸とも)まつりも盛大(せいだい)なり。これをまつるにその町々におの〳〵毎年さだめの場所ありてその所の雪をふみかため、さしわたし三間ばかりに周(めぐら)したる高さ六七尺の円(まろ)き壇を雪にて作り、これに二処(ふたところ)の上り階(だん)を作る、これも雪にてする、里俗(りぞく)呼(よん)で城(しろ)といふ。さて壇(だん)の中央(まんなか)に杉のなま木をたてゝ柱(はしら)とし、正月かざりたるものなにくれとなくこの柱(はしら)にむすびつけ又は積(つみ)あげて、七五三(しめ)をもつて上よりむすびめぐらして蓑(みの)のごとくになし、(かやをまじへ入れてかたちをつくる)此頂(いたゞき)に大根注連(だいこんしめ)といふものゝ左右に開たる扇をつけて飛鳥(ひてう)の状(かたち)を作りつける。壇(だん)の上には席(せき)をまうけて神酒(みき)をそなへ、此町の長たるもの礼服をつけて拝(はい)をなし、所繁昌の幸福をいのる。此事をはればきよめたる火を四隅(よすみ)より移(うつ)す、油滓(あぶらかす)など火のうつり易(やす)きやうになしおくゆゑ煓々(たん〳〵)熾々(しゝ)と然(もえ)あがる、(此火にて餅をやきてくらふ、病をのぞくといふ世にふるくありし事なり)是(これ)則(すなはち)爆竹左義長(ばくちくさぎちやう)なり。他国にてもする事なり。或人(あるひと)の話(はなし)に、此事百余年前までは江戸にもありしが、火災(くわさい)をはゞかるために禁(きん)下(くだり)てやみたりとぞ。

○さて又おんべといふ物を作りてこの左義長に翳(かざし)て火をうつらせ焼(やく)を祝事(しゆくじ)とす、おんべは御ン幣(へい)の訛言(くわげん)なり。その作りやうは白紙と色かみとを数百枚つきあはせたるを細き幣束(へいそく)のやうにきりさげ、すゑに扇の地紙の形をきりのこす、これを数千(すせん)あつめて青竹にくゝしくだす。大小長短は作る家の意にまかせ、大なるを以て人に誇(ほこ)る。棹(さを)の末にひらき扇四ツをよせて扇には家の紋などいろどりゑがく、いろ紙にて作るものゆゑ甚だ美事(みごと)なり。これを作りてまづおのれ〳〵が門(かど)へ建(たて)おく事五月の幟(のぼり)のあつかひなり。十五日にいたりてかの場所へもちゆき、左義長にかざして焼捨(やきすつ)るを祝ひとし慰(なぐさみ)とす。観(み)る人群(ぐん)をなすは勿論(もちろん)、事をはりてはこゝかしこにて喜酒(よろこびざけ)の宴(えん)をひらく。これみな 国君(こくくん)盛徳(せいとく)の余沢(よたく)なり。他所にも左義長あれどもまづは小千谷(をぢや)を盛大(せいだい)とす。

百樹(もゝき)曰(いはく)、余(よ)京水をしたがへて越後に遊びし時、此小千谷(をぢや)の人岩淵(いはぶち)氏(牧之老人の親族なり)の家に笻(つゑ)をとゞめたる事十四日、(八月なり)あるじの嗣子(むすこ)廿四五許(ばかり)、号(がう)を岩居(がんきよ)といふ、書(しよ)をよくす。余(よ)に遇(ぐう)せしこと甚(はなはだ)篤(あつし)。小千谷(をぢや)は北越(ほくゑつ)の一市会(いつしくわい)、商家(しやうか)鱗次(りんじ)として百物備(そなはら)ざることなし。海(うみ)を去(さ)る事僅(わづか)に七里ゆゑに魚類(ぎよるゐ)に乏(とぼ)しからず。余(よ)塩沢(しほざは)にありしは四十余日、其地海に遠くして夏は海魚に乏(とぼ)しく、江戸者の口に魚肉(ぎよにく)の上(のぼ)らざりし事四十余日、小千谷(をぢや)にいたりてはじめて生鯛(なまたひ)を喰(しよく)せしに美味(びみ)なりし事いふべからず。又鮏(さけ)の時節(じせつ)にて、小千谷(をぢや)の前川(ぜんせん)は海に朝(てう)するの大河なれば今捕(とり)しをすぐに庖丁(はうちやう)す。味(あぢ)はひ江戸にまされり。一日鮏(さけ)をてんぷらといふ物にしていだせり。余(よ)岩居(がんきよ)にむかひ、これは此地にては名を何(なに)とよぶぞと問(と)ひしに、岩居これはテンプラといふなり、我としごろ此物の名義(めいぎ)暁(さと)しがたく、古老(こらう)にたづねたれどもしる人さらになし、先生の説(せつ)をきかんといふ。余(よ)答(こたへ)てまづ食(しよく)終(をはり)てテンプラの来由(らいゆ)を語(かたる)べしといひつゝ鮏(さけ)のてんぷらを飽(あく)までに喰(しよく)せり。

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