第25話和歌集抄訳

万葉集

巻九・1759〜1760(高橋虫麻呂歌集)

舞台 筑波山(茨城県)
成立 759年以後 作者 大伴家持ら(編)

現代語訳

【筑波嶺に登って嬥歌会をした日に作った歌】

鷲の住む筑波の山の、裳羽服津という泉のほとりに、誘い合って若い娘や若者たちが集まり、歌を掛け合う嬥歌の場で、人妻に私も交わろう。私の妻にも他の男が言い寄るがいい。この山を治める神が、昔から禁じていない行事なのだ。今日だけは、いとしい人よ、とがめるような目で見ないでおくれ。何も言って責めないでおくれ。

【反歌】

男神の峰に雲が立ちのぼり、時雨が降って濡れ通ろうとも、私は帰りはしない。

嬥歌とは、東国の言葉で「かがい」と呼ばれた行事で、春や秋に男女が山や市に集まり、飲食をともにしながら歌を掛け合って求婚する、古い習わしである。歌垣とも呼ばれる。筑波山は男体山と女体山の二つの峰をもつ山で、古くから男女の縁を結ぶ山として信仰されてきた。

この日ばかりは、ふだんの夫婦の決まりも解かれ、神の許しのもとで自由に恋を語らうことができた。歌の「人妻に我も交はらむ、我が妻に人も言問へ」という大胆な言葉は、そうした祭りの日の解放感をよく伝えている。

『常陸国風土記』にも、筑波山の嬥歌の様子が記され、「筑波嶺の会に娉の財を得ざれば、児女とせず」という土地のことわざが伝えられている。筑波山の歌垣で求婚の贈り物をもらえないような娘は、一人前とは認められない、という意味である。都の人々にとって、こうした東国の風俗は珍しく、心ひかれるものだったのだろう。

地点メモ:男女が集い歌を掛け合う「嬥歌(かがい)」の歌が残る。
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