百二 地獄谷の火

北越雪譜 現代語訳
原文現代語訳

この書の前編上の巻「雪中の火」の条に、六日町(魚沼郡)の西の山手で地中から火が燃えることを記したが、地獄谷の火のことを書きもらしたので、ここに記す。○およそわが越後で名高く七不思議に数えられる、蒲原郡如法寺村の百姓荘右衛門(七兵衛・孫六の家にも地の火がある)の家にある地中から燃える火は広く人の知るところだが、その火よりも盛大なのは、魚沼郡のうち、あの小千谷の在の地獄谷の火である。中国ではこれを「火井」という。近ごろこの地獄谷に家を建て、地の火で湯をわかし、客を待って入浴させる。夏から秋のはじめまでは遊びの客が多い。この火井はよその国では聞かず、ただ越後に多い。先年、蒲原郡のある家で井戸を掘ったところ、その夜医者が来て井戸を掘ったことを聞き、家に帰るとき提灯を井戸の中へ入れ、その明かりで井戸を見て立ち去ると、井戸の中からにわかに火が出て、火の勢いが盛んに燃えあがったので、近所の者たちが火事だと駆けつけ、井戸の中から火が燃えるのを見て、この井戸を掘ったからこの火が出たのだと村の者たちが口々に主人をののしり恨んだので、主人もこの火を恐れて埋めたという。この地の火を一名「陰火」という。あの如法寺村の陰火も、かすかな風の気が出ているところに付け木の火をかざすと、風の気が手に応じて燃える。陽火を得なければ燃えない。寛文の昔、荘右衛門(如法寺村)の庭でふいごを使ったときから燃えはじめたという。前に言った井戸の中の火も、医者が提灯を井戸の中へさげたので、その陽火で燃え出したのだろう。

●さてまた頸城郡の海辺の能生宿というのは北陸道の公の街道である。この宿から山手に二里ほど入ると間瀬口という村があり、ここの農家に地の火が出ることは如法寺村の地の火と同じだという。このあたりの用水に乏しい所では、日照りのときには山に向かって井戸を横に掘って水を得ることがある。あるとき井戸を横に掘り進んだとき、穴の暗いのを照らすためにたいまつを使ったところ、陽火を得て陰火がたちまち燃えあがり、人がこのために焼け死んだという。これらのことを考え合わせると、越後には地の火を出す火の脈のある地が多く、まだ陽火を得ないで発していないところも多いのだろう。

百樹が言う。私が小千谷にいたとき、岩居が私に地獄谷の火を見せようと、仲間を五人連れ、用意の酒や食べ物を下男二人に担がせ、私と京水と一行十人で小千谷を離れ、西の方の●新保村●薮川新田などという村々を経て一宮という村に着いた。山あいのあぜ道を曲がりくねってここに至る道のりは一里半ほどである。この日はことに快晴で、村々の秋の景色が百も目を奪う。さて低い山を一つ越えると坂があり、これが地獄谷へ至る道である。坂の上から見おろすと一軒のかやぶきの家がある。これが本文に言う湯屋である。人々が坂の半ばまで来たとき、かやぶきの家の二階に四、五人の美しい女が現れ、それぞれ欄干に寄って、遠くからこの一行を指さす者もあり、あるいは笑い、あるいは名を呼び、あるいは手をたたき、あるいは手をあげて招く。四方はみな山で、老木がうっそうと茂ってふさいでいる中にこの美人たちを見て驚き、「これは狸でなければ狐に違いない」と言うと、岩居は友人たちと顔を見合わせ、手を打って笑う。これは小千谷の下町という所の酒楼にいる酌取りの芸者たちで、岩居が友人と相談してこっそりここに招いておき、私を楽しませようとしたのだという。私は狐ではなく岩居に化かされたのである。地獄谷におりて、みな二階にのぼった。岩居は私と京水を連れてあの火を見せてくれた。

●そもそもこの谷は山桜が多かったので桜谷と呼んでいたが、地の火があるので四方四、五十歩(六尺を一歩という)を切り開いて平らな地とし、地の火を借りて浴室とし、人の遊ぶ所としたという。桜谷と呼ばれていた所が地の火のために地獄と呼ばれるとは、花はさぞかし恨めしく思うことだろう。

●さてその火を見ると、浅い井戸を一つ作り、その井戸の中から火の燃えることは、ふつうの湯屋の火よりも盛んである。上に釜があり、一間四方の湯船がある。細い筧があって後ろの山の清水を引いて湯船に落とす。湯は湯船の四方にあふれ落ちる。こうしてこの湯はぬるくも熱くもなく、天のしわざである地の火は尽きる時がないので、人の作った湯も尽きる時がない。見た目にも清潔なことは言いようもない。この湯屋に続いて台所があり、かまどにも穴があって地の火を引いて物を煮ることは薪と同じである。次に中の間があり、床下から竹筒を出し、口には一寸ほど銅をはめて火を出させる。上から自在鉤をさげ、この火で酒の燗をつけたり茶を煎じたりし、夜は灯火とする。さてよくよくこの火を見ると、筒から一寸ほど離れた上で燃えている。扇であおぐとふつうの火のように消える。筒の口に手を当てて試すと、少し風を受けるだけである。付け木の火をかざすと、たちまちはじめのように燃える。主人の老人が言うには、この火は夜は昼よりも激しく燃え、人の顔が青く見えるという。老人の妻が、水の中から燃える火をお見せしようと言って、湯屋の後ろのわずかな山田のある所に行き、田の水の中に少し湧く所に付け木の火をかざすと、水中の火はろうそくの燃えるようである。老婆が言うには、この火のように燃える所はほかにもあり、夜になるとすべて火を燃やすので獣が来ないという。私の江戸の目には、見るものがことごとく奇妙である。中国ではこの火を火井といい、『博物志』や『瑯琊代酔編』に見える雲台山の火井もこの地獄谷の火のようだが、ことの壮大さはこの谷の火にまさらない。中国と日本とをひっくるめて火井の最第一と言うべきだ。これを見たのは越後の旅の一つの奇観であった。中国で火井のある所は北の蜀の地に属し、日本の火井も北の越後にある。自然の地勢によるのだろうか。

●さて芸者が一人はしご段の上に出て、しきりに岩居を呼ぶ。呼ばれて二階にのぼった。私は京水とともにこの湯に入った。二階ではもう三味線を響かせていた。湯からあがって二階にのぼると、すでに杯や皿が散らかっていた。あでやかな芸者たちが袖を連ね、白い手で糸を弾き、赤い唇で歌う迦陵頻伽のような声、外面は菩薩のような色香が興を添えるので、地獄谷はたちまち極楽世界となった。この芸者たちを抱える主人もここに来ていて、連れてきた料理人に用意した魚や野菜を料理させ、さらに宴を開いた。この主人は俗世にいながら風雅を好み、いつも文人を慕っているので、この日もここに来て私と顔を合わせることを岩居と約束していたのだという。この人は顔が凸凹なので自ら「双坡楼」と屋号をつけている。そのおかしみはこの一事で知るべきである。飄々として洒落ていて、よく人に愛される。家の前後に坂があるのだといい、「双坡」の字の当て方が絶妙である。双坡楼は扇を出して私に句を求め、芸者も持っている扇を出す。京水が絵を描き、私が即興の句を書いた。これを見て岩居をはじめそれぞれ壁に句を書きつけ、さらに風雅の興を添えた。

●こうしてやや日も傾いたので帰りを促すと、芸者たちは草鞋で来たといって、それはわたしのだ、これは、あれはと脱ぎ捨てたものを争ってはいて出る。みな酔っているので騒ぎながら道を行く。小川のある所に来ると、紅い唇におしろいの顔の芸者が赤い腰巻きをからげて渡る。花のような姿、柳のような腰の美人たちが草鞋をはいて水を渡るなど、私の江戸の目にはたいそう珍しくおもしろい。酔った客が甚句を歌えば、酔った芸者が一足ごとに踊る。古縄を蛇だといって脅かすと、脅かされた芸者が驚いて片足を泥田へ踏み入れたのを、みなで大笑いした。この道はすべて農作業の通り道なので休むべき茶店もなく、途中で古い社に入って休んだ。芸者が一人、社の裏に入って戻ってきて、石の水盤の涸れかけた水をわずかにすくって手を洗ったのは、用を足しに行ったのだろう。そのまま木の下に立っておられる石の地蔵菩薩の前に並び立ちながら、懐から鏡を出しておしろいのはげた所を直し、口紅などをさして化粧をする。これらの化粧道具を仮に石仏の頭に置く。「外面は菩薩に似て内心は夜叉のごとし」という戒めもあるので、菩薩はどう思われるだろうかともったいない。日もすでに夕方になったので、それぞれ足を速めて小千谷へ帰った(この紀行は別に一冊あり、私の『北越旅談』に収める)。

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