百四 無縫塔

北越雪譜 現代語訳
原文現代語訳

蒲原郡村松から東へ一里の来迎村に寺があり、永谷寺という曹洞宗の寺である。この寺の近くに川があり、早出川という。寺から八町ほど下に観音堂があり、その下を流れる所を東光が淵という。永谷寺に新しい住職が入れば、この淵へ血脈(法統の系図)を投げ入れるのが先例である。さてこの永谷寺の住職が亡くなる前の年に、この淵から墓石になるような円い自然石を一つ岸に出す。これを無縫塔と名づけて伝えている。この石が出ると、その翌年には必ず住職が病死することは、昔から今に至るまで一度も違ったことがない。この墓石の大小が住職の心にかなわず淵へ返すと、その夜淵が逆巻いて、住職の好む石を淵から出したことがたびたびある。先年、凡庸な僧がここの住職になり、この石を見て死を恐れて逃げ出したが、翌年よその国で病死したという。思うにこの淵に霊があって、天命の死を示すのだろう。友人の北洋主人(蒲原郡見附の旧家で、文を好み書をよくする)がその寺を見た話では、本堂は間口十間、右に庫裏、左に八間に五間の禅堂があり、本堂に至る坂の左に鐘楼がある。禅堂の後ろに蓮池がある。その上に坂があり、のぼると住職の墓所がある。あの淵から出した円い石を、人が作った脚のある石の台に載せて墓としている。中央のものを開山とし、左右に順に並んで二十三基ある。大きいものは直径一尺二、三寸ほど、八、九寸、六、七寸のものもあり、大小は和尚の徳に応じると言い伝えているという。台の高さはいずれも一尺ほどだと語られた。あの淵に霊があるというのは、昔、永光寺のあたりに高貴な人が住んでおられたが、その奥方が色恋の嫉妬から夫を恨んで東光が淵に身を沈め、恨みの魂が悪竜となって人を悩ませたのを、永光寺の開山(名は聞きもらした)が血脈をあの淵に沈めて済度されたので、悪竜は解脱を得た。そのお礼としてあの墓石を淵から出して死期を示すのである。それで今に至るまで、住職が入るときには淵に血脈を沈めると、寺の言い伝えにあるという。

○さてまたわが隣国の信濃にも無縫塔のことがある。近江の石亭の『雲根志』(前編の霊異の部)にこうある。「信濃国高井郡渋湯村の横井温泉寺の前に星河という幅三町ほどの大河がある。温泉寺の住職が亡くなる前の年に、この川の中へどこからともなく、高さ二尺ほどの四角く美しい自然石の石塔が一つ流れてくる。まことに彫刻したようだが天然のものである。この石が出ると土地の者たちが温泉寺へ知らせる。決まって翌年に住職が亡くなり、そのしるしにこの石を立てる。九代前からはじまって、代々九代の石塔が同じ石、同じ形で少しも違わずに並んでいる。ある年の住職は、この塔が出たときに天を拝んで祈った。『私には法華経千部読誦の願があり、あと一年で満ちる。どうか命をあと一年延ばしてください』と念じて、その塔を川の淵に投げこんだ。何事もなく一年過ぎて、千部の読経が終わった月にその石がまた川の中に現れ、その翌年果たして亡くなった。その次の住職は、塔が出たとき何の願いもなく淵へ投げこんだが、何度投げ沈めてもその夜ごとに出てきて、翌年病死したという。このあたりではこれを無帽塔と名づける」(以上一条の全文)。越後に永光寺、信濃に温泉寺、事の相似た一つの奇怪と言うべきだ。

○百樹が言う。牧之老人のこの草稿を見て、無縫塔の「縫」の字の意味が通じがたく誤字ではないかと手紙で問い合わせたところ、無縫塔と書き伝えているとの返事であった。『雲根志』には「無帽塔」とあり、「無帽」の字もまた通じがたい。おそらくは「無望塔」ではないか。住職の心には死がいやなので、望みのない「無望塔」なのだろう。ここにでたらめな一笑を記して、博識の人の確かな根拠を待つ。

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