遠野物語 全文

柳田國男(講述者 佐佐木喜善) 1910年 序與119則・附原文

原文:青空文庫《遠野物語》(底本:岩波文庫《遠野物語・山の人生》1976年)。中文譯文譯自日文現代語譯。小標題為譯者所加。「*」為柳田國男的注,「※」為譯者的補充。

各則一覽
  1. 序
  2. 一遠野這片土地
  3. 二三位女神
  4. 三黑髮山女
  5. 四走在竹叢上的女人
  6. 五笛吹峠
  7. 六被擄走的長者之女
  8. 七五葉山的岩屋
  9. 八寒戶的老婆婆
  10. 九「好有趣啊——」
  11. 一〇遠處的尖叫
  12. 一一弒母
  13. 一二乙爺
  14. 一三山口的甜酒攤
  15. 一四奧內樣與御白樣
  16. 一五幫忙插秧的小和尚
  17. 一六金精樣
  18. 一七座敷童子
  19. 一八離開孫左衛門家的女孩們
  20. 一九毒菇
  21. 二〇蛇塚
  22. 二一馴服狐狸的學者
  23. 二二轉動的炭籃
  24. 二三門口的背影
  25. 二四叫大同的人家
  26. 二五只有一邊的門松
  27. 二六田圃之家的雕刻師
  28. 二七出黃金的石臼
  29. 二八吃了燒石頭的和尚
  30. 二九雞頭山的三個巨人
  31. 三〇地竹中的巨人
  32. 三一被擄走的孩子們
  33. 三二白鹿與千晚岳
  34. 三三白望山的怪事
  35. 三四窺看小屋的女人
  36. 三五在空中奔跑的女人
  37. 三六二石山的狼
  38. 三七兩三百頭狼
  39. 三八學狼叫
  40. 三九被吃的鹿
  41. 四〇藏在草中的狼
  42. 四一狼群大遷移
  43. 四二阿鐵與母狼
  44. 四三和熊扭打的阿熊
  45. 四四窺看小屋的猴子
  46. 四五猿的經立
  47. 四六被鹿笛引來的猴子
  48. 四七「六角牛的猴子要來了」
  49. 四八仙人峠的猴子
  50. 四九仙人堂的塗鴉
  51. 五〇杜鵑花
  52. 五一喚夫鳥
  53. 五二趕馬鳥
  54. 五三布穀鳥與杜鵑
  55. 五四深潭底下的織布女
  56. 五五河童之子
  57. 五六紅色的嬰兒
  58. 五七河童的足跡
  59. 五八被馬拖走的河童
  60. 五九紅臉的河童
  61. 六〇塞滿泥土的槍
  62. 六一白鹿與黃金子彈
  63. 六二紅衣大和尚
  64. 六三迷家
  65. 六四第二次的迷家
  66. 六五安倍城的鎖聲
  67. 六六早池峰與安倍氏
  68. 六七貞任的陣營遺址
  69. 六八安倍家與八幡太郎
  70. 六九御白樣的起源
  71. 七〇有奧內樣的人家
  72. 七一秘密的念佛
  73. 七二和孩子們玩的卡庫拉樣
  74. 七三卡庫拉樣的神像
  75. 七四卡庫拉樣這個名字
  76. 七五長者屋敷的女人
  77. 七六五葉的溲疏
  78. 七七枕著滴水石的男人
  79. 七八穿雪蓑衣的人
  80. 七九貼在雲壁上的男人
  81. 八〇遠野房屋的格局
  82. 八一鐵青的臉
  83. 八二疊在手上的臉
  84. 八三不能打開的竹箱
  85. 八四海邊的西洋人
  86. 八五白皮膚的兄弟
  87. 八六來打地基的病人
  88. 八七被倒掉的茶
  89. 八八拜訪常堅寺的老人
  90. 八九愛宕山的山神
  91. 九〇天狗森的大漢
  92. 九一鳥御前
  93. 九二「去小國」
  94. 九三「你的孩子已經死了」
  95. 九四和狐狸相撲
  96. 九五升上天空的石頭
  97. 九六「失火了,失火了」
  98. 九七罌粟花的原野
  99. 九八路旁的石碑
  100. 九九霧中的妻子
  101. 一〇〇化成妻子的狐狸
  102. 一〇一坐起來的死人
  103. 一〇二小正月之夜
  104. 一〇三雪女
  105. 一〇四胡桃月占
  106. 一〇五世中見
  107. 一〇六山田的海市蜃樓
  108. 一〇七山神給的樹葉
  109. 一〇八讀心的占卜師
  110. 一〇九雨風祭
  111. 一一〇吃火的權現樣
  112. 一一一壇之塙與蓮台野
  113. 一一二蝦夷屋敷與土器
  114. 一一三定塚森
  115. 一一四壇之塙的青石
  116. 一一五昔昔
  117. 一一六山姥與女孩
  118. 一一七織子姬子
  119. 一一八紅皿缺皿
  120. 一一九獅子舞之歌

謹以此書,獻給身在外國的人們。

序

前往地圖篇章〈(place)〉
原文
 この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治四十二年の二月ごろより始めて夜分おりおり訪ね来たりこの話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手にはあらざれども誠実なる人なり。自分もまた一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。思うに遠野郷にはこの類の物語なお数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広のみ。  昨年八月の末自分は遠野郷に遊びたり。花巻より十余里の路上には町場三ヶ所あり。その他はただ青き山と原野なり。人煙の稀少なること北海道石狩の平野よりも甚だし。或いは新道なるが故に民居の来たり就ける者少なきか。遠野の城下はすなわち煙花の街なり。馬を駅亭の主人に借りて独り郊外の村々を巡りたり。その馬は黔き海草をもって作りたる厚総を掛けたり。虻多きためなり。猿ヶ石の渓谷は土肥えてよく拓けたり。路傍に石塔の多きこと諸国その比を知らず。高処より展望すれば早稲まさに熟し晩稲は花盛りにて水はことごとく落ちて川にあり。稲の色合いは種類によりてさまざまなり。三つ四つ五つの田を続けて稲の色の同じきはすなわち一家に属する田にしていわゆる名処の同じきなるべし。小字よりさらに小さき区域の地名は持主にあらざればこれを知らず。古き売買譲与の証文には常に見ゆる所なり。附馬牛の谷へ越ゆれば早池峯の山は淡く霞み山の形は菅笠のごとくまた片仮名のへの字に似たり。この谷は稲熟することさらに遅く満目一色に青し。細き田中の道を行けば名を知らぬ鳥ありて雛を連れて横ぎりたり。雛の色は黒に白き羽まじりたり。始めは小さき鶏かと思いしが溝の草に隠れて見えざればすなわち野鳥なることを知れり。天神の山には祭ありて獅子踊あり。ここにのみは軽く塵たち紅き物いささかひらめきて一村の緑に映じたり。獅子踊というは鹿の舞なり。鹿の角をつけたる面を被り童子五六人剣を抜きてこれとともに舞うなり。笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞きがたし。日は傾きて風吹き酔いて人呼ぶ者の声も淋しく女は笑い児は走れどもなお旅愁をいかんともする能わざりき。盂蘭盆に新しき仏ある家は紅白の旗を高く揚げて魂を招く風あり。峠の馬上において東西を指点するにこの旗十数所あり。村人の永住の地を去らんとする者とかりそめに入りこみたる旅人とまたかの悠々たる霊山とを黄昏は徐に来たりて包容し尽したり。遠野郷には八ヶ所の観音堂あり。一木をもって作りしなり。この日報賽の徒多く岡の上に灯火見え伏鉦の音聞えたり。道ちがえの叢の中には雨風祭の藁人形あり。あたかもくたびれたる人のごとく仰臥してありたり。以上は自分が遠野郷にてえたる印象なり。  思うにこの類の書物は少なくも現代の流行にあらず。いかに印刷が容易なればとてこんな本を出版し自己の狭隘なる趣味をもって他人に強いんとするは無作法の仕業なりという人あらん。されどあえて答う。かかる話を聞きかかる処を見てきてのちこれを人に語りたがらざる者果してありや。そのような沈黙にしてかつ慎み深き人は少なくも自分の友人の中にはあることなし。いわんやわが九百年前の先輩『今昔物語』のごときはその当時にありてすでに今は昔の話なりしに反しこれはこれ目前の出来事なり。たとえ敬虔の意と誠実の態度とにおいてはあえて彼を凌ぐことを得という能わざらんも人の耳を経ること多からず人の口と筆とを倩いたること甚だ僅なりし点においては彼の淡泊無邪気なる大納言殿かえって来たり聴くに値せり。近代の御伽百物語の徒に至りてはその志やすでに陋かつ決してその談の妄誕にあらざることを誓いえず。窃にもってこれと隣を比するを恥とせり。要するにこの書は現在の事実なり。単にこれのみをもってするも立派なる存在理由ありと信ず。ただ鏡石子は年わずかに二十四五自分もこれに十歳長ずるのみ。今の事業多き時代に生まれながら問題の大小をも弁えず、その力を用いるところ当を失えりという人あらば如何。明神の山の木兎のごとくあまりにその耳を尖らしあまりにその眼を丸くし過ぎたりと責むる人あらば如何。はて是非もなし。この責任のみは自分が負わねばならぬなり。 おきなさび飛ばず鳴かざるをちかたの森のふくろふ笑ふらんかも 柳田国男

這裡寫的故事,全都是從遠野人佐佐木鏡石君那裡聽來的。從去年明治四十二年二月左右起,他不時在夜裡來訪,講這些故事給我聽。我把它們記了下來。

鏡石君不善言辭,卻是個誠實的人。我也一字一句都不增不減,照著所感受的寫下來。

遠野鄉這樣的故事,應該還有好幾百則吧。我衷心希望能多聽一些。比遠野更深的山村裡,山神和山人的傳說,必定還多得數不清。請講出來,讓住在平地的人們戰慄吧。這本書不過是個開端。

去年八月底,我造訪了遠野鄉。

從花卷出發十里多的路程,途中只有三個小鎮。其餘只有綿延的青山和原野。人家之稀少,甚至超過北海道的石狩平原。也許因為是新開的路,住下來的人還不多。相較之下,遠野城下是熱鬧的小鎮,甚至有花街。

我向旅店主人借了馬,獨自巡遊附近的村子。馬身上掛著用黑色海草編成的厚流蘇。因為牛虻很多。

猿石川的河谷土地肥沃,開墾得很好。路旁石塔之多,是別的地方無法相比的。從高處眺望,早稻正好成熟,晚稻正在開花,田裡的水已全部放乾,流入河中。稻子的顏色因品種而異。如果三塊、四塊、五塊同色的田相連,那就是同一戶人家的田,田的名稱大概也相同吧。這些小地名,不是田主就不會知道。只有在古老的土地契據上,才總會出現這些名字。

越過附馬牛的山谷,早池峰山淡淡地籠罩在霞中。形狀像斗笠,也像片假名的「へ」字。這個山谷稻子熟得更晚,放眼望去一片青綠。

走在狹窄的田埂上,一隻不知名的鳥帶著雛鳥橫越過去。雛鳥是黑色夾雜白羽。起初以為是小雞,但牠們躲進溝邊草叢不見了,才知道是野鳥。

天神山有祭典,正在跳獅子舞。只有那一處輕輕揚起塵土,紅色的東西閃閃晃動,與全村的綠色相映。所謂獅子舞,其實是鹿舞。戴上裝有鹿角的面具,五、六個孩子拔劍一起舞蹈。笛聲高而歌聲低,即使在旁邊也很難聽清楚。

日影西斜,起風了。醉漢呼喚人的聲音也顯得寂寥。女人們笑著,孩子們跑來跑去。即便如此,旅途的愁緒仍無可排遣。

盂蘭盆節有新亡者的人家,會高高掛起紅白旗幟招魂。在山口勒馬眺望東西,可以看到十幾處那樣的旗子。不久將離開此地的村人,偶然路過的旅人,還有那悠然的靈山,緩緩降臨的暮色把一切都包裹了起來。

遠野鄉有八座觀音堂,都是用一整棵樹雕成的觀音。這天來還願的人很多,山丘上看得見燈火,聽得到鉦聲。岔路口的草叢裡,雨風祭的稻草人像疲倦的人一樣仰面躺著。

這就是我在遠野鄉得到的印象。

這樣的書,至少不是當今的流行。也許有人會說,就算印刷變得方便,出這種書把自己狹隘的趣味強加於人,是失禮的。

但我還是想說。聽了這樣的故事,看了這樣的土地,有誰能不想告訴別人呢?那樣沉默寡言、謹慎自持的人,至少我的朋友中沒有。

九百年前的大前輩《今昔物語》,在當時就已經是「今已為昔」的故事了。但這本書的故事,是眼前正在發生的事。論虔敬和誠實,我不敢說勝過那本書。但就沒有經過許多人之口、幾乎沒有被人的筆觸碰過這一點來說,那位天真的大納言大人(相傳為《今昔物語》編者的源隆國)倒是值得來這裡聽一聽。近來的怪談書,用心卑下,也不能斷言不是編造的。和它們並列,我私下覺得羞愧。

總之,這本書寫的是「現在的事實」。我相信,單憑這一點,就有充分的理由問世。

只是,鏡石君才二十四、五歲,我也不過比他大十歲。在這個工作堆積如山的時代,不分輕重、用錯了力氣——若被這樣責備,該怎麼辦?若被說像明神山的貓頭鷹一樣,耳朵豎得太尖、眼睛睜得太圓,該怎麼辦?不,沒有辦法。唯有這份責難,只能由我來承擔。

老態龍鍾,既不飛也不鳴的
遠方森林的貓頭鷹,會在笑吧

柳田國男

一遠野這片土地

原文
遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて取り囲まれたる平地なり。新町村にては、遠野、土淵、附馬牛、松崎、青笹、上郷、小友、綾織、鱒沢、宮守、達曾部の一町十ヶ村に分かつ。近代或いは西閉伊郡とも称し、中古にはまた遠野保とも呼べり。今日郡役所のある遠野町はすなわち一郷の町場にして、南部家一万石の城下なり。城を横田城ともいう。この地へ行くには花巻の停車場にて汽車を下り、北上川を渡り、その川の支流猿ヶ石川の渓を伝いて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。山奥には珍しき繁華の地なり。伝えいう、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき邑落をなせしなりと。されば谷川のこの猿ヶ石に落合うもの甚だ多く、俗に七内八崎ありと称す。内は沢または谷のことにて、奥州の地名には多くあり。 ○遠野郷のトーはもとアイヌ語の湖という語より出でたるなるべし、ナイもアイヌ語なり。

遠野鄉相當於今天岩手縣上閉伊郡的西半部,是群山環繞的盆地。以町村來說,分為遠野町,以及土淵、附馬牛、松崎、青笹、上鄉、小友、綾織、鱒澤、宮守、達曾部十個村。江戶時代稱西閉伊郡,中世也叫遠野保。

中心的遠野町是郡役所所在地,是南部家一萬石的城下町。城也叫橫田城。

要去遠野,在花卷站下火車,渡過北上川,沿支流猿石川的河谷往東上溯十三里。在深山中,是難得熱鬧的小鎮。

相傳遠野鄉在遠古時是一整片湖。湖水化為猿石川流出之後,才形成了村落。所以注入猿石川的溪流非常多,據說有「七內八崎」。「內(ない)」指溪澤或山谷,東北的地名中很常見。

*遠野的「トー」,大概來自愛奴語中意為湖的詞。「ナイ」也是愛奴語。

二三位女神

前往地圖篇章〈(place)〉
原文
遠野の町は南北の川の落合にあり。以前は七七十里とて、七つの渓谷おのおの七十里の奥より売買の貨物を聚め、その市の日は馬千匹、人千人の賑わしさなりき。四方の山々の中に最も秀でたるを早池峯という、北の方附馬牛の奥にあり。東の方には六角牛山立てり。石神という山は附馬牛と達曾部との間にありて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴ないてこの高原に来たり、今の来内村の伊豆権現の社あるところに宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃にこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、ついに最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神おのおの三の山に住し今もこれを領したもう故に、遠野の女どもはその妬を畏れて今もこの山には遊ばずといえり。 ○この一里は小道すなわち坂東道なり、一里が五丁または六丁なり。 ○タッソベもアイヌ語なるべし。岩手郡玉山村にも同じ大字あり。 ○上郷村大字来内、ライナイもアイヌ語にてライは死のことナイは沢なり、水の静かなるよりの名か。

遠野町位於從南、北而來的河流交會之處。從前有「七七十里」之說,從七個山谷七十里深處聚集貨物,市集之日有千匹馬、千個人,熱鬧非凡。

四周群山中最高最美的是早池峰山,在北邊附馬牛的深處。東邊聳立著六角牛山。石神山在附馬牛和達曾部之間,比前兩座低。

遠古時候,一位女神帶著三個女兒來到這片高原。

在今天來內村伊豆權現神社附近過夜的那晚,母神說:

「今晚做了最好的夢的女兒,就給她最好的山。」

深夜,從天上降下一朵奇異的花,停在長女的胸口。然而小女兒醒了過來,悄悄把那朵花拿走,放在自己的胸口上。

就這樣,小女兒得到了最美的早池峰,姊姊們得到了六角牛和石神。三位女神至今仍各自住在自己的山上,治理著山。

所以據說遠野的女人們怕遭女神嫉妒,到現在都不去這些山上遊玩。

*這裡說的「里」,是一里約五、六町(約六百公尺)的小里。

*達曾部(タッソベ)大概也是愛奴語。

*來內(ライナイ)也是愛奴語,ライ是死,ナイ是溪澤。也許是因水流平靜而得名。

三黑髮山女

原文
山々の奥には山人住めり。栃内村和野の佐々木嘉兵衛という人は今も七十余にて生存せり。この翁若かりしころ猟をして山奥に入りしに、遥かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳りていたり。顔の色きわめて白し。不敵の男なれば直に銃を差し向けて打ち放せしに弾に応じて倒れたり。そこに馳けつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。のちの験にせばやと思いてその髪をいささか切り取り、これを綰ねて懐に入れ、やがて家路に向いしに、道の程にて耐えがたく睡眠を催しければ、しばらく物蔭に立寄りてまどろみたり。その間夢と現との境のようなる時に、これも丈の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立ち去ると見ればたちまち睡は覚めたり。山男なるべしといえり。 ○土淵村大字栃内。

深山裡住著山人。

栃內村和野一位叫佐佐木嘉兵衛的老人,年過七十至今仍很硬朗。他年輕時打獵進入深山,看到遠處的岩石上有個美麗的女子,正在梳理長長的黑髮。臉白得近乎透明。

嘉兵衛是個有膽量的人,立刻舉槍射擊。女子倒下了。

跑過去一看,是個高個子的女人,解開的黑髮比身高還長。他想留作證據,剪下一點頭髮綰成一束,揣在懷裡踏上歸途。

途中,他忽然睏得受不了。在隱蔽處打盹時,似夢非夢之間,一個高大的男人走近,把手伸進他懷裡,取回那束黑髮走了。

他猛然驚醒。據說那大概是山男吧。

四走在竹叢上的女人

原文
山口村の吉兵衛という家の主人、根子立という山に入り、笹を苅りて束となし担ぎて立上らんとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心づきて見れば、奥の方なる林の中より若き女の穉児を負いたるが笹原の上を歩みて此方へ来るなり。きわめてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。児を結いつけたる紐は藤の蔓にて、着たる衣類は世の常の縞物なれど、裾のあたりぼろぼろに破れたるを、いろいろの木の葉などを添えて綴りたり。足は地に着くとも覚えず。事もなげに此方に近より、男のすぐ前を通りて何方へか行き過ぎたり。この人はその折の怖ろしさより煩い始めて、久しく病みてありしが、近きころ亡せたり。 ○土淵村大字山口、吉兵衛は代々の通称なればこの主人もまた吉兵衛ならん。

山口村一戶叫吉兵衛的人家的主人,在一座叫根子立的山上割細竹。背起竹捆正要站起來時,他注意到風從竹原上吹過。

一看,一個背著幼兒的年輕女子從深處的樹林走來,腳踩在細竹上。她非常豔麗,也垂著長長的黑髮。背孩子的帶子是藤蔓。衣服是普通的條紋布,但下擺破破爛爛,用各種樹葉補綴著。她的腳看起來沒有著地。

女子若無其事地走近,從吉兵衛眼前經過,不知去了哪裡。

吉兵衛因當時的驚恐病倒,臥床許久,最近去世了。

*吉兵衛是世代相傳的名字,所以這位主人大概也叫吉兵衛。

五笛吹峠

原文
遠野郷より海岸の田ノ浜、吉利吉里などへ越ゆるには、昔より笛吹峠という山路あり。山口村より六角牛の方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢うより、誰もみな怖ろしがりて次第に往来も稀になりしかば、ついに別の路を境木峠という方に開き、和山を馬次場として今は此方ばかりを越ゆるようになれり。二里以上の迂路なり。 ○山口は六角牛に登る山口なれば村の名となれるなり。

從遠野到海邊的田之濱、吉里吉里,自古有一條叫笛吹峠的山路。是從山口村往六角牛山方向走的捷徑。

然而近來,翻越這座山口必定會遇到山男山女。大家都害怕而不敢走,終於在境木峠那邊開了新路。現在以和山為換馬站,改走這條路。要多繞兩里以上。

*山口是登六角牛山的入口,因此成了村名。

六被擄走的長者之女

原文
遠野郷にては豪農のことを今でも長者という。青笹村大字糠前の長者の娘、ふと物に取り隠されて年久しくなりしに、同じ村の何某という猟師、或る日山に入りて一人の女に遭う。怖ろしくなりてこれを撃たんとせしに、何おじではないか、ぶつなという。驚きてよく見れば彼の長者がまな娘なり。何故にこんな処にはおるぞと問えば、或る物に取られて今はその妻となれり。子もあまた生みたれど、すべて夫が食い尽して一人此のごとくあり。おのれはこの地に一生涯を送ることなるべし。人にも言うな。御身も危うければ疾く帰れというままに、その在所をも問い明らめずして遁げ還れりという。 ○糠の前は糠の森の前にある村なり、糠の森は諸国の糠塚と同じ。遠野郷にも糠森・糠塚多くあり。

在遠野,至今仍把大農家稱為長者。

青笹村糠前的長者的女兒,有一天忽然不見了,過了好多年。

同村的獵人進山時,遇到一個女人。他害怕起來正要開槍,女人說:

「您是某某叔叔吧。別開槍。」

仔細一看,正是那長者的女兒。

「你怎麼會在這種地方?」

「我被一個人擄走,現在是他的妻子。孩子也生了很多,但都被丈夫吃掉了,所以只剩我一個人。我會在這裡度過一生吧。請不要告訴任何人。你也有危險,快回去吧。」

據說獵人連她住在哪裡都沒問清楚,就逃回去了。

*糠前是位於糠森前面的村子。糠森和各地的糠塚相同,遠野也很多。

七五葉山的岩屋

原文
上郷村の民家の娘、栗を拾いに山に入りたるまま帰り来たらず。家の者は死したるならんと思い、女のしたる枕を形代として葬式を執行い、さて二三年を過ぎたり。しかるにその村の者猟をして五葉山の腰のあたりに入りしに、大なる岩の蔽いかかりて岩窟のようになれるところにて、図らずこの女に逢いたり。互いに打ち驚き、いかにしてかかる山にはおるかと問えば、女の曰く、山に入りて恐ろしき人にさらわれ、こんなところに来たるなり。遁げて帰らんと思えど些の隙もなしとのことなり。その人はいかなる人かと問うに、自分には並の人間と見ゆれど、ただ丈きわめて高く眼の色少し凄しと思わる。子供も幾人か生みたれど、我に似ざれば我子にはあらずといいて食うにや殺すにや、みないずれへか持ち去りてしまうなりという。まことに我々と同じ人間かと押し返して問えば、衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少しちがえり。一市間に一度か二度、同じようなる人四五人集まりきて、何事か話をなし、やがて何方へか出て行くなり。食物など外より持ち来たるを見れば町へも出ることならん。かく言ううちにも今にそこへ帰って来るかも知れずという故、猟師も怖ろしくなりて帰りたりといえり。二十年ばかりも以前のことかと思わる。 ○一市間は遠野の町の市の日と次の市の日の間なり。月六度の市なれば一市間はすなわち五日のことなり。

上鄉村一戶農家的女兒,進山撿栗子後就沒有回來。家人以為她死了,便以她的枕頭代替遺體辦了喪事。

過了兩三年,同村的獵人在五葉山半山腰、一處被大岩石覆蓋的岩屋般的地方,意外遇見了那個女兒。

「你怎麼會在這種山裡?」

「我在山裡被一個可怕的人擄走,帶到這裡來。想逃,卻一點機會也沒有。」

「是什麼樣的人?」

「在我看來和普通人一樣,只是個子非常高,眼神有點可怕。孩子也生了幾個,但他說不像自己,不是他的孩子,不知是吃了還是殺了,全都帶到別處去了。」

「真的和我們一樣是人嗎?」

「穿的衣服也普通。只是眼睛的顏色有點不同。每隔五天會有一兩次,四、五個同樣的人聚在一起,說些什麼,又出去了。食物是從外面帶來的,所以大概也會到鎮上去吧。」

然後女兒說:

「我們這樣說話的時候,他說不定就回來了。」

獵人也害怕起來,急忙回來了。似乎是二十年前左右的事。

*原文的「一市間」,指從一個市集日到下一個市集日。遠野的市集每月六次,所以相當於五天。

八寒戶的老婆婆

前往地圖篇章〈(place)〉
原文
黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。松崎村の寒戸というところの民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或る日親類知音の人々その家に集まりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりし故帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの婆が帰って来そうな日なりという。

黃昏時在外面的女人和孩子會遭神隱,這和別的地方一樣。

松崎村一個叫寒戶的地方,有戶人家的年輕女兒,把草鞋脫在梨樹下,就此下落不明。

過了三十多年的某一天,親戚和熟人聚在那戶人家時,一個非常衰老憔悴的女人回來了。就是那個女兒。

「你怎麼回來了?」

「想見見大家。那麼,我又要走了。」

說完,女人又消失得無影無蹤。

那天是個狂風大作的日子。所以遠野人至今在風聲喧囂的日子,還會說:「今天像是寒戶的老婆婆要回來的日子。」

九「好有趣啊——」

原文
菊池弥之助という老人は若きころ駄賃を業とせり。笛の名人にて夜通しに馬を追いて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。ある薄月夜に、あまたの仲間の者とともに浜へ越ゆる境木峠を行くとて、また笛を取り出して吹きすさみつつ、大谷地というところの上を過ぎたり。大谷地は深き谷にて白樺の林しげく、その下は葦など生じ湿りたる沢なり。この時谷の底より何者か高き声にて面白いぞーと呼ばわる者あり。一同ことごとく色を失い遁げ走りたりといえり。 ○ヤチはアイヌ語にて湿地の義なり、内地に多くある地名なり。またヤツともヤトともヤともいう。

一位叫菊池彌之助的老人,年輕時以馬運貨為業。他是吹笛的高手,徹夜趕馬時,常常邊走邊吹笛。

一個月色朦朧的夜晚,他和夥伴們走在通往海邊的境木峠上,又吹笛吹得興起,經過一個叫大谷地的深谷上方。那裡白樺林茂密,下面是長著蘆葦的濕地。

這時,谷底傳來一個大聲音:

「好有趣啊——」

據說大家臉色發青,拔腿就逃。

*ヤチ是愛奴語的濕地。也叫ヤツ、ヤト、ヤ,各地的地名中很多。

一〇遠處的尖叫

原文
この男ある奥山に入り、茸を採るとて小屋を掛け宿りてありしに、深夜に遠きところにてきゃーという女の叫び声聞え胸を轟かしたることあり。里へ帰りて見れば、その同じ夜、時も同じ刻限に、自分の妹なる女その息子のために殺されてありき。

這位彌之助在深山裡採菇、住在小屋時,半夜遠處傳來女人「啊——」的尖叫聲,讓他心頭一陣不安。

回到村裡,才知道那天夜裡的同一時刻,彌之助的妹妹被她的兒子殺了。

一一弒母

原文
この女というは母一人子一人の家なりしに、嫁と姑との仲悪しくなり、嫁はしばしば親里へ行きて帰り来ざることあり。その日は嫁は家にありて打ち臥しておりしに、昼のころになり突然と倅のいうには、ガガはとても生かしては置かれぬ、今日はきっと殺すべしとて、大なる草苅鎌を取り出し、ごしごしと磨ぎ始めたり。そのありさまさらに戯言とも見えざれば、母はさまざまに事を分けて詫びたれども少しも聴かず。嫁も起き出でて泣きながら諫めたれど、露従う色もなく、やがて母が遁れ出でんとする様子あるを見て、前後の戸口をことごとく鎖したり。便用に行きたしといえば、おのれみずから外より便器を持ち来たりてこれへせよという。夕方にもなりしかば母もついにあきらめて、大なる囲炉裡の側にうずくまりただ泣きていたり。倅はよくよく磨ぎたる大鎌を手にして近より来たり、まず左の肩口を目がけて薙ぐようにすれば、鎌の刃先炉の上の火棚に引っかかりてよく斬れず。その時に母は深山の奥にて弥之助が聞きつけしようなる叫び声を立てたり。二度目には右の肩より切り下げたるが、これにてもなお死絶えずしてあるところへ、里人ら驚きて馳せつけ倅を取り抑え直に警察官を呼びて渡したり。警官がまだ棒を持ちてある時代のことなり。母親は男が捕えられ引き立てられて行くを見て、滝のように血の流るる中より、おのれは恨も抱かずに死ぬるなれば、孫四郎は宥したまわれという。これを聞きて心を動かさぬ者はなかりき。孫四郎は途中にてもその鎌を振り上げて巡査を追い廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里にあり。 ○ガガは方言にて母ということなり。

妹妹家只有母子二人,但婆媳不和,媳婦屢次回娘家就不回來。

那天,媳婦在家裡躺著。中午時分,兒子突然說:

「嘎嘎(媽)已經不能讓她活了。今天一定要殺了她。」

然後拿出一把大草鐮,嚓嚓地磨了起來。怎麼看都不像玩笑。母親拚命道歉,兒子不聽。媳婦也起來哭著阻止,他完全充耳不聞。

看到母親想逃,兒子把前後門全都關上。母親說要上廁所,他就從外面拿來便器說:「就在這裡解決。」

到了傍晚,母親也死了心,蹲在地爐旁,只是哭。

兒子拿著磨好的鐮刀走近,先朝左肩橫砍過去。但刀尖勾到地爐上方的火棚,沒能砍深。這時母親發出了彌之助在深山裡聽到的那聲尖叫。

第二刀從右肩砍下。母親還有一口氣時,鄰居們趕來制伏了兒子,交給了警察。那是警察還拿著棍子的時代。

看到兒子被押走,母親在如瀑布般流淌的血泊中說:

「我死了也不恨他,請饒了孫四郎吧。」

聽到這話,沒有一個人不為之動容。

孫四郎在被帶走的路上,還揮著鐮刀追趕巡查,但因為精神失常而獲赦回家,至今仍住在村裡。

一二乙爺

原文
土淵村山口に新田乙蔵という老人あり。村の人は乙爺という。今は九十に近く病みてまさに死なんとす。年頃遠野郷の昔の話をよく知りて、誰かに話して聞かせ置きたしと口癖のようにいえど、あまり臭ければ立ち寄りて聞かんとする人なし。処々の館の主の伝記、家々の盛衰、昔よりこの郷に行われし歌の数々を始めとして、深山の伝説またはその奥に住める人々の物語など、この老人最もよく知れり。 ○惜むべし、乙爺は明治四十二年の夏の始めになくなりたり。

土淵村山口有一位叫新田乙藏的老人。村人叫他乙爺。年近九十,生了病,眼看就要死了。

他對遠野的往事知道得很清楚,口頭禪是「想講給誰聽」,但因為身上太臭,沒有人肯靠近去聽。各處「館」的館主的故事、各戶人家的興衰、自古在這片土地上傳唱的歌、深山的傳說和住在那裡的人們的故事——這些都是這位老人知道得最多。

*可惜乙爺在明治四十二年初夏去世了。

一三山口的甜酒攤

原文
この老人は数十年の間山の中に独りにて住みし人なり。よき家柄なれど、若きころ財産を傾け失いてより、世の中に思いを絶ち、峠の上に小屋を掛け、甘酒を往来の人に売りて活計とす。駄賃の徒はこの翁を父親のように思いて、親しみたり。少しく収入の余あれば、町に下りきて酒を飲む。赤毛布にて作りたる半纏を着て、赤き頭巾を被り、酔えば、町の中を躍りて帰るに巡査もとがめず。いよいよ老衰して後、旧里に帰りあわれなる暮しをなせり。子供はすべて北海道へ行き、翁ただ一人なり。

乙爺是在山中獨自生活了幾十年的人。他出身好人家,年輕時把家產揮霍殆盡,對世事心灰意冷,在山口頂上搭了小屋,賣甜酒給過路人維生。

用馬運貨的人們,把這位老人當父親一樣敬愛。稍有一點餘錢,乙爺就下山到鎮上喝酒。他穿著紅毛毯做的半纏,戴著紅頭巾,喝醉了就在鎮上邊跳舞邊回去,巡查也不加責備。

完全老了以後他回到故鄉,過著寂寞的日子。孩子們都去了北海道,只剩他一個人。

一四奧內樣與御白樣

原文
部落には必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマという神を祀る。その家をば大同という。この神の像は桑の木を削りて顔を描き、四角なる布の真中に穴を明け、これを上より通して衣裳とす。正月の十五日には小字中の人々この家に集まり来たりてこれを祭る。またオシラサマという神あり。この神の像もまた同じようにして造り設け、これも正月の十五日に里人集まりてこれを祭る。その式には白粉を神像の顔に塗ることあり。大同の家には必ず畳一帖の室あり。この部屋にて夜寝る者はいつも不思議に遭う。枕を反すなどは常のことなり。或いは誰かに抱き起こされ、または室より突き出さるることもあり。およそ静かに眠ることを許さぬなり。 ○オシラサマは双神なり。アイヌの中にもこの神あること『蝦夷風俗彙聞』に見ゆ。 ○羽後苅和野の町にて市の神の神体なる陰陽の神に正月十五日白粉を塗りて祭ることあり。これと似たる例なり。

每個聚落必定有一戶古老人家,祭祀一位叫奧內樣(オクナイサマ)的神。那戶人家叫「大同」。

奧內樣的神像,是削桑木畫上臉,在一塊方布中央開洞,從頭上套下當作衣服。正月十五日,整個聚落的人聚集到這戶人家祭祀。

還有一位叫御白樣(オシラサマ)的神。神像的做法相同,也在正月十五日由村人聚集祭祀。那時有時會在神像的臉上塗白粉。

大同的人家,必定有一間只有一張榻榻米大的房間。在這裡睡覺,總會發生怪事。枕頭被翻過來是家常便飯。還會被人抱起來,或被推出房間。總之,就是不讓人安穩入睡。

*御白樣是兩尊一組的神。《蝦夷風俗彙聞》中可見愛奴人也有這位神。

*秋田苅和野的鎮上,也在正月十五日為市集之神的男女像塗白粉祭祀。是很相似的例子。

一五幫忙插秧的小和尚

原文
オクナイサマを祭れば幸多し。土淵村大字柏崎の長者阿部氏、村にては田圃の家という。この家にて或る年田植の人手足らず、明日は空も怪しきに、わずかばかりの田を植え残すことかなどつぶやきてありしに、ふと何方よりともなく丈低き小僧一人来たりて、おのれも手伝い申さんというに任せて働かせて置きしに、午飯時に飯を食わせんとて尋ねたれど見えず。やがて再び帰りきて終日、代を掻きよく働きてくれしかば、その日に植えはてたり。どこの人かは知らぬが、晩にはきて物を食いたまえと誘いしが、日暮れてまたその影見えず。家に帰りて見れば、縁側に小さき泥の足跡あまたありて、だんだんに座敷に入り、オクナイサマの神棚のところに止りてありしかば、さてはと思いてその扉を開き見れば、神像の腰より下は田の泥にまみれていませし由。

祭祀奧內樣,會有很多好事。

土淵村柏崎的長者阿部家,在村裡被稱為「田圃之家」。有一年插秧人手不足,正抱怨著:「明天天氣也不太妙,難道要剩下一點沒插完嗎?」

這時,不知從哪裡來了一個個子矮小的小和尚,說:「我也來幫忙吧。」讓他幹活,到了吃午飯時他不見了,不知何時又回來,一整天把田整得很好。託他的福,當天就插完了。

「不知您是哪裡人,請留下來吃晚飯吧。」

這樣邀請他,但天一黑,又不見他的蹤影。

回到家裡,廊緣上有許多小小的泥腳印,一直延伸到客廳深處,停在奧內樣的神龕前。他們想莫非是,打開神龕的門一看,神像從腰部以下沾滿了田裡的泥巴。

一六金精樣

原文
コンセサマを祭れる家も少なからず。この神の神体はオコマサマとよく似たり。オコマサマの社は里に多くあり。石または木にて男の物を作りて捧ぐるなり。今はおいおいとその事少なくなれり。

祭祀金精樣(コンセサマ)的人家也不少。神體和御駒樣(オコマサマ)很相似。御駒樣的神社村裡有很多。用石頭或木頭雕成男性生殖器的形狀供奉,但現在這樣的事已經越來越少了。

一七座敷童子

前往地圖篇章〈(place)〉
原文
旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童児なり。おりおり人に姿を見することあり。土淵村大字飯豊の今淵勘十郎という人の家にては、近きころ高等女学校にいる娘の休暇にて帰りてありしが、或る日廊下にてはたとザシキワラシに行き逢い大いに驚きしことあり。これは正しく男の児なりき。同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物しておりしに、次の間にて紙のがさがさという音あり。この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。しばらくの間坐りて居ればやがてまた頻に鼻を鳴らす音あり。さては座敷ワラシなりけりと思えり。この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの沙汰なりき。この神の宿りたもう家は富貴自在なりということなり。 ○ザシキワラシは座敷童衆なり。この神のこと『石神問答』中にも記事あり。

古老的人家,常住著一位叫座敷童子的神。大多是十二、三歲左右的孩童模樣,有時會在人前現身。

土淵村飯豐的今淵勘十郎家,在高等女學校讀書的女兒放假回家時,在走廊上迎面撞見座敷童子,嚇了一大跳。據說那確實是個男孩。

同村山口的佐佐木家,母親獨自做針線時,隔壁房間傳來紙張沙沙作響的聲音。那是主人的房間,但主人去了東京不在家。她覺得奇怪,拉開木板門一看,一個人也沒有。坐了一會兒,又頻頻傳來吸鼻子的聲音。她心想,莫非是座敷童子。這家有座敷童子,早就遠近聞名了。

據說有這位神的人家,會富裕興旺,什麼都不缺。

*座敷童子即「座敷童眾」。《石神問答》中也有關於這位神的記載。

一八離開孫左衛門家的女孩們

原文
ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人いませりということを久しく言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて留場の橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に逢えり。物思わしき様子にて此方へ来たる。お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸の毒に中りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ病みて失せたり。

座敷童子也有女孩。

山口的老家山口孫左衛門家,自古就傳說住著兩位女孩模樣的神。

某年,同村一個男人從鎮上回來的路上,在留場的橋附近,遇到兩個沒見過的美麗姑娘。她們若有所思地朝這邊走來。

「你們從哪裡來?」

「我們從山口的孫左衛門家來。」

「現在要去哪裡?」

「去某某村的某某人家。」

那戶人家是稍遠村子裡、至今仍很興旺的富農。男人心想,孫左衛門家也要完了。

不久之後,孫左衛門家的主人和僕人二十幾人,因吃了毒菇,一天之內全部死絕。只有一個七歲的女孩活了下來,但她也年老無子,最近病死了。

一九毒菇

原文
孫左衛門が家にては、或る日梨の木のめぐりに見馴れぬ茸のあまた生えたるを、食わんか食うまじきかと男どもの評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制したれども、下男の一人がいうには、いかなる茸にても水桶の中に入れて苧殻をもってよくかき廻してのち食えば決して中ることなしとて、一同この言に従い家内ことごとくこれを食いたり。七歳の女の児はその日外に出でて遊びに気を取られ、昼飯を食いに帰ることを忘れしために助かりたり。不意の主人の死去にて人々の動転してある間に、遠き近き親類の人々、或いは生前に貸ありといい、或いは約束ありと称して、家の貨財は味噌の類までも取り去りしかば、この村草分の長者なりしかども、一朝にして跡方もなくなりたり。

有一天,孫左衛門家的梨樹周圍,長出許多沒見過的菇。男人們商量著吃還是不吃,最後一代當家孫左衛門說:「別吃。」

但一個男僕說:

「不管什麼菇,放進水桶裡用麻稈好好攪一攪再吃,絕對不會中毒。」

大家都信了,全家人都吃了。

七歲的女孩那天在外面玩得入迷,忘了回來吃午飯,因此得救。

主人突然死去,人們慌亂之際,遠親近親都說生前借過錢、有過約定,把家產連味噌都搬走了。這是最早開闢村子的長者之家,卻一夜之間蕩然無存。

二〇蛇塚

原文
この兇変の前にはいろいろの前兆ありき。男ども苅置きたる秣を出すとて三ツ歯の鍬にて掻きまわせしに、大なる蛇を見出したり。これも殺すなと主人が制せしをも聴かずして打ち殺したりしに、その跡より秣の下にいくらともなき蛇ありて、うごめき出でたるを、男ども面白半分にことごとくこれを殺したり。さて取り捨つべきところもなければ、屋敷の外に穴を掘りてこれを埋め、蛇塚を作る。その蛇は簣に何荷ともなくありたりといえり。

這場不幸之前,有種種預兆。

男人們要用三齒耙把割好的草料扒出來時,出來一條大蛇。主人阻止說不要殺,他們不聽,把蛇打死了。結果,草料下面爬出了數不清的蛇。男人們半開玩笑地把牠們全都殺了。

沒有地方丟,就在宅院外挖洞埋起來,築了蛇塚。據說蛇多得不知道用畚箕運了多少趟。

二一馴服狐狸的學者

原文
右の孫左衛門は村には珍しき学者にて、常に京都より和漢の書を取り寄せて読み耽りたり。少し変人という方なりき。狐と親しくなりて家を富ます術を得んと思い立ち、まず庭の中に稲荷の祠を建て、自身京に上りて正一位の神階を請けて帰り、それよりは日々一枚の油揚を欠かすことなく、手ずから社頭に供えて拝をなせしに、のちには狐馴れて近づけども遁げず。手を延ばしてその首を抑えなどしたりという。村にありし薬師の堂守は、わが仏様は何ものをも供えざれども、孫左衛門の神様よりは御利益ありと、たびたび笑いごとにしたりとなり。

孫左衛門在村裡是少見的學者,常從京都購來和漢書籍埋頭苦讀。他是個有點古怪的人。

他想學會和狐狸交好、使家致富的法術,先在院子裡建了稻荷祠,親自上京都,求得最高位的「正一位」。從此每天必定親手供上一片油豆腐參拜。不久狐狸也熟了,靠近也不逃,據說甚至能伸手按住牠的脖子。

村裡藥師堂的堂守常當笑話說:「我們的佛什麼供品也沒有,卻比孫左衛門的神更靈驗。」

二二轉動的炭籃

原文
佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取り納め親族の者集まりきてその夜は一同座敷にて寝たり。死者の娘にて乱心のため離縁せられたる婦人もまたその中にありき。喪の間は火の気を絶やすことを忌むがところの風なれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裡の両側に坐り、母人は旁に炭籠を置き、おりおり炭を継ぎてありしに、ふと裏口の方より足音してくる者あるを見れば、亡くなりし老女なり。平生腰かがみて衣物の裾の引きずるを、三角に取り上げて前に縫いつけてありしが、まざまざとその通りにて、縞目にも見覚えあり。あなやと思う間もなく、二人の女の坐れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取にさわりしに、丸き炭取なればくるくるとまわりたり。母人は気丈の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打ち臥したる座敷の方へ近より行くと思うほどに、かの狂女のけたたましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。その余の人々はこの声に睡を覚しただ打ち驚くばかりなりしといえり。 ○マーテルリンクの『侵入者』を想い起こさしむ。

佐佐木氏的曾祖母年老去世時的事。入殮之後,親族聚在一起,那晚都睡在客廳。死者的女兒、一個因精神失常被休回娘家的女人也在一起。

在這地方,服喪期間不能讓火熄滅。於是只有祖母和母親兩人,坐在大地爐的兩側。母親把炭籃放在身邊,不時添炭。

忽然,後門那邊傳來腳步聲。一看,是應該已經去世的老婦人。她生前腰彎,衣襬拖地,所以把衣襬折成三角形縫在前面,正是那副模樣,條紋花色也很眼熟。

還來不及驚呼,老婦人就從兩人坐的地爐旁走過。她的衣襬碰到炭籃,圓形的炭籃滴溜溜地轉了起來。

母親是個剛強的人,回頭用目光追著她。正當老婦人走近親族睡著的客廳時,那個精神失常的女人尖聲大叫:

「婆婆來了!」

據說睡著的人們被那聲音驚醒,只是驚愕不已。

*令人想起梅特林克的劇作《不速之客》。

二三門口的背影

原文
同じ人の二七日の逮夜に、知音の者集まりて、夜更くるまで念仏を唱え立ち帰らんとする時、門口の石に腰掛けてあちらを向ける老女あり。そのうしろ付正しく亡くなりし人の通りなりき。これは数多の人見たる故に誰も疑わず。いかなる執着のありしにや、ついに知る人はなかりしなり。

同一位死者「二七」的前夜,熟人們聚集念佛到深夜。要回去時,門口的石頭上,有個老婦人背對著坐著。那背影正是死者本人。

很多人都看到了,沒有人懷疑。她到底有什麼放不下的,終究沒有人知道。

二四叫大同的人家

原文
村々の旧家を大同というは、大同元年に甲斐国より移り来たる家なればかくいうとのことなり。大同は田村将軍征討の時代なり。甲斐は南部家の本国なり。二つの伝説を混じたるに非ざるか。 ○大同は大洞かも知れず、洞とは東北にて家門または族ということなり。『常陸国志』に例あり、ホラマエという語のちに見ゆ。

各村的老家叫「大同」,據說是因為他們是大同元年(806年)從甲斐國(山梨縣)遷來的人家。大同是坂上田村麻呂征討蝦夷的時代。另一方面,甲斐是南部家的故鄉。也許是兩種傳說混在一起了吧。

*大同也許是「大洞」。在東北,「洞(ほら)」指一族。後面出現的「洞前」一詞也是這個意思。

二五只有一邊的門松

原文
大同の祖先たちが、始めてこの地方に到着せしは、あたかも歳の暮にて、春のいそぎの門松を、まだ片方はえ立てぬうちに早元日になりたればとて、今もこの家々にては吉例として門松の片方を地に伏せたるままにて、標縄を引き渡すとのことなり。

大同的祖先初到此地時,正好是年底。正月的門松才立好一邊,就已經是元旦了。

所以據說至今這些人家,作為吉祥的習俗,把門松的一邊放倒在地上,就這樣拉起注連繩。

二六田圃之家的雕刻師

原文
柏崎の田圃のうちと称する阿倍氏はことに聞えたる旧家なり。この家の先代に彫刻に巧なる人ありて、遠野一郷の神仏の像にはこの人の作りたる者多し。

柏崎「田圃之家」阿部家,是特別有名的老家。前代有一位擅長雕刻的人,遠野各處的神佛像,很多都出自他的手。

二七出黃金的石臼

原文
早池峯より出でて東北の方宮古の海に流れ入る川を閉伊川という。その流域はすなわち下閉伊郡なり。遠野の町の中にて今は池の端という家の先代の主人、宮古に行きての帰るさ、この川の原台の淵というあたりを通りしに、若き女ありて一封の手紙を托す。遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行きて、手を叩けば宛名の人いで来べしとなり。この人請け合いはしたれども路々心に掛りてとつおいつせしに、一人の六部に行き逢えり。この手紙を開きよみて曰く、これを持ち行かば汝の身に大なる災あるべし。書き換えて取らすべしとて更に別の手紙を与えたり。これを持ちて沼に行き教えのごとく手を叩きしに、果して若き女いでて手紙を受け取り、その礼なりとてきわめて小さき石臼をくれたり。米を一粒入れて回せば下より黄金出づ。この宝物の力にてその家やや富有になりしに、妻なる者慾深くして、一度にたくさんの米をつかみ入れしかば、石臼はしきりに自ら回りて、ついには朝ごとに主人がこの石臼に供えたりし水の、小さき窪みの中に溜りてありし中へ滑り入りて見えずなりたり。その水溜りはのちに小さき池になりて、今も家の旁にあり。家の名を池の端というもその為なりという。 ○この話に似たる物語西洋にもあり、偶合にや。

從早池峰流出、往東北注入宮古海的是閉伊川。

遠野鎮上有一戶現在叫「池之端」的人家。這家前代主人從宮古回來,經過閉伊川原台淵附近時,一個年輕女子託他帶一封信。

「請到遠野鎮後面的物見山,去山腰的沼澤拍手。收信的人就會出來。」

答應了之後,他一路上總覺得不對勁。正猶豫著走著,遇到一個巡禮的六部。六部打開信看了說:

「帶著這封信去,你會遭大禍。我幫你改寫吧。」

然後給了他另一封信。

他帶著那封信到沼澤拍手,果然出來一個年輕女子收下了信。作為謝禮,她給了他一個非常小的石臼。放進一粒米轉動,下面就會出黃金。

靠著這個寶物,家漸漸富裕起來。然而妻子起了貪心,一次抓了很多米放進去。結果石臼自己咕嚕咕嚕轉起來,滑進主人每天早上供水積成的小窪坑裡,消失了。

那個窪坑後來成了小池塘,至今還在屋旁。據說「池之端」這個家名,就是由此而來。

*西洋也有類似的故事。是偶然的巧合嗎?

二八吃了燒石頭的和尚

原文
始めて早池峯に山路をつけたるは、附馬牛村の何某という猟師にて、時は遠野の南部家入部の後のことなり。その頃までは土地の者一人としてこの山には入りたる者なかりしと。この猟師半分ばかり道を開きて、山の半腹に仮小屋を作りておりしころ、或る日炉の上に餅をならべ焼きながら食いおりしに、小屋の外を通る者ありて頻に中を窺うさまなり。よく見れば大なる坊主なり。やがて小屋の中に入り来たり、さも珍しげに餅の焼くるを見てありしが、ついにこらえ兼ねて手をさし延べて取りて食う。猟師も恐ろしければ自らもまた取りて与えしに、嬉しげになお食いたり。餅皆になりたれば帰りぬ。次の日もまた来るならんと思い、餅によく似たる白き石を二つ三つ、餅にまじえて炉の上に載せ置きしに、焼けて火のようになれり。案のごとくその坊主きょうもきて、餅を取りて食うこと昨日のごとし。餅尽きてのちその白石をも同じように口に入れたりしが、大いに驚きて小屋を飛び出し姿見えずなれり。のちに谷底にてこの坊主の死してあるを見たりといえり。 ○北上川の中古の大洪水に白髪水というがあり、白髪の姥を欺き餅に似たる焼石を食わせし祟なりという。この話によく似たり。

最早在早池峰開山路的,是附馬牛村的獵人,是南部家來到遠野以後的事。據說在那以前,當地沒有一個人進過這座山。

獵人把路開了一半左右,在半山腰搭了臨時小屋住著。有一天,他在地爐上烤年糕吃,小屋外有人經過,頻頻往裡面窺看。一看,是個大和尚。

和尚走進小屋,好奇地看著年糕烤熟,終於忍不住伸手拿來吃了。獵人也害怕,便自己也遞年糕給他,和尚高興地又吃了。年糕吃完了,他就回去了。

明天他一定還會來。獵人把兩三顆很像年糕的白石頭混在年糕裡放在地爐上。石頭燒得像火一樣燙。

果然,和尚那天又來了,像前一天一樣吃年糕。年糕吃完了,他也把白石頭照樣丟進嘴裡。和尚頓時跳起來衝出小屋,不見了。

據說後來在谷底發現這和尚死了。

*北上川從前的大洪水叫「白髮水」。據說是騙白髮老婆婆吃了像年糕的燒石頭所遭的報應。和這個故事很相似。

二九雞頭山的三個巨人

原文
鶏頭山は早池峯の前面に立てる峻峯なり。麓の里にてはまた前薬師ともいう。天狗住めりとて、早池峯に登る者も決してこの山は掛けず。山口のハネトという家の主人、佐々木氏の祖父と竹馬の友なり。きわめて無法者にて、鉞にて草を苅り鎌にて土を掘るなど、若き時は乱暴の振舞のみ多かりし人なり。或る時人と賭をして一人にて前薬師に登りたり。帰りての物語に曰く、頂上に大なる岩あり、その岩の上に大男三人いたり。前にあまたの金銀をひろげたり。この男の近よるを見て、気色ばみて振り返る、その眼の光きわめて恐ろし。早池峯に登りたるが途に迷いて来たるなりと言えば、然らば送りて遣るべしとて先に立ち、麓近きところまで来たり、眼を塞げと言うままに、暫時そこに立ちている間に、たちまち異人は見えずなりたりという。

雞頭山是聳立在早池峰前方的險峻山峰,山腳的村子也叫它「前藥師」。據說住著天狗,登早池峰的人也絕不踏進這座山。

山口一戶叫羽根戶的人家的主人,是佐佐木氏祖父的兒時玩伴,非常魯莽。用斧頭割草、用鐮刀挖土,盡做些粗暴的事。

有一次,他和人打賭,獨自登上了前藥師。回來後他說——

山頂有塊大岩石,上面有三個巨人。眼前攤著堆積如山的金銀。他們發現了他,表情兇狠地回過頭來。那眼光之可怕,簡直無法形容。

「我本想登早池峰,卻迷了路走到這裡。」

他這麼說,巨人們便說「那就送你吧」,走在前面帶路。快到山腳時,他們說:「閉上眼睛。」他照著做,站了一會兒,巨人們不知何時已經不見了。

三〇地竹中的巨人

原文
小国村の何某という男、或る日早池峯に竹を伐りに行きしに、地竹のおびただしく茂りたる中に、大なる男一人寝ていたるを見たり。地竹にて編みたる三尺ばかりの草履を脱ぎてあり。仰に臥して大なる鼾をかきてありき。 ○下閉伊郡小国村大字小国。 ○地竹は深山に生ずる低き竹なり。

小國村的一個男人,有一天到早池峰砍竹子,在地竹密生的地方,有個巨人睡著。他把用地竹編的、長達三尺(約九十公分)的草鞋脫下擺好,仰面朝天,打著大呼嚕。

*地竹是生長在深山的矮竹。

三一被擄走的孩子們

原文
遠野郷の民家の子女にして、異人にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。

遠野各家的孩子,每年都有很多被異人擄走。據說尤其以女孩居多。

三二白鹿與千晚岳

原文
千晩ヶ岳は山中に沼あり。この谷は物すごく腥き臭のするところにて、この山に入り帰りたる者はまことに少なし。昔何の隼人という猟師あり。その子孫今もあり。白き鹿を見てこれを追いこの谷に千晩こもりたれば山の名とす。その白鹿撃たれて遁げ、次の山まで行きて片肢折れたり。その山を今片羽山という。さてまた前なる山へきてついに死したり。その地を死助という。死助権現とて祀れるはこの白鹿なりという。 ○宛然として古風土記をよむがごとし。

千晚岳的山中有沼澤。那個山谷有一股很重的腥臭味,進去了而能回來的人幾乎沒有。

從前有個叫某某隼人的獵人。他的子孫至今還在。他發現一頭白鹿,追著牠,在這個山谷裡待了一千個夜晚。這成了山名。

白鹿中槍逃走,在下一座山折斷了一條腿。那座山現在叫片羽山。鹿又回到原來的山,終於死了。那個地方叫「死助」。據說被祭祀為死助權現的,就是這頭白鹿。

*簡直像在讀古老的風土記。

三三白望山的怪事

原文
白望の山に行きて泊れば、深夜にあたりの薄明るくなることあり。秋のころ茸を採りに行き山中に宿する者、よくこの事に逢う。また谷のあなたにて大木を伐り倒す音、歌の声など聞ゆることあり。この山の大さは測るべからず。五月に萱を苅りに行くとき、遠く望めば桐の花の咲き満ちたる山あり。あたかも紫の雲のたなびけるがごとし。されどもついにそのあたりに近づくこと能わず。かつて茸を採りに入りし者あり。白望の山奥にて金の樋と金の杓とを見たり。持ち帰らんとするにきわめて重く、鎌にて片端を削り取らんとしたれどそれもかなわず。また来んと思いて樹の皮を白くし栞としたりしが、次の日人々とともに行きてこれを求めたれど、ついにその木のありかをも見出しえずしてやみたり。

在白望山過夜,有時半夜四周會變得朦朧發亮。秋天進山採菇過夜的人,常常遇到這種事。有時也會聽到山谷對面砍倒大樹的聲音和歌聲。

這座山廣大得無法估量。五月去割茅草時,可以看到遠處一座開滿桐花的山。宛如紫雲繚繞。但無論如何都走不到那裡。

有一次,採菇的人在白望深處發現了金水槽和金水瓢。想帶回去,卻重得搬不動。想用鐮刀削下一角,也削不動。他想以後再來,就剝下附近樹木的樹皮,做了白色的記號。然而第二天帶夥伴去找,連那棵樹都找不到了。

三四窺看小屋的女人

原文
白望の山続きに離森というところあり。その小字に長者屋敷というは、全く無人の境なり。ここに行きて炭を焼く者ありき。或る夜その小屋の垂菰をかかげて、内を窺う者を見たり。髪を長く二つに分けて垂れたる女なり。このあたりにても深夜に女の叫び声を聞くことは珍しからず。

白望的山脈相連處,有個叫離森的地方。其中叫長者屋敷的一帶,完全無人居住。

有人在這裡燒炭。一天夜裡,有東西掀開垂在小屋門口的草蓆往裡看。是個把長髮分成兩股垂下的女人。

在這一帶,半夜聽到女人的尖叫聲也不稀奇。

三五在空中奔跑的女人

原文
佐々木氏の祖父の弟、白望に茸を採りに行きて宿りし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森林の前を横ぎりて、女の走り行くを見たり。中空を走るように思われたり。待てちゃアと二声ばかり呼ばわりたるを聞けりとぞ。

佐佐木氏祖父的弟弟去白望採菇、在山上過夜時,看到隔著山谷的對面大樹林前,有個女人橫越著跑過去。看起來像在空中奔跑。

據說還聽到兩次「等一等啊」的呼喊聲。

三六二石山的狼

原文
猿の経立、御犬の経立は恐ろしきものなり。御犬とは狼のことなり。山口の村に近き二ツ石山は岩山なり。ある雨の日、小学校より帰る子どもこの山を見るに、処々の岩の上に御犬うずくまりてあり。やがて首を下より押しあぐるようにしてかわるがわる吠えたり。正面より見れば生まれ立ての馬の子ほどに見ゆ。後から見れば存外小さしといえり。御犬のうなる声ほど物凄く恐ろしきものはなし。

猿的「經立」和御犬的「經立」都很可怕。「經立」是活了很多年而有了妖力的野獸,「御犬」就是狼。

靠近山口村的二石山是座岩山。一個下雨天,從小學回家的孩子仰望這座山,看到各處岩石上蹲著狼。不久牠們像從下往上伸脖子似地,輪流嚎叫起來。

從正面看,像剛出生的小馬那麼大。據說從後面看,卻意外地小。

沒有什麼比狼的嗥叫聲更淒厲可怕的了。

三七兩三百頭狼

原文
境木峠と和山峠との間にて、昔は駄賃馬を追う者、しばしば狼に逢いたりき。馬方らは夜行には、たいてい十人ばかりも群をなし、その一人が牽く馬は一端綱とてたいてい五六七匹までなれば、常に四五十匹の馬の数なり。ある時二三百ばかりの狼追い来たり、その足音山もどよむばかりなれば、あまりの恐ろしさに馬も人も一所に集まりて、そのめぐりに火を焼きてこれを防ぎたり。されどなおその火を躍り越えて入り来るにより、ついには馬の綱を解きこれを張り回らせしに、穽などなりとや思いけん、それよりのちは中に飛び入らず。遠くより取り囲みて夜の明るまで吠えてありきとぞ。

境木峠和和山峠之間,從前牽馱馬的人常遇到狼。

馬夫們走夜路時,大多十個人左右結伴同行。一個人牽的馬有五、六頭到七頭,所以總有四、五十頭馬。

有一次,竟有兩三百頭狼追了上來。腳步聲讓整座山都轟鳴起來。因為太可怕,人和馬都聚在一處,在周圍燒火自衛。但狼還是跳過火衝進來。

最後他們解開馬的韁繩,在四周繞了一圈張起來。結果狼也許以為是陷阱之類的東西,不再跳進來了。據說牠們在遠處包圍著,一直嚎叫到天亮。

三八學狼叫

原文
小友村の旧家の主人にて今も生存せる某爺という人、町より帰りに頻に御犬の吠ゆるを聞きて、酒に酔いたればおのれもまたその声をまねたりしに、狼も吠えながら跡より来るようなり。恐ろしくなりて急ぎ家に帰り入り、門の戸を堅く鎖して打ち潜みたれども、夜通し狼の家をめぐりて吠ゆる声やまず。夜明けて見れば、馬屋の土台の下を掘り穿ちて中に入り、馬の七頭ありしをことごとく食い殺していたり。この家はそのころより産やや傾きたりとのことなり。

小友村一戶老家的主人,是個至今仍很硬朗的老人。他從鎮上回家的路上,不斷聽到狼嚎。因為喝醉了,他覺得好玩,自己也學狼叫。結果狼好像也一邊嚎叫一邊跟了上來。

他害怕起來,急忙回家,緊閉門戶躲著,狼卻整晚繞著屋子不停嚎叫。

天亮一看,狼從馬廄地基下挖洞鑽了進去,把七頭馬一頭不剩全咬死了。據說這戶人家從那時起,家境就有點走下坡了。

三九被吃的鹿

原文
佐々木君幼きころ、祖父と二人にて山より帰りしに、村に近き谷川の岸の上に、大なる鹿の倒れてあるを見たり。横腹は破れ、殺されて間もなきにや、そこよりはまだ湯気立てり。祖父の曰く、これは狼が食いたるなり。この皮ほしけれども御犬は必ずどこかこの近所に隠れて見ておるに相違なければ、取ることができぬといえり。

佐佐木君小時候和祖父從山上回來,在村子附近的溪岸,倒著一頭大鹿。側腹被撕開,也許剛被殺不久,還冒著熱氣。

「這是狼吃的。」祖父說,「皮倒是想要,但狼一定躲在附近看著,拿不得。」

四〇藏在草中的狼

原文
草の長さ三寸あれば狼は身を隠すといえり。草木の色の移り行くにつれて、狼の毛の色も季節ごとに変りて行くものなり。

據說草只要長到三寸(約九公分),狼就能藏身。狼的毛色會隨草木顏色的變化,按季節而改變。

四一狼群大遷移

原文
和野の佐々木嘉兵衛、或る年境木越の大谷地へ狩にゆきたり。死助の方より走れる原なり。秋の暮のことにて木の葉は散り尽し山もあらわなり。向うの峯より何百とも知れぬ狼此方へ群れて走りくるを見て恐ろしさに堪えず、樹の梢に上りてありしに、その樹の下を夥しき足音して走り過ぎ北の方へ行けり。そのころより遠野郷には狼甚だ少なくなれりとのことなり。

和野的佐佐木嘉兵衛,某年到越過境木的大谷地打獵。那是從死助方向延伸過來的原野。正值秋末,樹葉全部落盡,山坡裸露。

從對面山峰,不知有幾百頭的狼群朝這邊跑來。他害怕得爬上樹頂,狼群就從樹的正下方,發出像地鳴一樣的腳步聲奔過,往北方去了。

據說從那時起,遠野的狼就大大減少了。

四二阿鐵與母狼

原文
六角牛山の麓にオバヤ、板小屋などいうところあり。広き萱山なり。村々より苅りに行く。ある年の秋飯豊村の者ども萱を苅るとて、岩穴の中より狼の子三匹を見出し、その二つを殺し一つを持ち帰りしに、その日より狼の飯豊衆の馬を襲うことやまず。外の村々の人馬にはいささかも害をなさず。飯豊衆相談して狼狩をなす。その中には相撲を取り平生力自慢の者あり。さて野に出でて見るに、雄の狼は遠くにおりて来たらず。雌狼一つ鉄という男に飛びかかりたるを、ワッポロを脱ぎて腕に巻き、やにわにその狼の口の中に突き込みしに、狼これを噛む。なお強く突き入れながら人を喚ぶに、誰も誰も怖れて近よらず。その間に鉄の腕は狼の腹まで入り、狼は苦しまぎれに鉄の腕骨を噛み砕きたり。狼はその場にて死したれども、鉄も担がれて帰り程なく死したり。 ○ワッポロは上羽織のことなり。

六角牛山的山腳,有叫オバヤ、板小屋等的廣大茅草山。各村的人都來這裡割茅草。

某年秋天,飯豐村的人在割茅草時,在岩洞裡發現三隻小狼。他們殺了兩隻,帶回一隻。從那天起,狼就專門襲擊飯豐的馬。其他村的人和馬,牠們完全不碰。

飯豐的人商量後,決定獵狼。其中也有相撲力士,平時就以力氣自豪。

到了原野上,公狼在遠處不靠近。一頭母狼朝一個叫阿鐵的男人撲了過來。阿鐵脫下ワッポロ(短外衣)纏在手臂上,猛地塞進狼的嘴裡。狼咬住了。阿鐵一邊往更深處推,一邊呼救,但大家都害怕,沒人靠近。

不久阿鐵的手臂伸進了狼的肚子裡,狼痛苦掙扎之際咬碎了阿鐵的臂骨。狼當場死了。阿鐵也被抬了回去,但不久就死了。

四三和熊扭打的阿熊

原文
一昨年の『遠野新聞』にもこの記事を載せたり。上郷村の熊という男、友人とともに雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば、手分してその跡を覔め、自分は峯の方を行きしに、とある岩の陰より大なる熊此方を見る。矢頃あまりに近かりしかば、銃をすてて熊に抱えつき雪の上を転びて、谷へ下る。連の男これを救わんと思えども力及ばず。やがて谷川に落ち入りて、人の熊下になり水に沈みたりしかば、その隙に獣の熊を打ち取りぬ。水にも溺れず、爪の傷は数ヶ所受けたれども命に障ることはなかりき。

這是前年的《遠野新聞》也刊登過的故事。

上鄉村一個名叫「熊」的男人,在一個下雪天和朋友到六角牛山打獵。深入山谷時發現熊的足跡,便分頭追蹤。

熊往山峰前進時,岩石後面一頭大熊正瞪著他。距離太近,無法開槍。阿熊扔下槍抱住熊,一起在雪上翻滾著跌進山谷。同伴想救他,卻無計可施。

不久兩頭——不,一人一熊——掉進溪流,人的阿熊被壓在下面沉入水中。同伴趁機開槍打死了野獸的熊。

阿熊既沒有淹死,只被爪子抓傷了幾處,性命無礙。

四四窺看小屋的猴子

原文
六角牛の峯続きにて、橋野という村の上なる山に金坑あり。この鉱山のために炭を焼きて生計とする者、これも笛の上手にて、ある日昼の間小屋におり、仰向に寝転びて笛を吹きてありしに、小屋の口なる垂菰をかかぐる者あり。驚きて見れば猿の経立なり。恐ろしくて起き直りたれば、おもむろに彼方へ走り行きぬ。 ○上閉伊郡栗橋村大字橋野。

六角牛山的山脈相連處,一個叫橋野的村子上方的山裡有金礦。有個男人為那座礦山燒炭。這個男人也是吹笛高手。

有一天中午,他在小屋裡仰面躺著吹笛,有東西掀起門口的草蓆。他吃驚一看,是猿的經立。他慌忙起身,猴子便慢吞吞地往那邊走了。

四五猿的經立

原文
猿の経立はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し。松脂を毛に塗り砂をその上につけておる故、毛皮は鎧のごとく鉄砲の弾も通らず。

猿的經立很像人,好女色,常擄走村裡的女人。牠們在毛上塗松脂,再沾上沙子,所以毛皮簡直像鎧甲一樣,連鐵砲的子彈都打不穿。

四六被鹿笛引來的猴子

原文
栃内村の林崎に住む何某という男、今は五十に近し。十年あまり前のことなり。六角牛山に鹿を撃ちに行き、オキを吹きたりしに、猿の経立あり、これを真の鹿なりと思いしか、地竹を手にて分けながら、大なる口をあけ嶺の方より下り来たれり。胆潰れて笛を吹きやめたれば、やがて反れて谷の方へ走り行きたり。 ○オキとは鹿笛のことなり。

栃內村林崎一個現在年近五十的男人的故事。十多年前,他到六角牛山打鹿,吹著鹿笛(オキ)。

這時猿的經立也許以為是真的鹿,用手撥開地竹,張著大嘴從山峰那邊下來。他嚇破了膽,停下笛子,猴子便偏離方向,往山谷跑去了。

四七「六角牛的猴子要來了」

原文
この地方にて子供をおどす言葉に、六角牛の猿の経立が来るぞということ常の事なり。この山には猿多し。緒挊の滝を見に行けば、崖の樹の梢にあまたおり、人を見れば遁げながら木の実などを擲ちて行くなり。

這地方嚇唬孩子時,常說「六角牛的猿經立要來了」。這座山猴子很多。去看緒桛瀑布時,懸崖的樹上有很多猴子,一看到人,就一邊逃一邊扔樹果之類的東西。

四八仙人峠的猴子

原文
仙人峠にもあまた猿おりて行人に戯れ石を打ちつけなどす。

仙人峠也有很多猴子,會向旅人扔石頭,惡作劇。

四九仙人堂的塗鴉

原文
仙人峠は登り十五里降り十五里あり。その中ほどに仙人の像を祀りたる堂あり。この堂の壁には旅人がこの山中にて遭いたる不思議の出来事を書き識すこと昔よりの習なり。例えば、我は越後の者なるが、何月何日の夜、この山路にて若き女の髪を垂れたるに逢えり。こちらを見てにこと笑いたりという類なり。またこの所にて猿に悪戯をせられたりとか、三人の盗賊に逢えりというようなる事をも記せり。 ○この一里も小道なり。

仙人峠上坡十五里、下坡十五里。在半途有一座祭祀仙人像的堂。

自古以來的習慣是,旅人會把在這座山上遇到的怪事寫在這座堂的牆上。例如——

「我是越後人,某月某日夜裡,在這條山路上遇到一個垂著頭髮的年輕女子。她看著我,嫣然一笑。」

其他還寫著「在這裡被猴子捉弄」「遇到三個強盜」等等。

*這裡的「里」也是小里(一里約六百公尺)。

五〇杜鵑花

原文
死助の山にカッコ花あり。遠野郷にても珍しという花なり。五月閑古鳥の啼くころ、女や子どもこれを採りに山へ行く。酢の中に漬けて置けば紫色になる。酸漿の実のように吹きて遊ぶなり。この花を採ることは若き者の最も大なる遊楽なり。

死助山上開著一種叫「カッコ花」的花。在遠野也是罕見的花。五月閑古鳥(布穀鳥)啼叫的時候,女人和孩子會進山採摘。泡在醋裡就變成紫色,像酸漿一樣吹響來玩。

去採這種花,是年輕人最大的樂趣。

五一喚夫鳥

原文
山にはさまざまの鳥住めど、最も寂しき声の鳥はオット鳥なり。夏の夜中に啼く。浜の大槌より駄賃附の者など峠を越え来たれば、遥に谷底にてその声を聞くといえり。昔ある長者の娘あり。またある長者の男の子と親しみ、山に行きて遊びしに、男見えずなりたり。夕暮になり夜になるまで探しあるきしが、これを見つくることをえずして、ついにこの鳥になりたりという。オットーン、オットーンというは夫のことなり。末の方かすれてあわれなる鳴声なり。

山中有各種鳥,叫聲最寂寞的是「オット鳥」。在夏天的半夜啼叫。從海邊的大槌運貨翻山過來的人們,據說會從遙遠的谷底聽到牠的叫聲。

從前,一位長者的女兒和另一位長者的兒子相好,兩人一起到山裡遊玩。然而不知什麼時候,男人不見了。女孩從黃昏找到夜裡,都找不到,終於變成了這種鳥。

「歐多——歐多——」地叫,是在呼喚「夫(おっと)」。尾音沙啞,聲音哀切。

五二趕馬鳥

原文
馬追鳥は時鳥に似て少し大きく、羽の色は赤に茶を帯び、肩には馬の綱のようなる縞あり。胸のあたりにクツゴコ(口籠)のようなるかたあり。これも或る長者が家の奉公人、山へ馬を放しに行き、家に帰らんとするに一匹不足せり。夜通しこれを求めあるきしがついにこの鳥となる。アーホー、アーホーと啼くはこの地方にて野におる馬を追う声なり。年により馬追鳥里にきて啼くことあるは飢饉の前兆なり。深山には常に住みて啼く声を聞くなり。 ○クツゴコは馬の口に嵌める網の袋なり。

趕馬鳥像杜鵑但稍大,羽毛紅中帶褐,肩上有像馬韁繩的條紋。胸前有像套在馬嘴上的網袋般的花紋。

這也是從前,某長者家的僕人到山上放馬。要回去時少了一頭。他整夜到處找也找不到,終於變成了這種鳥。

「阿——荷——阿——荷——」地叫,是這地方趕野馬時的吆喝聲。

據說趕馬鳥下到村裡啼叫的年份,是饑荒的前兆。平時牠住在深山裡,能聽到牠的叫聲。

五三布穀鳥與杜鵑

原文
郭公と時鳥とは昔ありし姉妹なり。郭公は姉なるがある時芋を掘りて焼き、そのまわりの堅きところを自ら食い、中の軟かなるところを妹に与えたりしを、妹は姉の食う分は一層旨かるべしと想いて、庖丁にてその姉を殺せしに、たちまちに鳥となり、ガンコ、ガンコと啼きて飛び去りぬ。ガンコは方言にて堅いところということなり。妹さてはよきところをのみおのれにくれしなりけりと思い、悔恨に堪えず、やがてまたこれも鳥になりて庖丁かけたと啼きたりという。遠野にては時鳥のことを庖丁かけと呼ぶ。盛岡辺にては時鳥はどちゃへ飛んでたと啼くという。 ○この芋は馬鈴薯のことなり。

布穀鳥和杜鵑,從前是姊妹。布穀鳥是姊姊。

有一次,姊姊挖了芋頭烤來吃,自己吃外面硬的部分,把裡面軟的部分給妹妹。可是妹妹以為姊姊吃的部分一定更好吃,用菜刀把姊姊殺了。

姊姊立刻變成鳥,叫著「甘可、甘可」飛走了。「甘可」是方言「硬的部分」的意思。

妹妹這才明白姊姊一直把好吃的部分都給了自己,悔恨不已,不久自己也變成鳥,叫著「菜刀砍了」。

所以在遠野,把杜鵑叫做「包丁かけ(菜刀砍)」。據說在盛岡一帶,杜鵑叫的是「どちゃへ飛んでた(飛到哪裡去了)」。

*這裡的芋頭是馬鈴薯。

五四深潭底下的織布女

原文
閉伊川の流れには淵多く恐ろしき伝説少なからず。小国川との落合に近きところに、川井という村あり。その村の長者の奉公人、ある淵の上なる山にて樹を伐るとて、斧を水中に取り落したり。主人の物なれば淵に入りてこれを探りしに、水の底に入るままに物音聞ゆ。これを求めて行くに岩の陰に家あり。奥の方に美しき娘機を織りていたり。そのハタシに彼の斧は立てかけてありたり。これを返したまわらんという時、振り返りたる女の顔を見れば、二三年前に身まかりたる我が主人の娘なり。斧は返すべければ我がこの所にあることを人にいうな。その礼としてはその方身上良くなり、奉公をせずともすむようにして遣らんといいたり。そのためなるか否かは知らず、その後胴引などいう博奕に不思議に勝ち続けて金溜り、ほどなく奉公をやめ家に引き込みて中ぐらいの農民になりたれど、この男は疾くに物忘れして、この娘のいいしことも心づかずしてありしに、或る日同じ淵の辺を過ぎて町へ行くとて、ふと前の事を思い出し、伴なえる者に以前かかることありきと語りしかば、やがてその噂は近郷に伝わりぬ。その頃より男は家産再び傾き、また昔の主人に奉公して年を経たり。家の主人は何と思いしにや、その淵に何荷ともなく熱湯を注ぎ入れなどしたりしが、何の効もなかりしとのことなり。 ○下閉伊郡川井村大字川井、川井はもちろん川合の義なるべし。

閉伊川深潭很多,可怕的傳說也不少。

靠近與小國川匯流處的川井村,某長者家有個僕人。他在某個深潭上方的山上砍樹,把斧頭掉進了潭裡。因為是主人的東西,他潛入潭中尋找,越往水底,越聽到有聲響。

循著聲音過去,岩石後面有一戶人家,裡面一個美麗的女孩正在織布。織機旁邊靠著那把斧頭。

「請把那把斧頭還給我。」

他這麼說,回過頭來的女孩,竟是兩三年前去世的主人的女兒。

「斧頭還給你。但不要告訴任何人我在這裡。作為謝禮,我會讓你的日子好過,不必再當僕人。」

不知是否託她的福,男人從此賭博總是莫名其妙地贏,存了錢,不久就辭去僕役,成了一個還不錯的農夫。

男人完全忘了這件事,也沒把女孩的話放在心上。有一天,他經過同一個深潭邊去鎮上時,忽然想起往事,對同伴說了「以前有過這樣一件事」。消息立刻傳遍附近的村子。

從那時起男人的家又衰落了,最後回到原來的主人那裡,一直當僕人到老。

主人家不知怎麼想的,往那個深潭裡倒了好幾鍋滾燙的熱水,但據說毫無效果。

*川井大概是「川合」,河流匯合處的意思。

五五河童之子

前往地圖篇章〈(place)〉
原文
川には川童多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて川童の子を孕みたる者あり。生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき。女の婿の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。その主人人にその始終を語れり。かの家の者一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀に踞りてにこにこと笑いてあり。次の日は昼の休みにまたこの事あり。かくすること日を重ねたりしに、次第にその女のところへ村の何某という者夜々通うという噂立ちたり。始めには婿が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窺いたりしが、のちには婿と寝たる夜さえくるようになれり。川童なるべしという評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れどもなんの甲斐もなく、婿の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなわず、人々いかにともすべきようなかりき。その産はきわめて難産なりしが、或る者のいうには、馬槽に水をたたえその中にて産まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果してその通りなりき。その子は手に水掻あり。この娘の母もまたかつて川童の子を産みしことありという。二代や三代の因縁にはあらずという者もあり。この家も如法の豪家にて何の某という士族なり。村会議員をしたることもあり。

河裡河童很多。猿石川尤其多。

松崎村的「川端之家」,有連續兩代懷了河童孩子的女人。生下的孩子被剁碎裝進一升的酒桶裡,埋在土中。那模樣醜陋而怪異。

女人的夫婿的老家是新張村、同樣叫川端之家的人家,那家的主人把事情的經過講給人聽。

有一天,全家人都到田裡去,傍晚要回家時,女人蹲在河的水邊,笑嘻嘻的。第二天午休時又發生同樣的事。

這樣的事持續下去,便傳出村裡某某人每晚都到這個女人那裡去的流言。起初只在夫婿到海邊運貨不在家的時候,後來連夫婿和她同睡的夜裡也來了。

一定是河童——流言越傳越盛。族人聚集起來看守,卻無濟於事。夫婿的母親也曾睡在媳婦旁邊。半夜聽到媳婦的笑聲,明知「牠」來了,身體卻動彈不得。

生產極為難產,有人說「在馬的飼料槽裡裝滿水,在裡面生就會順利」,試了之後果然如此。生下的孩子手上有蹼。

據說這個媳婦的母親,從前也生過河童的孩子。也有人說,這不只是兩三代的因緣。

這戶人家也是相當有名望的人家,是士族。也曾擔任過村會議員。

五六紅色的嬰兒

原文
上郷村の何某の家にても川童らしき物の子を産みたることあり。確なる証とてはなけれど、身内真赤にして口大きく、まことにいやな子なりき。忌わしければ棄てんとてこれを携えて道ちがえに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、早取り隠されて見えざりきという。 ○道ちがえは道の二つに別かるるところすなわち追分なり。

上鄉村的某戶人家,也曾生下像是河童的孩子。雖然沒有確切證據,但全身通紅、嘴巴很大,是個非常令人不舒服的孩子。

因為不吉利,想把他丟掉,就拿到岔路口放下。走開一間左右,忽然改變主意。

「可惜了。賣給雜耍班子就能換錢的。」

回頭一看,據說已經被誰拿走了,無影無蹤。

五七河童的足跡

原文
川の岸の砂の上には川童の足跡というものを見ること決して珍しからず。雨の日の翌日などはことにこの事あり。猿の足と同じく親指は離れて人間の手の跡に似たり。長さは三寸に足らず。指先のあとは人ののように明らかには見えずという。

在河岸的沙地上發現河童的足跡,一點也不稀奇。下雨後的第二天尤其常見。

像猴子的腳一樣大拇指分開,類似人手的痕跡。長度不到三寸(約九公分)。據說指尖的痕跡不像人那樣清楚。

五八被馬拖走的河童

原文
小烏瀬川の姥子淵の辺に、新屋の家という家あり。ある日淵へ馬を冷しに行き、馬曳の子は外へ遊びに行きし間に、川童出でてその馬を引き込まんとし、かえりて馬に引きずられて厩の前に来たり、馬槽に覆われてありき。家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば川童の手出でたり。村中のもの集まりて殺さんか宥さんかと評議せしが、結局今後は村中の馬に悪戯をせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。その川童今は村を去りて相沢の滝の淵に住めりという。 ○この話などは類型全国に充満せり。いやしくも川童のおるという国には必ずこの話あり。何の故にか。

小烏瀨川的姥子淵附近,有一戶叫「新屋之家」的人家。

有一天,讓人把馬牽到深潭去降溫,牽馬的孩子跑到別處玩的時候,河童出來想把馬拖進潭裡。卻反而被馬拖著,一直拖到馬廄前,只好鑽到飼料槽下面躲起來。

家裡的人覺得飼料槽倒扣著很奇怪,稍微掀起來一看,河童的手倏地伸了出來。

全村的人聚集起來,商量是殺掉還是饒了牠。結果讓牠鄭重發誓再也不捉弄村裡的馬,就放了牠。

那隻河童離開了村子,據說現在住在相澤瀑布的深潭裡。

*同類型的故事遍布全國。只要是說有河童的地方,必定有這個故事。為什麼呢?

五九紅臉的河童

原文
外の地にては川童の顔は青しというようなれど、遠野の川童は面の色赭きなり。佐々木氏の曾祖母、穉かりしころ友だちと庭にて遊びてありしに、三本ばかりある胡桃の木の間より、真赤なる顔したる男の子の顔見えたり。これは川童なりしとなり。今もその胡桃大木にてあり。この家の屋敷のめぐりはすべて胡桃の樹なり。

別的地方說河童的臉是青色的,遠野的河童臉卻是紅的。

佐佐木氏的曾祖母小時候,和朋友在院子裡玩,從三棵胡桃樹之間,一個滿臉通紅的男孩在往這裡窺看。據說那就是河童。

那幾棵胡桃至今已成大樹還在。這戶人家宅院四周,全是胡桃樹。

六〇塞滿泥土的槍

原文
和野村の嘉兵衛爺、雉子小屋に入りて雉子を待ちしに狐しばしば出でて雉子を追う。あまり憎ければこれを撃たんと思い狙いたるに、狐は此方を向きて何ともなげなる顔してあり。さて引金を引きたれども火移らず。胸騒ぎして銃を検せしに、筒口より手元のところまでいつのまにかことごとく土をつめてありたり。

和野村的嘉兵衛爺躲在雉雞小屋裡等雉雞時,狐狸屢屢出來把雉雞趕走。他實在可恨,想開槍打牠,一瞄準,狐狸卻朝這邊看,一臉若無其事。

扣了扳機,卻點不著火。他心裡不安,檢查槍枝,從槍口到槍托,不知何時塞滿了泥土。

六一白鹿與黃金子彈

原文
同じ人六角牛に入りて白き鹿に逢えり。白鹿は神なりという言い伝えあれば、もし傷つけて殺すこと能わずば、必ず祟あるべしと思案せしが、名誉の猟人なれば世間の嘲りをいとい、思い切りてこれを撃つに、手応えはあれども鹿少しも動かず。この時もいたく胸騒ぎして、平生魔除けとして危急の時のために用意したる黄金の丸を取り出し、これに蓬を巻きつけて打ち放したれど、鹿はなお動かず、あまり怪しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき。数十年の間山中に暮せる者が、石と鹿とを見誤るべくもあらず、全く魔障の仕業なりけりと、この時ばかりは猟を止めばやと思いたりきという。

同一個嘉兵衛在六角牛山遇到一頭白鹿。相傳白鹿是神的使者。他猶豫著,萬一打傷了又沒打死,一定會遭報應。

但他是有名的獵人,不想被人笑,便狠下心開了槍。明明有打中的手感,鹿卻一動也不動。

他又感到心神不寧。拿出為緊要關頭驅魔準備的黃金子彈,纏上艾草射擊。鹿還是不動。

太奇怪了,走近一看,是一塊形狀很像鹿的白石頭。

在山裡生活了幾十年的自己,不可能把石頭看成鹿。這一定是魔物作祟——據說只有這一次,他想過不再當獵人。

六二紅衣大和尚

原文
また同じ人、ある夜山中にて小屋を作るいとまなくて、とある大木の下に寄り、魔除けのサンズ縄をおのれと木のめぐりに三囲引きめぐらし、鉄砲を竪に抱えてまどろみたりしに、夜深く物音のするに心づけば、大なる僧形の者赤き衣を羽のように羽ばたきして、その木の梢に蔽いかかりたり。すわやと銃を打ち放せばやがてまた羽ばたきして中空を飛びかえりたり。この時の恐ろしさも世の常ならず。前後三たびまでかかる不思議に遭い、そのたびごとに鉄砲を止めんと心に誓い、氏神に願掛けなどすれど、やがて再び思い返して、年取るまで猟人の業を棄つること能わずとよく人に語りたり。

同一個嘉兵衛,某夜在山中來不及搭小屋,決定在大樹根下過夜。他把驅魔的「サンズ繩」在自己和樹的周圍繞了三圈,抱著槍打盹。

深夜,他聽到聲響抬頭一看,一個大和尚模樣的東西,像翅膀一樣拍動著紅色的衣服,從樹頂覆蓋下來。

他立刻開槍,和尚又拍動衣服,飛向天空去了。

那時的恐怖也非同小可。這樣的怪事他遇過三次,每次都發誓不再打獵,還向氏神許願。但心意又變了,直到年老都沒能放下獵人這一行——嘉兵衛常對人這樣說。

六三迷家

前往地圖篇章〈(place)〉
原文
小国の三浦某というは村一の金持なり。今より二三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき。この妻ある日門の前を流るる小さき川に沿いて蕗を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり。その庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多くおり、馬舎ありて馬多くおれども、一向に人はおらず。ついに玄関より上りたるに、その次の間には朱と黒との膳椀をあまた取り出したり。奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されどもついに人影はなければ、もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。この事を人に語れども実と思う者もなかりしが、また或る日わが家のカドに出でて物を洗いてありしに、川上より赤き椀一つ流れてきたり。あまり美しければ拾い上げたれど、これを食器に用いたらば汚しと人に叱られんかと思い、ケセネギツの中に置きてケセネを量る器となしたり。しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで経ちてもケセネ尽きず。家の者もこれを怪しみて女に問いたるとき、始めて川より拾い上げし由をば語りぬ。この家はこれより幸運に向い、ついに今の三浦家となれり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨイガという。マヨイガに行き当りたる者は、必ずその家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。その人に授けんがためにかかる家をば見するなり。女が無慾にて何ものをも盗み来ざりしが故に、この椀自ら流れて来たりしなるべしといえり。 ○このカドは門にはあらず。川戸にて門前を流るる川の岸に水を汲み物を洗うため家ごとに設けたるところなり。 ○ケセネは米稗その他の穀物をいう。キツはその穀物を容るる箱なり。大小種々のキツあり。

小國的三浦家,是村裡最有錢的人家。兩三代以前主人的時候,還是貧窮的人家。那時的妻子,是個有點迷糊的人。

有一天,妻子沿著門前流過的小溪去採蜂斗菜。好的蜂斗菜很少,她便漸漸往山谷深處走去。

忽然一看,有一戶黑色大門的氣派人家。她一邊覺得奇怪一邊走進大門,寬闊的庭院裡開滿紅白的花,許多雞在嬉戲。繞到後面,牛棚裡有很多牛,馬廄裡有很多馬。但不見人影。

從玄關走上去,隔壁房間擺著許多朱漆和黑漆的食案和碗。裡面的客廳裡,火盆上的鐵壺水正咕嘟咕嘟地沸騰。還是不見人影。

莫非是山男的家?——她突然害怕起來,跑回了家。

她把這件事告訴別人,誰也不當真。

然而有一天,妻子在家門口的「カド」(河邊的洗滌處)洗東西時,從上游漂來一隻紅碗。因為太漂亮了,她撿了起來,但若拿來當食器,也許會被罵髒。於是她把它放進米櫃裡,當作量穀物的器具。

自從用這隻碗量穀物,穀物怎麼量都不見少。家人覺得奇怪問她,妻子這才說出是在河裡撿到的。

這戶人家從此時來運轉,成了今天的三浦家。

在遠野,山中的奇異人家叫「迷家(マヨイガ)」。碰上迷家的人,一定要把家中的器物或家畜,任何一樣東西帶回去。因為那戶人家正是為了賜給那人,才現身的。

這位妻子沒有貪念,什麼也沒拿。所以據說是碗自己漂來了。

*「カド」不是門,而是「川戶」,是在門前河岸上,每戶人家為汲水和洗東西而設的地方。

*原文的「ケセネ」是米、稗等穀物,「キツ」是裝穀物的箱子。

六四第二次的迷家

原文
金沢村は白望の麓、上閉伊郡の内にてもことに山奥にて、人の往来する者少なし。六七年前この村より栃内村の山崎なる某かかが家に娘の婿を取りたり。この婿実家に行かんとして山路に迷い、またこのマヨイガに行き当りぬ。家のありさま、牛馬雞の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。同じく玄関に入りしに、膳椀を取り出したる室あり。座敷に鉄瓶の湯たぎりて、今まさに茶を煮んとするところのように見え、どこか便所などのあたりに人が立ちてあるようにも思われたり。茫然として後にはだんだん恐ろしくなり、引き返してついに小国の村里に出でたり。小国にてはこの話を聞きて実とする者もなかりしが、山崎の方にてはそはマヨイガなるべし、行きて膳椀の類を持ち来たり長者にならんとて、婿殿を先に立てて人あまたこれを求めに山の奥に入り、ここに門ありきというところに来たれども、眼にかかるものもなく空しく帰り来たりぬ。その婿もついに金持になりたりということを聞かず。 ○上閉伊郡金沢村。

金澤村在白望山麓,是上閉伊郡中特別深山的地方,往來的人很少。

六、七年前,從這個村子有個男人入贅到栃內村山崎某戶人家的女兒那裡。這個女婿要回老家時在山路上迷了路,又碰上了那個迷家。

房子的模樣、牛馬雞之多、紅白的花——一切都和前面的故事一樣。走進玄關,有擺著食案和碗的房間。客廳裡鐵壺的水正沸騰著,看起來就像正要泡茶的樣子。好像廁所附近某處,還有人站著的氣息。

女婿茫然不知所措,漸漸害怕起來便折返,好不容易才走到小國的村子。

在小國誰也不相信這個故事,但山崎那家人不一樣。

「那一定是迷家。去把食案和碗拿回來,當個大富翁吧。」

以女婿為首,一大群人進山深處去找。來到「這裡有門」的地方,卻什麼也沒找到,空手而回。

也沒聽說那個女婿變成了有錢人。

六五安倍城的鎖聲

原文
早池峯は御影石の山なり。この山の小国に向きたる側に安倍ヶ城という岩あり。険しき崖の中ほどにありて、人などはとても行きうべきところにあらず。ここには今でも安倍貞任の母住めりと言い伝う。雨の降るべき夕方など、岩屋の扉を鎖す音聞ゆという。小国、附馬牛の人々は、安倍ヶ城の錠の音がする、明日は雨ならんなどいう。

早池峰是花崗岩的山。小國那一側險峻懸崖的半腰,有一塊叫安倍城的岩石。是人根本無法靠近的地方。

相傳安倍貞任的母親至今仍住在這裡。據說在快要下雨的傍晚,會聽到關岩屋門的聲音。小國和附馬牛的人會說:「安倍城的鎖響了。明天要下雨吧。」

※安倍貞任是平安時代後期統治這一帶的豪族,在前九年之役中敗給源賴義、義家(八幡太郎)。

六六早池峰與安倍氏

原文
同じ山の附馬牛よりの登り口にもまた安倍屋敷という巌窟あり。とにかく早池峯は安倍貞任にゆかりある山なり。小国より登る山口にも八幡太郎の家来の討死したるを埋めたりという塚三つばかりあり。

同一座早池峰,附馬牛那側的登山口也有一個叫安倍屋敷的岩屋。總之,早池峰是與安倍貞任淵源很深的山。

小國那邊的登山口,也有三座左右的塚,據說埋葬著八幡太郎(源義家)戰死的部下。

六七貞任的陣營遺址

原文
安倍貞任に関する伝説はこのほかにも多し。土淵村と昔は橋野といいし栗橋村との境にて、山口よりは二三里も登りたる山中に、広く平なる原あり。そのあたりの地名に貞任というところあり。沼ありて貞任が馬を冷せしところなりという。貞任が陣屋を構えし址とも言い伝う。景色よきところにて東海岸よく見ゆ。

安倍貞任的傳說,還有很多。

土淵村和栗橋村(舊橋野)的交界,從山口往上爬兩三里的山中,有一片寬廣平坦的原野。那裡有一處地名叫「貞任」。有個沼澤,據說是貞任讓馬降溫的地方。也相傳是貞任紮營的遺址。景色很好,能清楚看到東邊的海岸。

六八安倍家與八幡太郎

原文
土淵村には安倍氏という家ありて貞任が末なりという。昔は栄えたる家なり。今も屋敷の周囲には堀ありて水を通ず。刀剣馬具あまたあり。当主は安倍与右衛門、今も村にては二三等の物持ちにて、村会議員なり。安倍の子孫はこのほかにも多し。盛岡の安倍館の附近にもあり。厨川の柵に近き家なり。土淵村の安倍家の四五町北、小烏瀬川の河隈に館の址あり。八幡沢の館という。八幡太郎が陣屋というものこれなり。これより遠野の町への路にはまた八幡山という山ありて、その山の八幡沢の館の方に向かえる峯にもまた一つの館址あり。貞任が陣屋なりという。二つの館の間二十余町を隔つ。矢戦をしたりという言い伝えありて、矢の根を多く掘り出せしことあり。この間に似田貝という部落あり。戦の当時このあたりは蘆しげりて土固まらず、ユキユキと動揺せり。或る時八幡太郎ここを通りしに、敵味方いずれの兵糧にや、粥を多く置きてあるを見て、これは煮た粥かといいしより村の名となる。似田貝の村の外を流るる小川を鳴川という。これを隔てて足洗川村あり。鳴川にて義家が足を洗いしより村の名となるという。 ○ニタカイはアイヌ語のニタトすなわち湿地より出しなるべし。地形よく合えり。西の国々にてはニタともヌタともいう皆これなり。下閉伊郡小川村にも二田貝という字あり。

土淵村有一戶據說是貞任後代的安倍家。從前是興盛之家,至今宅院四周仍有蓄水的護城溝。傳下很多刀劍和馬具。當家是安倍與右衛門,至今仍是村裡第二、三名的富戶,也是村會議員。

安倍的後代還有很多,在盛岡的安倍館附近、廚川柵(貞任最後的城寨)旁邊也有。

土淵安倍家往北四、五町,小烏瀨川彎曲流過的地方,有一處館的遺址。叫八幡澤館,據說是八幡太郎的陣營。

從這裡往遠野町的路上也有一座八幡山,在面向八幡澤館的山峰上,還有另一處館的遺址。據說這是貞任的陣營。兩座館相距二十多町。相傳兩軍在此互相放箭交戰,實際上也曾挖出很多箭頭。

兩者之間有一個叫似田貝的聚落。打仗的時候,這一帶蘆葦茂密,地面還沒有固結,搖搖晃晃的。

有一次八幡太郎經過這裡,看到放著很多不知是敵軍還是我軍的軍糧粥。他說:「這是煮好的粥嗎?(似たかい)」於是這成了村名。

流過似田貝外面的小河叫鳴川,對面是足洗川村。據說因為義家在鳴川洗了腳,所以有了這個名字。

*ニタカイ大概來自愛奴語中意為濕地的「ニタト」。地形也很吻合。西日本說ニタ、ヌタ也是同樣的意思。

六九御白樣的起源

原文
今の土淵村には大同という家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞という。この人の養母名はおひで、八十を超えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじないにて蛇を殺し、木に止れる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語りしには、昔あるところに貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養う。娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、ついに馬と夫婦になれり。或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋りて泣きいたりしを、父はこれを悪みて斧をもって後より馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り去れり。オシラサマというはこの時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。その像三つありき。本にて作りしは山口の大同にあり。これを姉神とす。中にて作りしは山崎の在家権十郎という人の家にあり。佐々木氏の伯母が縁づきたる家なるが、今は家絶えて神の行方を知らず。末にて作りし妹神の像は今附馬牛村にありといえり。

現在的土淵村有兩戶叫大同的人家。山口大同的當家叫大洞萬之丞。他的養母阿秀年過八十仍很硬朗,是佐佐木氏祖母的姊姊。

這個人精通法術,能用咒語殺蛇,讓停在樹上的鳥掉下來。據說佐佐木君常看她表演。

去年舊曆正月十五日,這位老婦人講的故事——

從前某地有個貧窮的農夫。沒有妻子,有一個美麗的女兒。還養了一匹馬。

女兒很疼愛這匹馬,晚上到馬廄去和牠一起睡,終於和馬結成了夫妻。

有一天夜裡,父親知道了這件事。第二天,他瞞著女兒把馬牽出去,吊在桑樹上殺了。

那天晚上,女兒因為馬不見了,問父親,才知道了原委。女兒又驚又悲,跑到桑樹下,抱著死馬的頭哭泣。

父親覺得可恨,用斧頭從後面砍下了馬頭。於是女兒就騎在那馬頭上,轉眼升上了天。

御白樣就是從這時誕生的神。

用吊馬的桑樹枝,做了三尊神像。用根部做的是姊神,在山口的大同。用中段做的,原本在山崎的在家權十郎家。那是佐佐木氏伯母嫁過去的人家,但現在已經絕嗣,神像下落不明。據說用末梢做的妹神,現在在附馬牛村。

七〇有奧內樣的人家

原文
同じ人の話に、オクナイサマはオシラサマのある家には必ず伴ないて在す神なり。されどオシラサマはなくてオクナイサマのみある家もあり。また家によりて神の像も同じからず。山口の大同にあるオクナイサマは木像なり。山口の辷石たにえという人の家なるは掛軸なり。田圃のうちにいませるはまた木像なり。飯豊の大同にもオシラサマはなけれどオクナイサマのみはいませりという。

據同一位老婦人說,奧內樣是在有御白樣的人家必定同在的神。但也有沒有御白樣、只有奧內樣的人家。神像也因家而異。

山口大同的奧內樣是木像,山口辷石谷江家的是掛軸,「田圃之家」的是木像。據說飯豐的大同沒有御白樣,只有奧內樣。

七一秘密的念佛

原文
この話をしたる老女は熱心なる念仏者なれど、世の常の念仏者とは様かわり、一種邪宗らしき信仰あり。信者に道を伝うることはあれども、互いに厳重なる秘密を守り、その作法につきては親にも子にもいささかたりとも知らしめず。また寺とも僧とも少しも関係はなくて、在家の者のみの集まりなり。その人の数も多からず。辷石たにえという婦人などは同じ仲間なり。阿弥陀仏の斎日には、夜中人の静まるを待ちて会合し、隠れたる室にて祈祷す。魔法まじないを善くする故に、郷党に対して一種の権威あり。

講這故事的老婦人是虔誠的念佛信徒,但她有一種和一般念佛不同、像是隱密信仰的東西。

她會向信徒傳授教義,但彼此嚴守秘密,做法連對父母、子女都絕不透露。與寺院和僧侶都無關,只是在家人的聚會,人數也不多。叫辷石谷江的女人也是同伴。

阿彌陀佛的緣日,半夜等人都睡熟後聚集,在密室中祈禱。因為精通法術和咒語,村人對她們另眼相看。

七二和孩子們玩的卡庫拉樣

原文
栃内村の字琴畑は深山の沢にあり。家の数は五軒ばかり、小烏瀬川の支流の水上なり。これより栃内の民居まで二里を隔つ。琴畑の入口に塚あり。塚の上には木の座像あり。およそ人の大きさにて、以前は堂の中にありしが、今は雨ざらしなり。これをカクラサマという。村の子供これを玩物にし、引き出して川へ投げ入れまた路上を引きずりなどする故に、今は鼻も口も見えぬようになれり。或いは子供を叱り戒めてこれを制止する者あれば、かえりて祟を受け病むことありといえり。 ○神体仏像子供と遊ぶを好みこれを制止するを怒りたもうことほかにも例多し。遠江小笠郡大池村東光寺の薬師仏(『掛川志』)、駿河安倍郡豊田村曲金の軍陣坊社の神(『新風土記』)、または信濃筑摩郡射手の弥陀堂の木仏(『信濃奇勝録』)などこれなり。

栃內村的琴畑,是深山溪澤裡五戶左右的聚落,是小烏瀨川支流的水源。離栃內的人家有兩里遠。

琴畑的入口有座塚,上面有一尊和人差不多大的木製坐像。從前在堂裡,現在則任憑風吹雨打。這叫卡庫拉樣(カクラサマ)。

村裡的孩子們把它當玩具,拖出來扔進河裡,或在路上拖來拖去,所以現在連鼻子和嘴巴都看不出來了。據說若責罵孩子叫他們不要這樣,反而會遭報應生病。

*神像佛像喜歡和孩子們玩、阻止便會發怒的例子,還有很多。遠江(靜岡縣)大池村東光寺的藥師佛、駿河(靜岡縣)豐田村軍陣坊社的神、信濃(長野縣)射手的彌陀堂的木佛等。

七三卡庫拉樣的神像

原文
カクラサマの木像は遠野郷のうちに数多あり。栃内の字西内にもあり。山口分の大洞というところにもありしことを記憶する者あり。カクラサマは人のこれを信仰する者なし。粗末なる彫刻にて、衣裳頭の飾のありさまも不分明なり。

卡庫拉樣的木像,遠野到處都有。栃內的西內也有,也有人記得山口的大洞也曾有過。

沒有人信仰卡庫拉樣。雕工粗糙,衣裳和頭上的裝飾也看不清楚。

七四卡庫拉樣這個名字

原文
栃内のカクラサマは右の大小二つなり。土淵一村にては三つか四つあり。いずれのカクラサマも木の半身像にてなたの荒削りの無恰好なるものなり。されど人の顔なりということだけは分かるなり。カクラサマとは以前は神々の旅をして休息したもうべき場所の名なりしが、その地に常います神をかく唱うることとなれり。

栃內的卡庫拉樣,就是前面說的大小兩尊。整個土淵村有三、四尊。都是木製的半身像,只是用柴刀粗略削成的不成樣子的東西,但看得出是人的臉。

卡庫拉樣,原本是眾神在旅途中休息之處的名稱。後來變成了常駐在那裡的神的稱呼。

七五長者屋敷的女人

原文
離森の長者屋敷にはこの数年前まで燐寸の軸木の工場ありたり。その小屋の戸口に夜になれば女の伺い寄りて人を見てげたげたと笑う者ありて、淋しさに堪えざる故、ついに工場を大字山口に移したり。その後また同じ山中に枕木伐出しのために小屋をかけたる者ありしが、夕方になると人夫の者いずれへか迷い行き、帰りてのち茫然としてあることしばしばなり。かかる人夫四五人もありてその後も絶えず何方へか出でて行くことありき。この者どもが後に言うを聞けば、女がきて何処へか連れだすなり。帰りてのちは二日も三日も物を覚えずといえり。

離森的長者屋敷,幾年前還有製作火柴棒的工廠。

一到夜裡,就有女人悄悄來到那小屋的門口,看著人咯咯地笑。大家受不了那種詭異,終於把工廠遷到了山口。

後來,有人為了在同一座山上砍伐枕木而搭了小屋。可是一到傍晚,工人就常恍恍惚惚地迷走到不知什麼地方,回來後也呆呆的。這樣的工人有四、五個,之後也時常出走。

後來一問,說是女人來把他們帶出去的。回來後兩三天,什麼都不記得。

七六五葉的溲疏

原文
長者屋敷は昔時長者の住みたりし址なりとて、そのあたりにも糠森という山あり。長者の家の糠を捨てたるがなれるなりという。この山中には五つ葉のうつ木ありて、その下に黄金を埋めてありとて、今もそのうつぎの有処を求めあるく者稀々にあり。この長者は昔の金山師なりしならんか、このあたりには鉄を吹きたる滓あり。恩徳の金山もこれより山続きにて遠からず。 ○諸国のヌカ塚スクモ塚には多くはこれと同じき長者伝説を伴なえり。また黄金埋蔵の伝説も諸国に限りなく多くあり。

長者屋敷據說是從前長者住過的遺址,附近還有一座叫糠森的山。據說是長者家丟棄的米糠堆積成山的。

這座山上有一棵五葉的溲疏(空木),據說樹下埋著黃金。至今仍偶爾有人到處尋找那棵溲疏。

這位長者,會不會是從前的採金礦師呢?這一帶有冶煉鐵的礦渣,恩德的金山也和這裡山脈相連,相距不遠。

*各地的糠塚、スクモ塚,大多有類似的長者傳說。說埋了黃金的傳說,全國更是多得數不清。

七七枕著滴水石的男人

原文
山口の田尻長三郎というは土淵村一番の物持なり。当主なる老人の話に、この人四十あまりのころ、おひで老人の息子亡くなりて葬式の夜、人々念仏を終りおのおの帰り行きし跡に、自分のみは話好きなれば少しあとになりて立ち出でしに、軒の雨落ちの石を枕にして仰臥したる男あり。よく見れば見も知らぬ人にて死してあるようなり。月のある夜なればその光にて見るに、膝を立て口を開きてあり。この人大胆者にて足にて揺かして見たれど少しも身じろぎせず。道を妨げて外にせん方もなければ、ついにこれを跨ぎて家に帰りたり。次の朝行きて見ればもちろんその跡方もなく、また誰も外にこれを見たりという人はなかりしかど、その枕にしてありし石の形と在りどころとは昨夜の見覚えの通りなり。この人の曰く、手をかけて見たらばよかりしに、半ば恐ろしければただ足にて触れたるのみなりし故、さらに何もののわざとも思いつかずと。

山口的田尻長三郎,是土淵村第一富戶。這是那家當家的老人四十出頭時的故事。

阿秀婆婆的兒子去世,葬禮的夜裡,念佛結束大家都回去後,愛聊天的他稍晚才走出門外。

只見一個男人枕著承接屋簷滴水的石頭,仰面躺著。是個陌生人,好像已經死了。在月光下看,他豎著膝蓋,張著嘴。

這人膽子大,用腳搖了搖,男人一動也不動。他擋著路,沒有別處可走,最後只好跨過去回了家。

第二天早上去看,當然什麼痕跡也沒有。也沒有別人看到。可是當枕頭的那塊石頭,形狀和位置都和昨晚看到的一樣。

「早知道用手摸摸看就好了。因為有一半害怕,只用腳戳了戳,完全猜不出那是什麼。」

那人這麼說。

七八穿雪蓑衣的人

原文
同じ人の話に、家に奉公せし山口の長蔵なる者、今も七十余の老翁にて生存す。かつて夜遊びに出でて遅くかえり来たりしに、主人の家の門は大槌往還に向いて立てるが、この門の前にて浜の方よりくる人に逢えり。雪合羽を着たり。近づきて立ちとまる故、長蔵も怪しみてこれを見たるに、往還を隔てて向側なる畠地の方へすっと反れて行きたり。かしこには垣根ありしはずなるにと思いて、よく見れば垣根は正しくあり。急に怖ろしくなりて家の内に飛び込み、主人にこの事を語りしが、のちになりて聞けば、これと同じ時刻に新張村の何某という者、浜よりの帰り途に馬より落ちて死したりとのことなり。

同一個人講的故事。在這家幫傭的山口長藏,是個年過七十仍然硬朗的老人。

年輕時,有一次夜遊晚歸,在面向大槌街道的主人家門前,遇到一個從海邊那邊來的人。穿著雪蓑衣。走近時那人停下腳步,長藏也覺得可疑地看著,那人就往街道對面的田地那邊,倏地偏了過去。

那裡應該有籬笆才對——仔細一看,籬笆確實好端端地在那裡。他突然害怕起來,衝進家裡,把這事告訴了主人。

後來聽說,差不多同一時刻,新張村一個男人從海邊回來時從馬上摔下來死了。

七九貼在雲壁上的男人

原文
この長蔵の父をもまた長蔵という。代々田尻家の奉公人にて、その妻とともに仕えてありき。若きころ夜遊びに出で、まだ宵のうちに帰り来たり、門の口より入りしに、洞前に立てる人影あり。懐手をして筒袖の袖口を垂れ、顔は茫としてよく見えず。妻は名をおつねといえり。おつねのところへ来たるヨバヒトではないかと思い、つかつかと近よりしに、奥の方へは遁げずして、かえって右手の玄関の方へ寄る故、人を馬鹿にするなと腹立たしくなりて、なお進みたるに、懐手のまま後ずさりして玄関の戸の三寸ばかり明きたるところより、すっと内に入りたり。されど長蔵はなお不思議とも思わず、その戸の隙に手を差し入れて中を探らんとせしに、中の障子は正しく閉してあり。ここに始めて恐ろしくなり、少し引き下らんとして上を見れば、今の男玄関の雲壁にひたとつきて我を見下すごとく、その首は低く垂れてわが頭に触るるばかりにて、その眼の球は尺余も、抜け出でてあるように思われたりという。この時はただ恐ろしかりしのみにて何事の前兆にてもあらざりき。 ○ヨバヒトは呼ばい人なるべし。女に思いを運ぶ人をかくいう。 ○雲壁はなげしの外側の壁なり。 田尻氏の家のさまの図

這位長藏的父親,也叫長藏。世世代代是田尻家的僕人,夫婦一起幫傭。

年輕時,有一次夜遊回來天色還早,一進門,洞前(ほらまえ)站著一個人影。把手揣在懷裡,筒袖的袖口垂著,臉模模糊糊看不清楚。

他的妻子叫阿常。莫非是來夜訪阿常的男人——他這麼想,大步走近。對方卻不往裡逃,而是往右手邊玄關那邊靠。竟敢瞧不起人,他火大了,再逼近,那人仍揣著手往後退,從開著三寸左右的玄關門縫,倏地鑽了進去。

長藏這時還不覺得奇怪,把手伸進門縫往裡摸。結果裡面的紙拉門關得緊緊的。

這時他才毛骨悚然。退後一點抬頭一看,剛才那個男人緊緊貼在玄關上方的雲壁上,俯視著這邊。頭低低垂下,幾乎碰到長藏的頭。眼珠看起來像突出了一尺。

這一次只是可怕而已,並不是什麼徵兆。

*雲壁是長押(橫木)上方的牆壁。

〔圖:田尻家的格局(原書圖版從略)〕

八〇遠野房屋的格局

原文
右の話をよく呑みこむためには、田尻氏の家のさまを図にする必要あり。遠野一郷の家の建てかたはいずれもこれと大同小異なり。  門はこの家のは北向きなれど、通例は東向きなり。右の図にて厩舎のあるあたりにあるなり。門のことを城前という。屋敷のめぐりは畠にて、囲墻を設けず。主人の寝室とウチとの間に小さく暗き室あり。これを座頭部屋という。昔は家に宴会あれば必ず座頭を喚びたり。これを待たせ置く部屋なり。 ○この地方を旅行して最も心とまるは家の形の何れもかぎの手なることなり。この家などそのよき例なり。

要讓人清楚理解前面的故事,必須用圖來說明田尻家的格局。遠野的房屋格局,大致都與此相同。

這家的門朝北,但一般是朝東。門叫做城前(じょうまえ)。宅院四周是田地,不築籬笆或圍牆。

主人的寢室和家人的起居室(ウチ)之間,有一個小小的暗房間,叫座頭房。從前家裡有宴會時,必定請座頭(盲人藝人)來。這是讓座頭等候的房間。

*在這地方旅行,最引人注目的是每一戶人家都是L字形的「曲屋」。這家就是很好的例子。

八一鐵青的臉

原文
栃内の字野崎に前川万吉という人あり。二三年前に三十余にて亡くなりたり。この人も死ぬる二三年前に夜遊びに出でて帰りしに、門の口より廻り縁に沿いてその角まで来たるとき、六月の月夜のことなり、何心なく雲壁を見れば、ひたとこれにつきて寝たる男あり。色の蒼ざめたる顔なりき。大いに驚きて病みたりしがこれも何の前兆にてもあらざりき。田尻氏の息子丸吉この人と懇親にてこれを聞きたり。 田尻氏の家の常居の図

栃內的野崎,有個叫前川萬吉的人。兩三年前三十多歲就去世了。

在他死前兩三年,一次夜遊回來,進了門沿著簷廊走到轉角時——那是六月的月夜——不經意看了一眼雲壁,那裡有個男人緊緊貼著睡在上面。臉色鐵青。

萬吉嚇得病倒了,但這也不是什麼徵兆。據說田尻家的兒子丸吉和他很要好,聽他講過這個故事。

〔圖:田尻家的常居(原書圖版從略)〕

八二疊在手上的臉

原文
これは田尻丸吉という人が自ら遭いたることなり。少年の頃ある夜常居より立ちて便所に行かんとして茶の間に入りしに、座敷との境に人立てり。幽かに茫としてはあれど、衣類の縞も眼鼻もよく見え、髪をば垂れたり。恐ろしけれどそこへ手を延ばして探りしに、板戸にがたと突き当り、戸のさんにも触りたり。されどわが手は見えずして、その上に影のように重なりて人の形あり。その顔のところへ手を遣ればまた手の上に顔見ゆ。常居に帰りて人々に話し、行灯を持ち行きて見たれば、すでに何ものもあらざりき。この人は近代的の人にて怜悧なる人なり。また虚言をなす人にもあらず。

這是田尻丸吉親身經歷的事。

少年時,某夜他從起居室起身要去廁所,走進茶室,和客廳交界的地方站著一個人。雖然隱隱有些朦朧,但衣服的條紋和眉目都看得很清楚,頭髮垂著。

雖然害怕,他還是伸手過去摸。手喀噠一聲碰到了木板門,也摸到了門框。可是看不到自己的手,上面像影子一樣疊著人的形狀。把手伸到臉的地方,手上就看得到那張臉。

他回到起居室告訴大家,拿著紙燈籠過去一看,已經什麼都沒有了。

丸吉是有現代思想的聰明人,也不是會說謊的人。

八三不能打開的竹箱

原文
山口の大同、大洞万之丞の家の建てざまは少しく外の家とはかわれり。その図次のページに出す。玄関は巽の方に向かえり。きわめて古き家なり。この家には出して見れば祟ありとて開かざる古文書の葛籠一つあり。 大洞万之丞の家の建てざまの図

山口的大同,大洞萬之丞家的格局和其他人家有些不同。玄關朝東南。是非常古老的房子。

這家有一個古文書的竹箱,據說拿出來看就會遭報應,所以從來沒打開過。

〔圖:大洞家的格局(原書圖版從略)〕

八四海邊的西洋人

原文
佐々木氏の祖父は七十ばかりにて三四年前に亡くなりし人なり。この人の青年のころといえば、嘉永の頃なるべきか。海岸の地には西洋人あまた来住してありき。釜石にも山田にも西洋館あり。船越の半島の突端にも西洋人の住みしことあり。耶蘇教は密々に行われ、遠野郷にてもこれを奉じて磔になりたる者あり。浜に行きたる人の話に、異人はよく抱き合いては嘗め合う者なりなどいうことを、今でも話にする老人あり。海岸地方には合の子なかなか多かりしということなり。

佐佐木氏的祖父,三、四年前七十歲左右去世。他年輕的時候,大概是嘉永年間(1848–54年)吧。

那時候,海岸地方來了很多西洋人居住。釜石和山田都有洋館,船越半島的尖端也曾住過西洋人。

基督教被秘密信仰著,遠野也有人因為信奉它而被處以磔刑。

至今仍有老人把去過海邊的人說的話拿來講:「洋人常常抱在一起互相舔。」據說海岸地方,混血的孩子也相當多。

八五白皮膚的兄弟

原文
土淵村の柏崎にては両親とも正しく日本人にして白子二人ある家あり。髪も肌も眼も西洋人の通りなり。今は二十六七ぐらいなるべし。家にて農業を営む。語音も土地の人とは同じからず、声細くして鋭し。

土淵村柏崎有一戶人家,父母都是道道地地的日本人,卻有兩個白子(白化症)的孩子。頭髮、皮膚、眼睛都簡直像西洋人。現在大概二十六、七歲。在家務農。說話的聲音也和當地人不同,又細又高。

八六來打地基的病人

原文
土淵村の中央にて役場小学校などのあるところを字本宿という。此所に豆腐屋を業とする政という者、今三十六七なるべし。この人の父大病にて死なんとするころ、この村と小烏瀬川を隔てたる字下栃内に普請ありて、地固めの堂突をなすところへ、夕方に政の父ひとり来たりて人々に挨拶し、おれも堂突をなすべしとて暫時仲間に入りて仕事をなし、やや暗くなりて皆とともに帰りたり。あとにて人々あの人は大病のはずなるにと少し不思議に思いしが、後に聞けばその日亡くなりたりとのことなり。人々悔みに行き今日のことを語りしが、その時刻はあたかも病人が息を引き取らんとするころなりき。

土淵村的中心,有村公所和小學的一帶叫本宿(もとじゅく)。在這裡開豆腐店、名叫政的男人,現在大概三十六、七歲。

政的父親病重垂危的時候,渡過小烏瀨川的下栃內有戶人家在蓋房子,正在打地基。那天傍晚,政的父親一個人來了,向大家打招呼,說:「我也來打地基吧。」他加入大家幹了一會兒活,天稍暗後和大家一起回去了。

那人不是應該病得很重嗎——後來人們有點納悶。之後聽說,他那天就去世了。

去弔唁時說起白天的事,那個時刻,正是病人快要斷氣的時候。

八七被倒掉的茶

原文
人の名は忘れたれど、遠野の町の豪家にて、主人大煩いして命の境に臨みしころ、ある日ふと菩提寺に訪い来たれり。和尚鄭重にあしらい茶などすすめたり。世間話をしてやがて帰らんとする様子に少々不審あれば、跡より小僧を見せに遣りしに、門を出でて家の方に向い、町の角を廻りて見えずなれり。その道にてこの人に逢いたる人まだほかにもあり。誰にもよく挨拶して常の体なりしが、この晩に死去してもちろんその時は外出などすべき様態にてはあらざりしなり。後に寺にては茶は飲みたりや否やと茶椀を置きしところを改めしに、畳の敷合わせへ皆こぼしてありたり。

名字忘了,遠野鎮上一個富豪人家的主人,病重徘徊在生死之間時的事。有一天他飄然來到菩提寺拜訪。

和尚殷勤接待,請他喝茶。閒聊了一陣,不久他就回去了,但那模樣總有哪裡不對勁。和尚讓小和尚跟在後面,他出了寺門往家的方向走,在鎮上的街角一轉就不見了。

在那條路上遇見這個人的,還有別人。他對每個人都好好地打招呼,和平時沒什麼兩樣。

然而,這人當晚就去世了。當然,那時他的病況根本不可能出門。

後來在寺裡,想看看他到底有沒有喝茶,檢查放茶碗的地方,發現茶全倒在榻榻米的接縫裡了。

八八拜訪常堅寺的老人

原文
これも似たる話なり。土淵村大字土淵の常堅寺は曹洞宗にて、遠野郷十二ヶ寺の触頭なり。或る日の夕方に村人何某という者、本宿より来る路にて何某という老人にあえり。この老人はかねて大病をして居る者なれば、いつのまによくなりしやと問うに、二三日気分も宜しければ、今日は寺へ話を聞きに行くなりとて、寺の門前にてまた言葉を掛け合いて別れたり。常堅寺にても和尚はこの老人が訪ね来たりし故出迎え、茶を進めしばらく話をして帰る。これも小僧に見させたるに門の外にて見えずなりしかば、驚きて和尚に語り、よく見ればまた茶は畳の間にこぼしてあり、老人はその日失せたり。

這也是類似的故事。

土淵村的常堅寺是曹洞宗的寺院,是遠野十二座寺院的總管。

某天傍晚,村裡一個男人在從本宿過來的路上,遇到一位老人。那是個久病不起的人,他便問:「什麼時候好起來的?」老人說:「這兩三天精神不錯,今天要去寺裡聽講。」到了寺門前兩人又交談了幾句才分開。

在常堅寺,和尚迎接這位老人,請他喝茶,聊了一會兒,老人就回去了。這次也讓小和尚去看他的去向,他在門外就消失了,小和尚嚇得去告訴和尚。

一查,果然茶倒在榻榻米的縫隙裡。老人那天就去世了。

八九愛宕山的山神

原文
山口より柏崎へ行くには愛宕山の裾を廻るなり。田圃に続ける松林にて、柏崎の人家見ゆる辺より雑木の林となる。愛宕山の頂には小さき祠ありて、参詣の路は林の中にあり。登口に鳥居立ち、二三十本の杉の古木あり。その旁にはまた一つのがらんとしたる堂あり。堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。昔より山の神出づと言い伝うるところなり。和野の何某という若者、柏崎に用事ありて夕方堂のあたりを通りしに、愛宕山の上より降り来る丈高き人あり。誰ならんと思い林の樹木越しにその人の顔のところを目がけて歩み寄りしに、道の角にてはたと行き逢いぬ。先方は思い掛けざりしにや大いに驚きて此方を見たる顔は非常に赤く、眼は耀きてかついかにも驚きたる顔なり。山の神なりと知りて後をも見ずに柏崎の村に走りつきたり。 ○遠野郷には山神塔多く立てり、そのところはかつて山神に逢いまたは山神の祟を受けたる場所にて神をなだむるために建てたる石なり。

從山口到柏崎,要繞過愛宕山的山腳。穿過連著稻田的松林,從看得見柏崎人家的地方起,就是雜木林。

愛宕山頂有一座小祠,參道在林中。登山口立著鳥居,有二、三十棵老杉樹。旁邊還有一座空蕩蕩的堂,前面立著刻有「山神」的石塔。自古就說是山神出沒的地方。

和野的一個年輕人,因事要去柏崎,傍晚經過這座堂附近。只見從愛宕山上走下來一個高個子的人。是誰呢?他從樹木之間盯著那人的臉一路走近,在路的轉角正好撞個正著。

對方大概也沒想到,非常吃驚地看著這邊。臉通紅,眼睛炯炯發亮,一副十分吃驚的樣子。

是山神——年輕人明白過來,頭也不回,一路跑到柏崎村。

*遠野立著很多山神塔。都是在遇見山神或遭山神作祟的地方,為了安撫神而立的石碑。

九〇天狗森的大漢

原文
松崎村に天狗森という山あり。その麓なる桑畠にて村の若者何某という者、働きていたりしに、頻に睡くなりたれば、しばらく畠の畔に腰掛けて居眠りせんとせしに、きわめて大なる男の顔は真赤なるが出で来たれり。若者は気軽にて平生相撲などの好きなる男なれば、この見馴れぬ大男が立ちはだかりて上より見下すようなるを面悪く思い、思わず立ち上りてお前はどこから来たかと問うに、何の答えもせざれば、一つ突き飛ばしてやらんと思い、力自慢のまま飛びかかり手を掛けたりと思うや否や、かえりて自分の方が飛ばされて気を失いたり。夕方に正気づきてみれば無論その大男はおらず。家に帰りてのち人にこの事を話したり。その秋のことなり。早池峯の腰へ村人大勢とともに馬を曳きて萩を苅りに行き、さて帰らんとするころになりてこの男のみ姿見えず。一同驚きて尋ねたれば、深き谷の奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死していたりという。今より二三十年前のことにて、この時の事をよく知れる老人今も存在せり。天狗森には天狗多くいるということは昔より人の知るところなり。

松崎村有一座叫天狗森的山。村裡的年輕人在山腳的桑田工作時,突然睏得受不了。他坐在田埂上要打盹,出現了一個非常高大、滿臉通紅的男人。

年輕人性情隨和,平時就喜歡相撲。看到一個陌生大漢擋在面前從上往下看著自己,心裡不痛快,不由得站了起來。

「你從哪裡來的?」

沒有回答。他想推他一把,仗著自己有力氣撲了過去。可是剛覺得手碰到對方,自己反而被摔了出去,昏了過去。

到傍晚醒來時,大漢當然已經不在了。回家後,他把這事告訴了別人。

那年秋天,村裡很多人牽著馬,到早池峰半山腰去割胡枝子。正要回去時,只有這個年輕人不見了。

大家去找,據說在深谷裡發現他死了,手和腳都各被拔掉了一隻。

這是二、三十年前的事,熟知當時情形的老人至今還活著。天狗森天狗多,自古就很有名。

九一鳥御前

原文
遠野の町に山々の事に明るき人あり。もとは南部男爵家の鷹匠なり。町の人綽名して鳥御前という。早池峯、六角牛の木や石や、すべてその形状と在処とを知れり。年取りてのち茸採りにとて一人の連とともに出でたり。この連の男というは水練の名人にて、藁と槌とを持ちて水の中に入り、草鞋を作りて出てくるという評判の人なり。さて遠野の町と猿ヶ石川を隔つる向山という山より、綾織村の続石とて珍しき岩のある所の少し上の山に入り、両人別れ別れになり、鳥御前一人はまた少し山を登りしに、あたかも秋の空の日影、西の山の端より四五間ばかりなる時刻なり。ふと大なる岩の陰に赭き顔の男と女とが立ちて何か話をして居るに出逢いたり。彼らは鳥御前の近づくを見て、手を拡げて押し戻すようなる手つきをなし制止したれども、それにも構わず行きたるに女は男の胸に縋るようにしたり。事のさまより真の人間にてはあるまじと思いながら、鳥御前はひょうきんな人なれば戯れて遣らんとて腰なる切刃を抜き、打ちかかるようにしたれば、その色赭き男は足を挙げて蹴りたるかと思いしが、たちまちに前後を知らず。連なる男はこれを探しまわりて谷底に気絶してあるを見つけ、介抱して家に帰りたれば、鳥御前は今日の一部始終を話し、かかる事は今までに更になきことなり。おのれはこのために死ぬかも知れず、ほかの者には誰にもいうなと語り、三日ほどの間病みて身まかりたり。家の者あまりにその死にようの不思議なればとて、山臥のケンコウ院というに相談せしに、その答えには、山の神たちの遊べるところを邪魔したる故、その祟をうけて死したるなりといえり。この人は伊能先生なども知合なりき。今より十余年前の事なり。

遠野鎮上有個熟知山林的人。原本是南部男爵家的鷹匠,鎮上的人給他起了「鳥御前」的綽號。早池峰和六角牛的樹木、石頭的形狀和位置,他無所不知。

年老之後,他和一個同伴兩人去採菇。同伴是游泳高手,據說能帶著稻草和槌子潛進水裡,編好草鞋才浮上來。

從遠野鎮渡過猿石川,越過向山,進入綾織村一塊叫續石的奇岩稍上方的山中,兩人分頭走。

鳥御前獨自往上爬了一段,那時秋天的太陽已經斜到離西邊山稜四、五間高的地方。

忽然一看,在一塊大岩石的陰影裡,一個紅臉的男人和一個女人站著說話。兩人發現鳥御前,便張開手做出往回推的動作,制止他過來。他不理會繼續前進,女人便緊抓住男人的胸口。

怎麼看都不是普通人。但鳥御前是個愛開玩笑的人,想捉弄他們,拔出腰間的山刀,做出要砍過去的樣子。這時紅臉男人抬腳一踢——剛覺得如此,他就什麼都不知道了。

同伴到處找,在谷底發現昏過去的鳥御前,照料他把他帶回家。

鳥御前講了那天的經過,然後說:

「這種事,以前從來沒有過。我也許會因此而死。別告訴任何人。」

然後臥床三天左右,就去世了。

家人因為死得太離奇,去請教一個叫賢光院的山伏。回答是這樣的:

「他打擾了山神們遊玩的地方,因為那報應而死。」

這人也和伊能(嘉矩)先生相識。是十多年前的事。

九二「去小國」

原文
昨年のことなり。土淵村の里の子十四五人にて早池峯に遊びに行き、はからず夕方近くなりたれば、急ぎて山を下り麓近くなるころ、丈の高き男の下より急ぎ足に昇りくるに逢えり。色は黒く眼はきらきらとして、肩には麻かと思わるる古き浅葱色の風呂敷にて小さき包を負いたり。恐ろしかりしかども子供の中の一人、どこへ行くかと此方より声を掛けたるに、小国さ行くと答う。この路は小国へ越ゆべき方角にはあらざれば、立ちとまり不審するほどに、行き過ぐると思うまもなく、はや見えずなりたり。山男よと口々に言いてみなみな遁げ帰りたりといえり。

去年的事。土淵村的十四、五個孩子到早池峰去玩,不知不覺天色已近黃昏。他們急忙下山,快到山腳時,遇到一個高個子男人從下面快步爬上來。

膚色黝黑,眼睛閃閃發光,背著一個用像是麻布做的、舊的淺蔥色包袱巾包著的小包裹。

雖然害怕,一個孩子還是開口問了:

「你要去哪裡?」

「去小國。」

可是這條路,並不是翻往小國的方向。孩子們停下腳步覺得奇怪,才覺得擦身而過,那男人的身影就已經看不見了。

「是山男!」

孩子們齊聲大叫,一起逃回家了。

九三「你的孩子已經死了」

原文
これは和野の人菊池菊蔵という者、妻は笛吹峠のあなたなる橋野より来たる者なり。この妻親里へ行きたる間に、糸蔵という五六歳の男の児病気になりたれば、昼過ぎより笛吹峠を越えて妻を連れに親里へ行きたり。名に負う六角牛の峯続きなれば山路は樹深く、ことに遠野分より栗橋分へ下らんとするあたりは、路はウドになりて両方は岨なり。日影はこの岨に隠れてあたりやや薄暗くなりたるころ、後の方より菊蔵と呼ぶ者あるに振り返りて見れば、崖の上より下を覗くものあり。顔は赭く眼の光りかがやけること前の話のごとし。お前の子はもう死んで居るぞという。この言葉を聞きて恐ろしさよりも先にはっと思いたりしが、はやその姿は見えず。急ぎ夜の中に妻を伴ないて帰りたれば、果して子は死してありき。四五年前のことなり。 ○ウドとは両側高く切込みたる路のことなり。東海道の諸国にてウタウ坂・謡坂などいうはすべてかくのごとき小さき切通しのことならん。

和野菊池菊藏的妻子,是笛吹峠那頭的橋野人。

妻子回娘家的時候,五、六歲的兒子絲藏生病了。菊藏過了中午出門,翻過笛吹峠去接妻子。

因為和有名的六角牛山山峰相連,山路樹木茂密。尤其從遠野那邊往栗橋那邊下坡的地方,路是「ウド」——兩側陡峭的塹道。

太陽被懸崖遮住,四周變得昏暗時,後面有聲音叫「菊藏」。回頭一看,有人從懸崖上往下窺看。臉紅、眼睛閃閃發光,和前一個故事一樣。

「你的孩子已經死了。」

聽到這句話,他心頭一震,比恐懼更早。那身影已經消失了。

他急忙帶著妻子當晚趕回家,孩子果然已經死了。是四、五年前的事。

*ウド是指兩側高高切入的道路。東海道諸國的「謠坂」等,大概也是這種塹道吧。

九四和狐狸相撲

原文
この菊蔵、柏崎なる姉の家に用ありて行き、振舞われたる残りの餅を懐に入れて、愛宕山の麓の林を過ぎしに、象坪の藤七という大酒呑にて彼と仲善の友に行き逢えり。そこは林の中なれど少しく芝原あるところなり。藤七はにこにことしてその芝原を指し、ここで相撲を取らぬかという。菊蔵これを諾し、二人草原にてしばらく遊びしが、この藤七いかにも弱く軽く自由に抱えては投げらるる故、面白きままに三番まで取りたり。藤七が曰く、今日はとてもかなわず、さあ行くべしとて別れたり。四五間も行きてのち心づきたるにかの餅見えず。相撲場に戻りて探したれどなし。始めて狐ならんかと思いたれど、外聞を恥じて人にもいわざりしが、四五日ののち酒屋にて藤七に逢いその話をせしに、おれは相撲など取るものか、その日は浜へ行きてありしものをと言いて、いよいよ狐と相撲を取りしこと露顕したり。されど菊蔵はなお他の人々には包み隠してありしが、昨年の正月の休みに人々酒を飲み狐の話をせしとき、おれもじつはとこの話を白状し、大いに笑われたり。 ○象坪は地名にしてかつ藤七の名字なり。象坪という地名のこと『石神問答』の中にてこれを研究したり。

這個菊藏,有事到柏崎的姊姊家去。他把吃剩的年糕揣在懷裡,經過愛宕山腳的樹林時,遇到象坪的藤七。藤七是個大酒鬼,和菊藏是好朋友。

那裡雖在林中,卻有一小片草地。藤七笑嘻嘻地指著草地說:

「在這裡相撲吧?」

菊藏答應了,扭打了一陣。可是藤七出奇地弱又輕,輕輕鬆鬆就被他抱起摔出去。他覺得有趣,連摔了三回。

「今天實在比不過你。走吧。」

藤七這麼說,兩人就分開了。

走了四、五間才發覺,懷裡的年糕不見了。回到相撲的地方去找,也找不到。這時他才想到,是狐狸吧。

但因為說出去不好聽,他沒告訴任何人。過了四、五天,在酒鋪遇到藤七,說起這事,藤七說:

「我怎麼會去相撲?那天我到海邊去了。」

這下和狐狸相撲的事就更確定了。

儘管如此,菊藏一直沒對別人說。可是去年正月休假時,大家喝酒聊起狐狸的話題,他才說「其實我也……」把這事招了出來,惹得大家哄堂大笑。

*象坪是地名,也是藤七的姓氏。關於象坪這個地名,我在《石神問答》中有所考察。

九五升上天空的石頭

原文
松崎の菊池某という今年四十三四の男、庭作りの上手にて、山に入り草花を掘りてはわが庭に移し植え、形の面白き岩などは重きを厭わず家に担い帰るを常とせり。或る日少し気分重ければ家を出でて山に遊びしに、今までついに見たることなき美しき大岩を見つけたり。平生の道楽なればこれを持ち帰らんと思い、持ち上げんとせしが非常に重し。あたかも人の立ちたる形して丈もやがて人ほどあり。されどほしさのあまりこれを負い、我慢して十間ばかり歩みしが、気の遠くなるくらい重ければ怪しみをなし、路の旁にこれを立て少しくもたれかかるようにしたるに、そのまま石とともにすっと空中に昇り行く心地したり。雲より上になりたるように思いしがじつに明るく清きところにて、あたりにいろいろの花咲き、しかも何処ともなく大勢の人声聞えたり。されど石はなおますます昇り行き、ついには昇り切りたるか、何事も覚えぬようになりたり。その後時過ぎて心づきたる時は、やはり以前のごとく不思議の石にもたれたるままにてありき。この石を家の内へ持ち込みてはいかなることあらんも測りがたしと、恐ろしくなりて遁げ帰りぬ。この石は今も同じところにあり。おりおりはこれを見て再びほしくなることありといえり。

松崎的菊池某人,今年四十三、四歲。是造庭的高手,常進山挖草花回來種在自己院子裡,看到形狀有趣的岩石,不管多重都會扛回家。

有一天,他覺得身體有點不舒服,便上山去散心。結果發現了一塊從沒見過的美麗大岩石。這本是他平時的嗜好,便想帶回去,抬起來一試,非常重。形狀正像一個人站著,高度也和人差不多。

但他還是想要得不得了,背起來,忍著走了十間左右。可是重得讓人快要昏過去。他也覺得不對勁,把岩石立在路邊,稍微靠在上面。

就在那一刻,他覺得自己連同岩石,倏地升上了天空。

覺得到了雲上的時候,那是一個非常明亮清淨的地方,周圍開著各種花,不知從哪裡傳來許多人的聲音。可是岩石還是不斷往上升,最後也許升到了頂,他就什麼都不知道了。

過了一會兒醒來,他像原來一樣,靠在那塊奇妙的岩石上。

把這樣的岩石搬進家裡,不知會發生什麼事——他突然害怕起來,逃回了家。

那塊岩石至今仍在原處。他說,有時看到它,又會想要了。

九六「失火了,失火了」

原文
遠野の町に芳公馬鹿とて三十五六なる男、白痴にて一昨年まで生きてありき。この男の癖は路上にて木の切れ塵などを拾い、これを捻りてつくづくと見つめまたはこれを嗅ぐことなり。人の家に行きては柱などをこすりてその手を嗅ぎ、何ものにても眼の先きまで取り上げ、にこにことしておりおりこれを嗅ぐなり。この男往来をあるきながら急に立ち留り、石などを拾い上げてこれをあたりの人家に打ちつけ、けたたましく火事だ火事だと叫ぶことあり。かくすればその晩か次の日か物を投げつけられたる家火を発せざることなし。同じこと幾度となくあれば、のちにはその家々も注意して予防をなすといえども、ついに火事を免れたる家は一軒もなしといえり。

遠野鎮上,有個被叫做芳公的三十五、六歲的男人。他有智能障礙,一直活到前年。

這個男人有個習慣,在路上撿起木片或垃圾,捻著盯著看,或聞它的氣味。到別人家去,就摩擦柱子再聞那隻手,什麼東西都拿到眼前,笑嘻嘻地聞。

這個男人走在路上,有時會突然停下來,撿起石頭朝附近的人家扔去,尖聲大叫「失火了,失火了」。結果當晚或第二天,被扔石頭的那戶人家必定失火。

這種事發生了很多次,後來各家都提高警覺小心火燭,但據說沒有一戶人家逃過火災。

※原文以當時的歧視用語稱呼此人,故改寫。

九七罌粟花的原野

原文
飯豊の菊池松之丞という人傷寒を病み、たびたび息を引きつめし時、自分は田圃に出でて菩提寺なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、およそ人の頭ほどのところを次第に前下りに行き、また少し力を入るれば昇ること始めのごとし。何とも言われず快し。寺の門に近づくに人群集せり。何故ならんと訝りつつ門を入れば、紅の芥子の花咲き満ち、見渡すかぎりも知らず。いよいよ心持よし。この花の間に亡くなりし父立てり。お前もきたのかという。これに何か返事をしながらなお行くに、以前失いたる男の子おりて、トッチャお前もきたかという。お前はここにいたのかと言いつつ近よらんとすれば、今きてはいけないという。この時門の辺にて騒しくわが名を喚ぶ者ありて、うるさきこと限りなけれど、よんどころなければ心も重くいやいやながら引き返したりと思えば正気づきたり。親族の者寄り集い水など打ちそそぎて喚び生かしたるなり。

飯豐的菊池松之丞,患了嚴重的熱病,好幾次差點斷氣時的事。

醒過來時,他發現自己走到田裡,正急忙往菩提寺喜清院去。腳稍一用力,就輕飄飄地浮到空中。在大約人頭的高度,一邊漸漸往前傾斜下降一邊前進。再稍一用力,又像起初那樣浮起來。說不出的舒服。

走近寺門,那裡聚集著很多人。他一邊納悶為什麼,一邊走進寺門,只見遍地開滿鮮紅的罌粟花,一望無際。他越發心曠神怡。

在那花叢中,站著去世的父親。

「你也來了嗎?」

他一邊回答著什麼一邊往前走,又看到以前死去的兒子。

「爹(トッチャ),你也來了嗎?」

「你原來在這裡啊。」

他這麼說著要走近,兒子說:

「現在不可以來。」

這時,寺門那邊有人吵吵嚷嚷地叫著他的名字。吵得受不了,但也沒辦法。他心情沉重,不情願地往回走——這麼想的時候,他清醒過來了。

原來是親族聚在一起,一邊往他身上潑水,一邊喊著他的名字,把他叫了回來。

九八路旁的石碑

原文
路の傍に山の神、田の神、塞の神の名を彫りたる石を立つるは常のことなり。また早池峯山・六角牛山の名を刻したる石は、遠野郷にもあれど、それよりも浜にことに多し。

在路旁豎立刻有山神、田神、塞神之名的石碑,是很平常的事。另外,刻有早池峰山、六角牛山之名的石碑,遠野也有,但海邊那一帶要多得多。

九九霧中的妻子

前往地圖篇章〈(place)〉
原文
土淵村の助役北川清という人の家は字火石にあり。代々の山臥にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々と船越村の方へ行く崎の洞あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといえり。

土淵村助役北川清的家在火石。世代是山伏之家,祖父正福院是位學者,留下許多著作,為村子盡心盡力。

清的弟弟福二,入贅到海邊的田之濱。然而在前些年的大海嘯中失去了妻子和孩子,他和倖存的兩個孩子在原來的宅地上搭了小屋,住了一年左右。

初夏的月夜。福二起來上廁所。廁所在離得較遠的地方,去的路就是浪花拍打的海濱。

那是一個霧氣瀰漫的夜晚。從那霧中,一男一女走了過來。一看,女的千真萬確是死去的妻子。

他不由自主地跟在後面,一直追到往船越村方向的海岬、有洞穴的地方。他叫她的名字,妻子回過頭來,嫣然一笑。

再看那個男人,也是同村的人,是在海嘯中死去的。是聽說在福二入贅之前,和妻子深深相愛的男人。

「現在,我和這個人做了夫妻。」

妻子這麼說,福二便說:

「難道你不疼孩子嗎?」

妻子臉色微微一變,哭了。

他不覺得自己是在和死人說話。他感到悲傷又窩囊,低頭看著腳下,就在這時,兩人又快步離去,繞過通往小浦的路的山影,不見了。

他追上去,忽然意識到,那是死去的人啊。他在路中央一直站到天亮,思索著,早上才回去。

據說那之後,福二病了很久。

※「前些年的大海嘯」,指明治二十九年(1896年)的明治三陸大海嘯。

一〇〇化成妻子的狐狸

原文
船越の漁夫何某。ある日仲間の者とともに吉利吉里より帰るとて、夜深く四十八坂のあたりを通りしに、小川のあるところにて一人の女に逢う。見ればわが妻なり。されどもかかる夜中にひとりこの辺に来べき道理なければ、必定化物ならんと思い定め、やにわに魚切庖丁を持ちて後の方より差し通したれば、悲しき声を立てて死したり。しばらくの間は正体を現わさざれば流石に心に懸り、後の事を連の者に頼み、おのれは馳せて家に帰りしに、妻は事もなく家に待ちてあり。今恐ろしき夢を見たり。あまり帰りの遅ければ夢に途中まで見に出でたるに、山路にて何とも知れぬ者に脅かされて、命を取らるると思いて目覚めたりという。さてはと合点して再び以前の場所へ引き返してみれば、山にて殺したりし女は連の者が見ておる中についに一匹の狐となりたりといえり。夢の野山を行くにこの獣の身を傭うことありと見ゆ。

船越的一個漁夫,某天和同伴從吉里吉里回來的路上,深夜經過四十八坂一帶。在小河邊,他遇到一個女人。一看,是自己的妻子。

可是,這樣的深夜,妻子不可能一個人來到這種地方。一定是妖怪——他這樣認定,突然用切魚刀從背後刺穿了她。女人發出悲哀的聲音死了。

然而過了一會兒,她也沒有現出原形。他終究不安起來,把後事託給同伴,跑回了家。

妻子安然無事地在家裡等著。

「我剛才做了一個可怕的夢。因為你回來得太晚,我在夢裡出門到半路去接你,在山路上被一個不知是什麼的東西威嚇,以為要被殺死時就醒了。」

果然如此——他回到原處一看,據說被殺的女人,在同伴的眼前,終於變成了一隻狐狸的樣子。

在夢中走過山野時,魂魄似乎有時會借用這種野獸的身體。

一〇一坐起來的死人

原文
旅人豊間根村を過ぎ、夜更け疲れたれば、知音の者の家に灯火の見ゆるを幸に、入りて休息せんとせしに、よき時に来合せたり、今夕死人あり、留守の者なくていかにせんかと思いしところなり、しばらくの間頼むといいて主人は人を喚びに行きたり。迷惑千万なる話なれど是非もなく、囲炉裡の側にて煙草を吸いてありしに、死人は老女にて奥の方に寝させたるが、ふと見れば床の上にむくむくと起き直る。胆潰れたれど心を鎮め静かにあたりを見廻すに、流し元の水口の穴より狐のごとき物あり、面をさし入れて頻に死人の方を見つめていたり。さてこそと身を潜め窃かに家の外に出で、背戸の方に廻りて見れば、正しく狐にて首を流し元の穴に入れ後足を爪立てていたり。有合わせたる棒をもてこれを打ち殺したり。 ○下閉伊郡豊間根村大字豊間根。

有個旅人經過豐間根村。夜已深,他很疲倦,正好看到熟人家亮著燈,便想進去歇一歇。主人說:

「你來得正好。今晚有人死了,沒人看家,我正發愁。麻煩你幫忙看一會兒。」

說著,主人就出去叫人了。

雖然麻煩,也沒辦法。他在地爐邊抽著菸。死的是個老婦人,躺在裡間。忽然一看,那個死人在被褥上,慢慢地坐了起來。

他嚇得魂飛魄散,但定了定神,靜靜地環顧四周。只見從廚房水槽的排水孔,有個像狐狸的東西把臉伸進來,直盯著死人那邊。

果然如此——旅人壓低身子,悄悄走到外面。繞到後門一看,果然是狐狸,把頭伸進水槽的孔裡,後腳踮著。

旅人用那裡的棍子,把狐狸打死了。

一〇二小正月之夜

原文
正月十五日の晩を小正月という。宵のほどは子供ら福の神と称して四五人群を作り、袋を持ちて人の家に行き、明の方から福の神が舞い込んだと唱えて餅を貰う習慣あり。宵を過ぐればこの晩に限り人々決して戸の外に出づることなし。小正月の夜半過ぎは山の神出でて遊ぶと言い伝えてあればなり。山口の字丸古立におまさという今三十五六の女、まだ十二三の年のことなり。いかなるわけにてか唯一人にて福の神に出で、ところどころをあるきて遅くなり、淋しき路を帰りしに、向うの方より丈の高き男来てすれちがいたり。顔はすてきに赤く眼はかがやけり。袋を捨てて遁げ帰り大いに煩いたりといえり。

正月十五日晚上叫做小正月。

天剛黑時,孩子們自稱「福神」,四、五人一組,拿著袋子挨家挨戶走。唱著「福神從吉利的方位舞進來了」,討年糕吃。

但過了傍晚,只有這一晚誰也不出門。因為據說小正月的半夜以後,山神會出來遊玩。

這是住在山口丸古立、一個叫阿政的三十五、六歲女人講的事。

她還只有十二、三歲時,不知為什麼,一個人去當福神。到處走,回來晚了,走在冷清的路上時,對面來了一個高個子男人,和她擦身而過。臉紅得嚇人,眼睛閃閃發光。

阿政扔下袋子逃回家,據說病得很重。

一〇三雪女

原文
小正月の夜、または小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でて遊ぶともいう。童子をあまた引き連れてくるといえり。里の子ども冬は近辺の丘に行き、橇遊びをして面白さのあまり夜になることあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるるは常のことなり。されど雪女を見たりという者は少なし。

據說小正月的夜晚,或者即使不是小正月,冬天滿月的夜晚,雪女會出來遊玩。據說還帶著很多孩子。

村裡的孩子們一到冬天就在附近的山丘上玩雪橇,玩得入迷,有時天都黑了。但只有十五日晚上,大人總是叮囑:「雪女要出來了,早點回家。」

話雖如此,說看過雪女的人很少。

一〇四胡桃月占

原文
小正月の晩には行事甚だ多し。月見というは六つの胡桃の実を十二に割り一時に炉の火にくべて一時にこれを引き上げ、一列にして右より正月二月と数うるに、満月の夜晴なるべき月にはいつまでも赤く、曇るべき月には直に黒くなり、風ある月にはフーフーと音をたてて火が振うなり。何遍繰り返しても同じことなり。村中いずれの家にても同じ結果を得るは妙なり。翌日はこの事を語り合い、例えば八月の十五夜風とあらば、その歳の稲の苅入を急ぐなり。 ○五穀の占、月の占多少のヴァリエテをもって諸国に行なわる。陰陽道に出でしものならん。

小正月的晚上,有各種各樣的活動。

在叫「月見」的占卜中,把六顆胡桃剖成十二半,同時放進地爐的火裡,同時取出。排成一列,從右數起,一月、二月……

滿月之夜晴朗的那個月,胡桃一直是紅的;陰天的那個月,胡桃很快就變黑。颳風的那個月,胡桃會發出呼呼的聲音,火苗顫動。做幾次都是同樣的結果。而且奇妙的是,全村不管哪家做,結果都一樣。

第二天大家一起討論這結果。例如若八月十五夜顯示有風,那一年就要趕緊收割稻子。

*穀物和月份的占卜,雖然多少有些差異,各地都有。大概出自陰陽道吧。

一〇五世中見

原文
また世中見というは、同じく小正月の晩に、いろいろの米にて餅をこしらえて鏡となし、同種の米を膳の上に平らに敷き、鏡餅をその上に伏せ、鍋を被せ置きて翌朝これを見るなり。餅につきたる米粒の多きものその年は豊作なりとして、早中晩の種類を択び定むるなり。

「世中見」也是小正月晚上的占卜。

用各種米分別做成鏡餅。在食案上平鋪同種的米,把鏡餅倒扣在上面,再蓋上鍋子。第二天早上看,餅上沾的米粒多的那一種,就是當年會豐收的。據此決定要種早稻、中稻還是晚稻。

一〇六山田的海市蜃樓

原文
海岸の山田にては蜃気楼年々見ゆ。常に外国の景色なりという。見馴れぬ都のさまにして、路上の車馬しげく人の往来眼ざましきばかりなり。年ごとに家の形などいささかも違うことなしといえり。

海邊的山田,每年都能看到海市蜃樓。據說總是外國的景色。是從沒見過的都城的樣子,路上車馬往來,行人熙來攘往,熱鬧得令人瞠目。據說年年看,房屋的形狀等一點也沒變。

一〇七山神給的樹葉

原文
上郷村に河ぷちのうちという家あり。早瀬川の岸にあり。この家の若き娘、ある日河原に出でて石を拾いてありしに、見馴れぬ男来たり、木の葉とか何とかを娘にくれたり。丈高く面朱のようなる人なり。娘はこの日より占の術を得たり。異人は山の神にて、山の神の子になりたるなりといえり。

上鄉村早瀨川的岸邊,有一戶叫「河岸之家」的人家。

這家的年輕女兒,有一天在河灘撿石頭,一個陌生男人走過來,給了她樹葉之類的東西。是個高個子、臉紅得像朱砂的人。

女兒從那天起就會占卜了。據說那個男人是山神,女兒成了山神的孩子。

一〇八讀心的占卜師

原文
山の神の乗り移りたりとて占をなす人は所々にあり。附馬牛村にもあり。本業は木挽なり。柏崎の孫太郎もこれなり。以前は発狂して喪心したりしに、ある日山に入りて山の神よりその術を得たりしのちは、不思議に人の心中を読むこと驚くばかりなり。その占いの法は世間の者とは全く異なり。何の書物をも見ず、頼みにきたる人と世間話をなし、その中にふと立ちて常居の中をあちこちとあるき出すと思うほどに、その人の顔は少しも見ずして心に浮びたることをいうなり。当らずということなし。例えばお前のウチの板敷を取り離し、土を掘りて見よ。古き鏡または刀の折れあるべし。それを取り出さねば近き中に死人ありとか家が焼くるとかいうなり。帰りて掘りて見るに必ずあり。かかる例は指を屈するに勝えず。

說是山神附身而占卜的人,各處都有。附馬牛村也有一個,本業是木挽(用鋸子鋸木材的工匠)。柏崎的孫太郎也是其中之一。

孫太郎原本精神失常,但有一天進山從山神那裡得到法術以後,就能驚人地說中人心裡的事。

他占卜的方法,和世上的占卜師完全不同。什麼書都不看。和來請託的人閒聊著,忽然站起來在起居室裡到處走來走去,完全不看對方的臉,把心裡浮現的事說出來。從來沒有說錯過。

例如,他會這樣說:

「把你家的木地板掀開,挖挖土看。應該會挖出一面舊鏡子或一把斷刀。不把它取出來,近期內會死人,或者房子會燒掉。」

回去一挖,必定會挖出來。這樣的例子數不勝數。

一〇九雨風祭

原文
盆のころには雨風祭とて藁にて人よりも大なる人形を作り、道の岐に送り行きて立つ。紙にて顔を描き瓜にて陰陽の形を作り添えなどす。虫祭の藁人形にはかかることはなくその形も小さし。雨風祭の折は一部落の中にて頭屋を択び定め、里人集まりて酒を飲みてのち、一同笛太鼓にてこれを道の辻まで送り行くなり。笛の中には桐の木にて作りたるホラなどあり。これを高く吹く。さてその折の歌は「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という。 ○『東国輿地勝覧』によれば韓国にても厲壇を必ず城の北方に作ること見ゆ。ともに玄武神の信仰より来たれるなるべし。

盂蘭盆前後有「雨風祭」。用稻草做比人還大的人偶,送到岔路口立起來。用紙畫上臉,有時還用瓜做出男女的性徵附上。送蟲用的稻草人偶沒有這樣的裝飾,形體也小。

雨風祭時,在聚落中定好輪值的人家,村民聚在那裡喝酒。然後大家吹笛擊鼓,熱熱鬧鬧地把人偶送到路口。笛子中還有用桐木做的「ホラ」(像法螺貝的笛子),高聲吹響。

那時唱的歌是這樣的:

「二百十日的雨風祭呀,往哪邊祭?往北邊祭。」

*據《東國輿地勝覽》,朝鮮也必定把厲壇(鎮壓災禍的祭壇)設在城鎮北邊。兩者大概都源自守護北方的玄武神信仰吧。

※二百十日是從立春起算第二百一十天,約九月一日。被視為颱風容易來襲的厄日。

一一〇吃火的權現樣

原文
ゴンゲサマというは、神楽舞の組ごとに一つずつ備われる木彫の像にして、獅子頭とよく似て少しく異なれり。甚だ御利生のあるものなり。新張の八幡社の神楽組のゴンゲサマと、土淵村字五日市の神楽組のゴンゲサマと、かつて途中にて争いをなせしことあり。新張のゴンゲサマ負けて片耳を失いたりとて今もなし。毎年村々を舞いてあるく故、これを見知らぬ者なし。ゴンゲサマの霊験はことに火伏にあり。右の八幡の神楽組かつて附馬牛村に行きて日暮れ宿を取り兼ねしに、ある貧しき者の家にて快くこれを泊めて、五升桝を伏せてその上にゴンゲサマを座え置き、人々は臥したりしに、夜中にがつがつと物を噛む音のするに驚きて起きてみれば、軒端に火の燃えつきてありしを、桝の上なるゴンゲサマ飛び上り飛び上りして火を喰い消してありしなりと。子どもの頭を病む者など、よくゴンゲサマを頼み、その病を噛みてもらうことあり。

權現樣是每個神樂團各有一尊的木雕像,很像獅子頭,但又有些不同。非常靈驗。

從前,新張八幡社神樂團的權現樣,和土淵村五日市神樂團的權現樣,曾在半路上打過架。輸了的新張權現樣失去一隻耳朵,至今仍只有一隻耳朵。因為每年都巡迴各村舞蹈,沒有人不知道。

權現樣的靈驗,尤其在於防火。

有一次,八幡的神樂團到附馬牛村,天黑了還找不到住處。一戶貧窮人家欣然讓他們留宿,他們把權現樣安放在倒扣的五升枡上,大家都睡了。

半夜,傳來咯吱咯吱啃東西的聲音。大家驚醒一看,火已經燒到屋簷了。據說是枡上的權現樣一蹦一跳地,把火吃掉撲滅了。

頭部生病的孩子等,常常請權現樣幫忙,把病咬掉。

一一一壇之塙與蓮台野

前往地圖篇章〈(place)〉
原文
山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習ありき。老人はいたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのために今も山口土淵辺にては朝に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。 ○ダンノハナは壇の塙なるべし。すなわち丘の上にて塚を築きたる場所ならん。境の神を祭るための塚なりと信ず。蓮台野もこの類なるべきこと『石神問答』中にいえり。

山口、飯豐、附馬牛的荒川東禪寺和火渡、青笹的中澤,還有土淵村的土淵——這些地方都有叫「ダンノハナ」的地名。而在它附近,必定有一塊和它遙遙相對、叫「蓮台野」的地方。

從前有一種習俗,過了六十歲的老人,都要被趕到這個蓮台野去。但老人們也不能只等死,所以白天下到村裡做農活,勉強餬口。

因此至今在山口、土淵一帶,據說早上出去下田叫「ハカダチ(墓立)」,傍晚從田裡回來叫「ハカアガリ(墓上)」。

*ダンノハナ大概是「壇之塙」,也就是在山丘上築塚的地方。我認為是祭祀邊界之神的塚。蓮台野也屬於同類,我在《石神問答》中已經說過。

※蓮台野現在以「デンデラ野」之名廣為人知。

一一二蝦夷屋敷與土器

原文
ダンノハナは昔館のありし時代に囚人を斬りし場所なるべしという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。仙台にもこの地名あり。山口のダンノハナは大洞へ越ゆる丘の上にて館址よりの続きなり。蓮台野はこれと山口の民居を隔てて相対す。蓮台野の四方はすべて沢なり。東はすなわちダンノハナとの間の低地、南の方を星谷という。此所には蝦夷屋敷という四角に凹みたるところ多くあり。その跡きわめて明白なり。あまた石器を出す。石器土器の出るところ山口に二ヶ所あり。他の一は小字をホウリョウという。ここの土器と蓮台野の土器とは様式全然殊なり。後者のは技巧いささかもなく、ホウリョウのは模様なども巧なり。埴輪もここより出づ。また石斧石刀の類も出づ。蓮台野には蝦夷銭とて土にて銭の形をしたる径二寸ほどの物多く出づ。これには単純なる渦紋などの模様あり。字ホウリョウには丸玉・管玉も出づ。ここの石器は精巧にて石の質も一致したるに、蓮台野のは原料いろいろなり。ホウリョウの方は何の跡ということもなく、狭き一町歩ほどの場所なり。星谷は底の方今は田となれり。蝦夷屋敷はこの両側に連なりてありしなりという。このあたりに掘れば祟ありという場所二ヶ所ほどあり。 ○外の村々にても二所の地形および関係これに似たりという。 ○星谷という地名も諸国にあり星を祭りしところなり。 ○ホウリョウ権現は遠野をはじめ奥羽一円に祀らるる神なり。蛇の神なりという。名義を知らず。

據說ダンノハナ是從前有豪族館邸時,斬殺罪人的地方。山口、土淵、飯豐的地形大致相同,都在村界的山丘上。仙台也有這個地名。

山口的ダンノハナ,在翻往大洞的山丘上,和館邸遺址相連。蓮台野隔著山口聚落在它的對面,四面被溪澤環繞。東邊是和ダンノハナ之間的低地,南邊叫星谷。

星谷有許多叫「蝦夷屋敷」的方形凹地,遺跡非常清楚。也出土很多石器。

山口出土石器和土器的地方有兩處,另一處是叫ホウリョウ的小地名。這裡的土器和蓮台野的土器,樣式完全不同。蓮台野的毫無技巧,ホウリョウ的紋樣等卻很精巧。也出土埴輪,還有石斧、石刀之類。

蓮台野出土很多叫「蝦夷錢」的、用土做成錢幣形狀的東西(直徑約二寸)。上面有簡單的渦紋等。ホウリョウ也出土丸玉和管玉。ホウリョウ的石器精巧,石質也一致,蓮台野的材料卻五花八門。

ホウリョウ並不是什麼遺址,只是一町步左右的狹窄土地。星谷的谷底現在成了稻田。據說蝦夷屋敷曾排列在兩側。

這一帶有兩處左右,據說挖掘就會遭報應的地方。

*據說其他村子裡,兩處地方的地形和關係也與此類似。

*星谷這個地名各地都有,是祭祀星辰的地方。

*據說ホウリョウ權現是遠野及東北一帶所祭祀的蛇神。名稱的由來不明。

※這裡說的「埴輪」,似乎泛指土偶等古老的土製品。

一一三定塚森

原文
和野にジョウヅカ森というところあり。象を埋めし場所なりといえり。此所だけには地震なしとて、近辺にては地震の折はジョウヅカ森へ遁げよと昔より言い伝えたり。これは確かに人を埋めたる墓なり。塚のめぐりには堀あり。塚の上には石あり。これを掘れば祟ありという。 ○ジョウズカは定塚、庄塚または塩塚などとかきて諸国にあまたあり。これも境の神を祀りしところにて地獄のショウツカの奪衣婆の話などと関係あること『石神問答』に詳にせり。また象坪などの象頭神とも関係あれば象の伝説は由なきにあらず、塚を森ということも東国の風なり。

和野有個地方叫定塚森(ジョウヅカ森)。據說是埋了大象的地方。據說只有這裡不會地震,附近自古相傳「地震時要逃到定塚森」。

這確實是葬人的墓。塚的周圍有溝,上面有石頭。據說挖掘會遭報應。

*ジョウヅカ寫作定塚、庄塚、鹽塚等,全國到處都有。這也是祭祀邊界之神的地方,和三途川奪衣婆的故事等有關,我在《石神問答》中有詳細論述。也和象坪的「象頭神」有關,所以大象的傳說並非毫無來由。把塚叫做「森」,也是東國的習慣。

一一四壇之塙的青石

原文
山口のダンノハナは今は共同墓地なり。岡の頂上にうつ木を栽えめぐらしその口は東方に向かいて門口めきたるところあり。その中ほどに大なる青石あり。かつて一たびその下を掘りたる者ありしが、何ものをも発見せず。のち再びこれを試みし者は大なる瓶あるを見たり。村の老人たち大いに叱りければ、またもとのままになし置きたり。館の主の墓なるべしという。此所に近き館の名はボンシャサの館という。いくつかの山を掘り割りて水を引き、三重四重に堀を取り廻らせり。寺屋敷・砥石森などいう地名あり。井の跡とて石垣残れり。山口孫左衛門の祖先ここに住めりという。『遠野古事記』に詳かなり。

山口的ダンノハナ現在成了公共墓地。山丘頂上環植著溲疏,東側像門口一樣開著。正中央有一塊大青石。

從前曾有人挖過一次它的下面,什麼也沒挖到。後來又有人挖,看到有一個大甕。村裡的老人們狠狠責罵,便又照原樣埋了回去。據說大概是館主的墓。

附近的館邸叫ボンシャサ館。挖開好幾座山引水,圍了三重、四重的壕溝。留下寺屋敷、砥石森等地名,也有井的遺跡的石牆。據說山口孫左衛門的祖先曾住在這裡,《遠野古事記》有詳細記載。

一一五昔昔

原文
御伽話のことを昔々という。ヤマハハの話最も多くあり。ヤマハハは山姥のことなるべし。その一つ二つを次に記すべし。

在遠野,把民間故事叫做「昔昔(むかしむかし)」。最多的是ヤマハハ的故事。ヤマハハ大概就是山姥吧。下面寫下其中一兩個。

一一六山姥與女孩

原文
昔々あるところにトトとガガとあり。娘を一人持てり。娘を置きて町へ行くとて、誰がきても戸を明けるなと戒しめ、鍵を掛けて出でたり。娘は恐ろしければ一人炉にあたりすくみていたりしに、真昼間に戸を叩きてここを開けと呼ぶ者あり。開かずば蹴破るぞと嚇す故に、是非なく戸を明けたれば入りきたるはヤマハハなり。炉の横座に蹈みはたかりて火にあたり、飯をたきて食わせよという。その言葉に従い膳を支度してヤマハハに食わせ、その間に家を遁げ出したるに、ヤマハハは飯を食い終りて娘を追い来たり、おいおいにその間近く今にも背に手の触るるばかりになりし時、山の蔭にて柴を苅る翁に逢う。おれはヤマハハにぼっかけられてあるなり、隠してくれよと頼み、苅り置きたる柴の中に隠れたり。ヤマハハ尋ね来たりて、どこに隠れたかと柴の束をのけんとして柴を抱えたるまま山より滑り落ちたり。その隙にここを遁れてまた萱を苅る翁に逢う。おれはヤマハハにぼっかけられてあるなり、隠してくれよと頼み、苅り置きたる萱の中に隠れたり。ヤマハハはまた尋ね来たりて、どこに隠れたかと萱の束をのけんとして、萱を抱えたるまま山より滑り落ちたり。その隙にまたここを遁れ出でて大きなる沼の岸に出でたり。これよりは行くべき方もなければ、沼の岸の大木の梢に昇りいたり。ヤマハハはどけえ行ったとて遁がすものかとて、沼の水に娘の影の映れるを見てすぐに沼の中に飛び入りたり。この間に再び此所を走り出で、一つの笹小屋のあるを見つけ、中に入りて見れば若き女いたり。此にも同じことを告げて石の唐櫃のありし中へ隠してもらいたるところへ、ヤマハハまた飛び来たり娘のありかを問えども隠して知らずと答えたれば、いんね来ぬはずはない、人くさい香がするものという。それは今雀を炙って食った故なるべしと言えば、ヤマハハも納得してそんなら少し寝ん、石のからうどの中にしようか、木のからうどの中がよいか、石はつめたし木のからうどの中にと言いて、木の唐櫃の中に入りて寝たり。家の女はこれに鍵を下し、娘を石のからうどより連れ出し、おれもヤマハハに連れて来られたる者なればともどもにこれを殺して里へ帰らんとて、錐を紅く焼きて木の唐櫃の中に差し通したるに、ヤマハハはかくとも知らず、ただ二十日鼠がきたと言えり。それより湯を煮立てて焼錐の穴より注ぎ込みて、ついにそのヤマハハを殺し二人ともに親々の家に帰りたり。昔々の話の終りはいずれもコレデドンドハレという語をもって結ぶなり。

從前從前,某個地方有爹(トト)和娘(ガガ),還有一個女兒。

兩人要去鎮上時,囑咐女兒:

「不管誰來,都不要開門。」

然後從外面上了鎖出門了。

女兒很害怕,一個人縮在地爐邊烤火。結果大白天,有人敲門叫喚:

「把門打開。不開我就踢破它。」

沒辦法只好開門,進來的是山姥。她在地爐的上座叉開腿大剌剌地烤火,說:「煮飯給我吃。」

女兒照她說的備好飯菜給山姥吃,趁機逃出了家。

山姥吃完飯,就追女孩來了。距離越來越近,眼看手就要碰到背的時候,她遇到一個在山蔭砍柴的老爺爺。

「山姥在追我,救救我!」

女孩躲進砍好的柴堆裡。追來的山姥說「躲到哪裡去了」,想把柴捆搬開,結果抱著柴從山上滾了下去。

女孩趁機逃走,這次遇到一個割茅草的老爺爺。

「山姥在追我,救救我!」

她躲進茅草堆裡,山姥又來了,想把茅草捆搬開,結果抱著茅草從山上滾了下去。

女孩趁機又逃,來到一個大沼澤邊。再也無路可逃了。女孩爬上岸邊的大樹。

「逃到哪裡我都不放過你。」

山姥看到沼澤水面上映著女孩的身影,就直接跳進了沼澤。

這時女孩又跑起來,發現一間用竹葉蓋的小屋。進去一看,裡面有個年輕女人。女孩說明了原委,女人把她藏進石頭的唐櫃(帶蓋的大箱子)裡。

這時山姥衝了進來。

「女孩在哪裡?」

「不知道啊。」

「不,她不可能沒來。有人的氣味。」

「那是因為我剛才烤麻雀吃了吧。」

山姥信了,說:

「那就睡一會兒吧。睡石頭的唐櫃好,還是木頭的唐櫃好?石頭的太冷,睡木頭的唐櫃吧。」

說完就鑽進木頭的唐櫃睡著了。

女人把唐櫃鎖上,把女孩從石頭唐櫃裡放出來,說:

「我也是被山姥擄來的。我們一起殺了這傢伙,回村子去吧。」

兩人把錐子燒得通紅,刺進木頭的唐櫃。山姥什麼也不知道,說:「什麼呀,是二十日鼠吧。」

然後她們燒開熱水,從錐子的孔灌進去,終於除掉了山姥。兩人各自回到了父母家。

昔昔的故事,都用「コレデドンドハレ(就這樣講完了)」這句話作結。

一一七織子姬子

原文
昔々これもあるところにトトとガガと、娘の嫁に行く支度を買いに町へ出で行くとて戸を鎖し、誰がきても明けるなよ、はアと答えたれば出でたり。昼のころヤマハハ来たりて娘を取りて食い、娘の皮を被り娘になりておる。夕方二人の親帰りて、おりこひめこ居たかと門の口より呼べば、あ、いたます、早かったなしと答え、二親は買い来たりしいろいろの支度の物を見せて娘の悦ぶ顔を見たり。次の日夜の明けたる時、家の鶏羽ばたきして、糠屋の隅ッ子見ろじゃ、けけろと啼く。はて常に変りたる鶏の啼きようかなと二親は思いたり。それより花嫁を送り出すとてヤマハハのおりこひめこを馬に載せ、今や引き出さんとするときまた鶏啼く。その声は、おりこひめこを載せなえでヤマハハのせた、けけろと聞ゆ。これを繰り返して歌いしかば、二親も始めて心づき、ヤマハハを馬より引き下して殺したり。それより糠屋の隅を見に行きしに娘の骨あまた有りたり。 ○糠屋は物おきなり。

從前從前,也是在某個地方,有爹和娘。他們要去鎮上給女兒買嫁妝,關上門說:

「不管誰來都別開門。」

「好。」女兒答應,兩人就出門了。

中午時分,山姥來了,把女兒吃掉,披上她的皮假扮成女兒。

傍晚,父母回來,在門口叫:

「織子姬子,在嗎?」

「啊,在呢。回來得真早。」

父母拿出買來的嫁妝給她看,看著女兒高興的樣子。

第二天早上天一亮,家裡的雞拍著翅膀啼叫:

「看看糠屋的角落呀,咯咯囉。」

咦,和平常的叫法不一樣啊,父母心想。

然後要送新娘出門,讓山姥的織子姬子騎上馬,正要牽出去時,雞又叫了:

「不載織子姬子,載了山姥,咯咯囉。」

一次又一次地這樣唱,父母終於醒悟,把山姥從馬上拖下來殺了。

然後去看糠屋的角落,女兒的骨頭散落一地。

*糠屋就是儲藏室。

一一八紅皿缺皿

原文
紅皿欠皿の話も遠野郷に行なわる。ただ欠皿の方はその名をヌカボという。ヌカボは空穂のことなり。継母に悪まれたれど神の恵ありて、ついに長者の妻となるという話なり。エピソードにはいろいろの美しき絵様あり。折あらば詳しく書き記すべし。

「紅皿缺皿」的故事,在遠野也有人講。不過缺皿叫做ヌカボ。ヌカボ是「空空的」的意思。

這是一個被繼母欺負的女孩,靠著神的恩惠,最後成為長者之妻的故事。有很多美麗的場面。有機會的話,我想詳細寫下來。

※「紅皿缺皿」是可以稱為日本版灰姑娘的民間故事。

一一九獅子舞之歌

原文
遠野郷の獅子踊に古くより用いたる歌の曲あり。村により人によりて少しずつの相異あれど、自分の聞きたるは次のごとし。百年あまり以前の筆写なり。 ○獅子踊はさまでこの地方に古きものにあらず。中代これを輸入せしものなることを人よく知れり。 橋ほめ 一 まゐり来て此橋を見申せや、いかなもをざは蹈みそめたやら、わだるがくかいざるもの 一 此御馬場を見申せや、杉原七里大門まで 門ほめ 一 まゐり来て此もんを見申せや、ひの木さわらで門立てゝ、是ぞ目出たい白かねの門 一 門の戸びらおすひらき見申せや、あらの御せだい        ○ 一 まゐり来てこの御本堂を見申せや、いかな大工は建てたやら 一 建てた御人は御手とから、むかしひたのたくみの立てた寺也 小島ぶし 一 小島ではひの木さわらで門立てゝ、是ぞ目出たい白金の門 一 白金の門戸びらおすひらき見申せや、あらの御せだい 一 八つ棟ぢくりにひわだぶきの、上におひたるから松 一 から松のみぎり左に涌くいぢみ、汲めども呑めどもつきひざるもの 一 あさ日さすよう日かゞやく大寺也、さくら色のちごは百人 一 天からおづるちよ硯水、まつて立たれる 馬屋ほめ 一 まゐり来てこの御台所見申せや、め釜を釜に釜は十六 一 十六の釜で御代たく時は、四十八の馬で朝草苅る 一 其馬で朝草にききやう小萱を苅りまぜて、花でかゞやく馬屋なり 一 かゞやく中のかげ駒は、せたいあがれを足がきする        ○ 一 此庭に歌のぞうじはありと聞く、あしびながらも心はづかし 一 われ/\はきによならひしけふあすぶ、そつ事ごめんなり 一 しやうぢ申せや限なし、一礼申して立てや友だつ 桝形ほめ 一 まゐり来てこの桝を見申せや、四方四角桝形の庭也 一 まゐり来て此宿を見申せや、人のなさげの宿と申 町ほめ 一 参り来て此お町を見申せや、竪町十五里横七里、△△出羽にまよおな友たつ ○出羽の字もじつは不明なり。 けんだんほめ 一 まゐり来てこのけんだん様を見申せや、御町間中にはたを立前 一 まいは立町油町 一 けんだん殿は二かい座敷に昼寝すて、銭を枕に金の手遊 一 参り来てこの御札見申せば、おすがいろぢきあるまじき札 一 高き処は城と申し、ひくき処は城下と申す也 橋ほめ 一 まゐり来てこの橋を見申せば、こ金の辻に白金のはし 上ほめ 一 まゐり来てこの御堂見申せや、四方四面くさび一本 一 扇とりすゞ取り、上さ参らばりそうある物 ○すゞは数珠、りそうは利生か。 家ほめ 一 こりばすらに小金のたる木に、水のせ懸るぐしになみたち ○こりばすら文字不分明。 浪合 一 此庭に歌の上ずはありと聞く、歌へながらも心はづかし 一 おんげんべりこおらいべり、山と花ござ是の御庭へさらゝすかれ ○雲繝縁、高麗縁なり。 一 まぎゑの台に玉のさかすきよりすゑて、是の御庭へ直し置く 一 十七はちやうすひやけ御手にもぢをすやく廻や御庭かゝやく 一 この御酒一つ引受たもるなら、命長くじめうさかよる 一 さかなには鯛もすゞきもござれ共、おどにきこいしからのかるうめ 一 正ぢ申や限なし、一礼申て立や友たつ、京 柱懸り 一 仲だぢ入れよや仲入れろ、仲たづなけれや庭はすんげない〻 一 すかの子は生れておりれや山めぐる、我等も廻る庭めぐる〻 ○すかの子は鹿の子なり。遠野の獅子踊の面は鹿のようなり。 一 これの御庭におい柱の立つときは、ちのみがき若くなるもの〻 ○ちのみがきは鹿の角磨きなるべし。 一 松島の松をそだてゝ見どすれば、松にからするちたのえせもの〻 ○ちたは蔦。 一 松島の松にからまるちたの葉も、えんが無れやぶろりふぐれる〻 一 京で九貫のから絵のびよぼ、三よへにさらりたてまはす ○びよぼは屏風なり。三よへは三四重か、この歌最もおもしろし。 めず〻ぐり 一 仲たぢ入れろや仲入れろ、仲立なけれや庭すんげなえ〻 ○めず〻ぐりは鹿の妻択びなるべし。 一 鹿の子は生れおりれや山廻る、我らもめぐる庭を廻るな〻 一 女鹿たづねていかんとして白山の御山かすみかゝる〻 ○して、字は〆てとあり。不明 一 うるすやな風はかすみを吹き払て、今こそ女鹿あけてたちねる〻 ○うるすやなは嬉しやななり。 一 何と女鹿はかくれてもひと村すゝきあけてたつねる〻 一 笹のこのはの女鹿子は、何とかくてもおひき出さる 一 女鹿大鹿ふりを見ろ、鹿の心みやこなるもの〻 一 奥のみ山の大鹿はことすはじめておどりでき候〻 一 女鹿とらてあうがれて心ぢくすくをろ鹿かな〻 一 松島の松をそだてゝ見とすれば松にからまるちたのえせもの〻 一 松島の松にからまるちたの葉も、えんがなけれやぞろりふぐれる〻 一 沖のと中の浜す鳥、ゆらりこがれるそろりたつ物〻 なげくさ 一 なげくさを如何御人は御出あつた、出た御人は心ありがたい 一 この代を如何な大工は御指しあた、四つ角て宝遊ばし〻 一 この御酒を如何な御酒だと思し召す、おどに聞いしが〻菊の酒〻 一 此銭を如何な銭たと思し召す、伊勢お八まち銭熊野参の遣ひあまりか〻 一 此紙を如何な紙と思し召す、はりまだんぜかかしま紙か、おりめにそたひ遊はし ○播磨檀紙にや。 一 あふぎのお所いぢくなり、あふぎの御所三内の宮、内てすめるはかなめなり〻、おりめにそたかさなる ○いぢくなりはいずこなるなり。三内の字不明。仮にかくよめり。

遠野的獅子舞,有自古傳唱下來的歌。隨村子、隨人而有些不同,我聽到的是下面這樣的。是一百多年前抄寫下來的。

*獅子舞在這地方並不是那麼古老的東西。中世從別的地方傳入,是大家都知道的。

※以下是讚頌家宅、橋、城鎮的祝歌。方言、古語和抄寫錯誤很多,柳田本人也有註記「意思不明」的地方。這裡在能理解的範圍內改寫成現代語。(?)表示推測。原文可以展開下方的「原文」閱讀。

【讚橋】

來看看吧,這座橋。
是哪位貴人最先走過的呢?
走了又走,也走不完的橋(?)。

看看吧,這條馬場。
杉樹林道綿延七里,直到大門。

【讚門】

來看看吧,這座門。
用檜木和花柏建成,吉祥的白銀之門。

推開門扉,看看吧。
多麼氣派的生活啊。

【讚本堂】

來看看吧,這座本堂。
是哪位工匠建造的呢?

建造的人功勞大。
從前飛驒的工匠建的寺。

【小島節】

在小島,用檜木和花柏建門,
這正是吉祥的白銀之門。

推開白銀之門的門扉,看看吧。
多麼氣派的生活啊。

八棟造的屋頂鋪著檜皮(?),
屋頂上長著落葉松。

落葉松左右湧出的泉水,
怎麼汲、怎麼喝也不會盡。

朝陽照耀、夕陽輝映的大寺。
櫻花色的稚兒有一百人。

從天落下的千代硯水,
等著它而佇立著(?)。

【讚馬廄】

來看看吧,這座廚房。
女釜和男釜,釜一共十六口。

用十六口釜煮飯的時候,
四十八匹馬去割晨草。

用那些馬,晨草裡混割桔梗和小茅,
成了花朵輝映的馬廄。

輝映的馬廄裡的栗毛馬,
踏著步子祈願「家宅興旺」。

【問候之歌】

聽說這庭院裡有歌唱高手。
一邊跳舞,一邊覺得難為情。

我們昨天學,今天就跳。
失禮之處請包涵。

說起問候來沒完沒了。
行個禮就起身吧,朋友們。

【讚枡形】

來看看吧,這枡。
四方四角的、枡形的庭院。

來看看吧,這旅宿。
人稱人情之宿。

【讚城鎮】

來看看吧,這城鎮。
縱十五里,橫七里。
別迷路啊,朋友們。

【讚檢斷】

來看看吧,檢斷大人(町役人)。
在城鎮正中央立起旗子。

前面是立町、油町。

檢斷大人在二樓客廳睡午覺,
枕著錢,玩著金子做的玩具。

來看看吧,這高札。
寫著禁止事項的告示牌(?)。

高處叫做城,
低處叫做城下。

【讚橋】

來看看吧,這座橋。
黃金的十字路口,白銀的橋。

【讚御上】

來看看吧,這座堂。
四方四面,只用一根楔子組成。

拿起扇子,拿起念珠,
參拜就有保佑。

【讚家宅】

黃金的椽木,
流水的屋脊上起波浪(?)。

【浪合】

聽說這庭院裡有歌唱高手。
一邊唱歌,一邊覺得難為情。

繧繝緣和高麗緣,
堆積如山的花蓆,在這庭院輕輕鋪開。

在蒔繪的台上,選了玉杯擺好,
放在這庭院。

十七歲的姑娘來斟酒(?),
庭院一下子亮了起來。

若肯受這一杯酒,
壽命長久,越發興旺。

下酒菜有鯛魚也有鱸魚,
還有有名的唐輕梅(?)。

說起問候來沒完沒了。
行個禮就起身吧,朋友們。

【柱懸】

請放媒人進來,放中間人進來。
沒有媒人,庭院就冷清(?)。

小鹿一出生就繞著山轉。
我們也轉啊,繞著庭院轉。
*獅子舞的面具是像鹿一樣的臉。

在這庭院立起柱子時,
鹿磨著角返老還童。

在松島種松樹看看,
總有纏在松上、討厭的藤蔓。

纏在松島松樹上的藤蔓葉子,
若沒有緣分,也會輕輕鬆開。

在京都要九貫錢的唐畫屏風,
三重四重,輕輕圍起。
*這首歌最有趣。

【選雌鹿】

請放媒人進來,放中間人進來。
沒有媒人,庭院就冷清(?)。

小鹿一出生就繞著山轉。
我們也轉啊,繞著庭院轉喲。

想要去尋找雌鹿,
白山的山上起了霞。

真高興,風把霞吹散了。
現在就去尋找雌鹿吧。

雌鹿再怎麼躲藏,
也要撥開芒草叢去尋找。

竹葉陰下的雌鹿,
怎麼躲也會被拉出來。

看看雌鹿和大鹿的姿態吧。
鹿的心,是風雅的。

深山裡的大鹿,
今年第一次出來跳舞了。

雌鹿被奪走而相思難耐,
心中鬱悶的雄鹿啊(?)。

在松島種松樹看看,
總有纏在松上、討厭的藤蔓。

纏在松島松樹上的藤蔓葉子,
若沒有緣分,也會嘩地鬆開。

在海中沙洲的濱鳥,
悠悠搖晃,悄悄飛起。

【投草】

這「投草」,是哪位賞賜的呢?
賞賜的那位的心意真可感。

這台子,是哪位工匠做的呢?
在四個角落把玩寶物(?)。

這酒,您以為是什麼酒?
是有名的菊花酒。

這錢,您以為是什麼錢?
是參拜伊勢、參拜熊野用剩的嗎?

這紙,您以為是什麼紙?
是播磨的檀紙,還是鹿島的紙?
順著折痕來玩吧(?)。

扇子住在哪裡呢?
扇子的御所是三內之宮(?)。
住在裡面的是扇軸(要)。
順著折痕疊起。

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