百十九 苗場山

北越雪譜 原文
原文現代語訳

苗場山は越後第一の高山なり、(魚沼郡にあり)登り二里といふ。絶頂(ぜつてう)に天然(てんねん)の苗田(なへた)あり、依て昔より山の名に呼(よぶ)なり。峻岳(じゆんがく)の巓(いたゞき)に苗田ある事甚奇なり。余(よ)其奇跡を尋んとおもふ事年(とし)ありしに、文化八年七月偶(ふと)おもひたちて友人四人(●嘯斎●擷斎●扇舎●物九斎)従僕等(じゆぼくら)に食類其外用意の物をもたせ、同月五日未明にたちいで、其日は三ツ俣(また)といふ駅(えき)に宿り、次日暁を侵(おか)して此山の神職にいたり、おの〳〵祓(はらひ)をなし案内者を傭(やと)ふ。案内は白衣に幣(へい)を捧(さゝ)げて先にすゝむ。清津(きよつ)川を渉(わた)りやがて麓(ふもと)にいたれり。巉道(さんだう)を踏(ふみ)嶮路(けんろ)に登るに、掬樹(ぶなのき)森列(しんれつ)して日を遮(さへぎ)り、山篠(やまさゝ)生(お)ひ茂(しげ)りて径(みち)を塞(ふさ)ぐ。枯(かれ)たる老樹折れて路(みち)に横(よこたは)りたるを踰(こゆ)るは臥竜を踏がごとし。一条(ひとすぢ)の渓河(たにかは)を渉(わた)り猶登る事半里許(ばかり)、右に折れてすゝみ左りに曲(まが)りてのぼる。奇木(きぼく)怪石(くわいせき)千態(せんたい)万状(じやう)筆を以ていひがたし。已(すで)に半途(はんと)にいたれば鳥の声をもきかず、殆(ほとんど)東西を弁(べん)じがたく道なきがごとし。案内者はよく知りてさきへすゝみ、山篠(やまさゝ)をおしわけ幣(へい)をさゝげてみちを示(しめ)す。藤蔓(ふぢかつら)笠にまとひ、樷竹(しげるたけ)身を隠(かく)し、石高くして径(みち)狭(せま)く、一歩も平坦(たひら)のみちをふまず。やう〳〵午すぐる頃山の半にいたり、僅(わづか)の平地を得(え)て用意したる臥座(ぐわざ)を木蔭(こかげ)にしきて食をなし、暫(しばら)く憇(やすらひ)てまたのぼり〳〵て神楽岡(かぐらがをか)といふ所にいたれり。これより他木さらになく、俗に唐松といふもの風にたけをのばさゞるが稍(こずゑ)は雪霜にや枯(から)されけん、低(ひく)き森をなしてこゝかしこにあり。またのぼり少しくだりて御花圃(はなばたけ)といふ所、山桜盛(さかり)にひらき、百合・桔梗・石竹の花などそのさま人の植(うゑ)やしなひしに似(に)たり。名(な)をしらざる異草(いさう)もあまたあり、案内者に問へば薬草なりといへり。またのぼりゆき〳〵て桟齴(かけはしのやう)なる道にあたり、岩にとりつき竹の根を力草(ちからくさ)とし、一歩に一声を発(はつ)しつゝ気を張り汗(あせ)をながし、千辛(しん)万苦(く)しのぼりつくして馬の背(せ)といふ所にいたる。左右は千丈の谷なり、ふむ所僅(わづか)に二三尺、一脚(ひとあし)をあやまつ時は身を粉砕(こな)になすべし。おの〳〵忙怕(おづ〳〵)あゆみて竟(つひ)に絶頂(ぜつてう)にいたりつきぬ。

○偖(さて)同行十二人、まづ草に坐(ざ)して憇(いこ)ふ時、已(すで)に下晡(なゝつさがり)なり。はじめ案内者のいひしは登り二里の険道(けんだう)なれば、一日に往来(ゆきゝ)することあたはず、絶頂(ぜつてう)に小屋在、こゝにのぼる人必その小屋に一宿する事なりといへり。今その小屋をみれば木の枝(えだ)、山さゝ、枯草(かれくさ)など取りあつめ、ふぢかつらにて匍匐(はひ)入るばかりに作りたるは、野非人(のひにん)のをるべきさまなり。こゝを今夜のやどりにさだめたるもはかなしとて、みな〳〵笑ふ。僕(ぼく)どもは枯枝(かれえだ)をひろひ石をあつめて仮(かり)に灶(かまど)をなし、もたせたる食物を調(てう)ぜんとし、あるひは水をたづねて茶を烹(に)れば、上戸は酒の燗(かん)をいそぐもをかし。さて眺望(みわたせ)ば越後はさら也、浅間(あさま)の烟(けふり)をはじめ、信濃の連山みな眼下(がんか)に波濤(はたう)す。千隈(ちくま)川は白き糸をひき、佐渡は青き盆石(ぼんせき)をおく。能登の洲崎(すさき)は蛾眉(がび)をなし、越前の遠山は青黛(せいたい)をのこせり。こゝに眼(め)を拭(ぬぐひ)て扶桑(ふさう)第一の富士を視(み)いだせり、そのさま雪の一握(ひとにぎ)りを置(おく)が如し。人々手を拍(うち)、奇なりと呼(よ)び妙なりと称讃(しようさん)す。千勝(しよう)万景(けい)応接(おうせふ)するに遑(いとま)あらず。雲(くも)脚下(あしもと)に起(おこ)るかとみれば、忽(たちまち)晴(はれ)て日光(ひのひかり)眼(め)を射(ゐ)る、身は天外に在が如し。是(この)絶頂は周(めぐり)一里といふ。莽々(まう〳〵)たる平蕪(へいぶ)高低(たかひく)の所を不見(みず)、山の名によぶ苗場(なへば)といふ所こゝかしこにあり。そのさま人のつくりたる田の如き中に、人の植(うゑ)たるやうに苗に似(に)たる草生(お)ひたり、苗代(なはしろ)を半(なかば)とりのこしたるやうなる所もあり。これを奇なりとおもふに、此田の中に蛙(かへる)蛗螽(いなご)もありて常の田にかはる事なし、又いかなる日てりにも田水(てんすゐ)枯(かれ)ずとぞ。二里の巓(いたゞき)に此奇跡(きせき)を観(み)ること甚不思議(ふしぎ)の灵山(れいざん)なり。案内者いはく、御花圃(はなはたけ)より(まへにいひたる所)別に径(みち)ありて竜岩窟(りうがんくつ)といふ所あり、窟(いはや)の内に一条(ひとすぢ)の清水ながれそのほとりに古銭多く、鰐口(わにくち)二ツ掛りありて神を祀(まつ)る。むかしより如斯(かくのごとし)といひつたふ。このみち今は草木に塞(ふさが)れてもとめがたしといへり。絶頂(ぜつてう)にも石に刻(こく)して苗場大権現(なへばだいごんげん)とあり、案内者は此石人作にあらず、天然の物といへり。俗伝なるべし。こゝかしこ見めぐるうち日すでにくれて小屋に入り、内には挑燈(てうちん)をさげてあかりとし、外には火を焼てふたゝび食をとゝのへ、ものくひて酒を酌(くむ)。六日の月皎々(かう〳〵)とてらして空(そら)もちかきやうにて、桂(かつら)の枝(えだ)もをるべきこゝちしつ。人々詩(し)を賦(ふ)し哥をよみ、俳句の吟興(ぎんきやう)もありてやゝ時をうつしたるに、寒気次第に烈(はげ)しく、用意の綿入にもしのぎかねて終夜(よもすがら)焼火にあたりて夢(ゆめ)もむすばず、しのゝめのそらまちわびしに、はれわたりたればいざや御来迎(らいかう)を拝(をがみ)たまへと案内がいふにまかせ、拝所(をがむところ)にいたり日の昇(のぼる)を拝(はい)し、したくとゝのへて山をくだれり。(別に紀行あり、こゝには其略をいふのみ。)

○百樹(もゝき)曰(いはく)、余(よ)越遊(ゑついう)したる時、牧之(ぼくし)老人に此山の地勢を委しくきゝ真景(しんけい)の図(づ)をも視(み)たるに、巓(いたゞき)の平坦(たひら)なる苗場(なへば)の奇異(きゐ)、竜岩窟(りうがんくつ)の古跡(こせき)など水にも自在の山なれば、おそらくは上古人ありて此山をひらき、絶頂(ぜつてう)を平坦(たひら)になし、馬の背(せ)の天険(てんけん)をたのみてこゝに住居し耕作(かうさく)をもしたるが、亡(ほろ)びてのち其灵魂(れいこん)こゝにとゞまりて苗場(なへば)の奇異(きゐ)をもなすにやと思(おも)へり。国史(こくし)を捜究(さうきう)せば其徴(しるし)する端(はし)をも得(う)べくや、博達(はくたつ)の説(せつ)を聞(きか)ん。

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