蒲原郡村松より東一里来迎村に寺あり、永谷寺といふ曹洞宗なり。此寺の近くに川あり、早出川といふ。寺より八町ばかり下に観音堂あり、その下を流るゝ所を東光が淵といふ。永谷寺へ入院の住職あれば此淵へ血脉を投げ入るゝ事先例なり。さて此永谷寺の住職遷化の前年、此淵より墓の石になるべき円き自然石を一ツ岸に出す、是を無縫塔と名づけつたふ。此石出ればその翌年には必ず住職病死する事むかしより今にいたりて一度も違ひたる事なし。此墓石大小によりて住職の心に応ぜず淵へかへせば、その夜淵逆浪して住職のこのむ石を淵に出したる事度々あり。先年凡僧こゝに住職し此石を見て死を惧れ出奔せしに翌年他国にありて病死せしとぞ。おもふに此淵に灵ありて天然の死を示すなるべし。友人北洋主人(蒲原郡見附の旧家、文をこのみ書をよくす)件の寺を覧たる話に、本堂間口十間、右に庫裏、左に八間に五間の禅堂あり、本堂にいたる阪の左りに鐘楼あり、禅堂のうしろに蓮池あり。上に坂あり、登りて住職の墓所あり。かの淵より出したる円石を人作の石の台の脚あるにのせて墓とす。中央なるを開山とし、左右に次第して廿三基あり。大なるは径り一尺二三寸ばかり、八九寸六七寸なるもあり、大小は和尚の徳に応ずといひつたふとぞ。台の高さはいづれも一尺ばかりなりと語られき。かの淵に灵ありといふは、むかし永光寺のほとりに貴人何某住玉ひしに、その内室色情の妬にて夫をうらみ、東光が淵に身を沈め、冤魂悪竜となりて人をなやまししを、永光寺の開山(名をきゝもらせり)血脉をかの淵にしづめて化度し玉ひしゆゑ悪竜得脱なし、その礼とてかの墓石を淵にいだして死期を示す。是以今にいたりても入院の時は淵に血脉を沈むと寺説につたふとぞ。
○さてまた我が隣国信濃にも無縫塔の事あり。近江の石亭が雲根志にいはく(前編灵異之部)信濃国高井郡渋湯村横井温泉寺の前に星河とて幅三町ばかりの大河あり、温泉寺の住僧遷化の前年に、此河中へ何方よりともなく、高さ二尺ばかりなる自然石の方にしてうつくしき石塔一ツ流れきたる、実に彫刻せるごとくにて天然の物なり。此石出ると土民ども温泉寺へしらせる事なり、きはめて翌年住僧遷化なり、則しるしに此石を立る。九代以前より始りしが代々九代の石塔、同石同様にて少しも違はず並びあり。或年の住僧此塔の出たる時天を拝していのる、我法華千部読経の願あり、今一年にして満り、何とぞ命を今一年延し玉へと念じて、かの塔を川中の淵に投こみたり。何事もなく一年すぎて千部読経のすみし月に件の石又川中にあらはるゝ、其翌年はたして遷化なりと。その次の住僧塔のいでたる時何のねがひもなく淵へなげこみたり、幾度なげしづめても其夜そのよにいでたり、翌年病死ありしとぞ。此辺にて是を無帽塔と名づく。(以上一条の全文)越後に永光寺、信濃に温泉寺、事の相似たる一奇怪といふべし。
○百樹曰、牧之老人が此草稿を視て無縫塔の縫の字義通じがたく誤字にやとて郵示して問ひければ、無縫塔と書伝たるよしいひこしぬ。雲根志には無帽塔とあり、無帽の字も又通じがたし。おそらくは無望塔にやあらん。住僧の心には死がいやさに無望塔なるべし。こゝに無稽の一笑を記して博識の確拠を竢つ。